赤眼の少年は旅に出る
神崎涼
第1話 日常
見上げれば空は雲一つなく、これこそがスカイブルーだと言わんばかりの鮮やかな青色をしている。俺の一番好きな色だ。
「サラムー!」
村の中央にある大きな木の陰に座ってボーっとしていると、南の方から少女が俺の名前を叫びながら走ってくる。
「エルか。どうした?」
「水を汲みに井戸まで行く途中だったんだけど、サラムの姿を見つけたから。サラムは何してるの?」
そう言いながら、エルは持っている大きな水瓶を見せてくる。
「それはご苦労様だな。俺は今日があまりにもいい天気だから、少し寝ようかと思ってたところだ」
「今日が、なんて言って。サラムはいつも寝てるくせに」
なっ、いつもとは失礼な。……とは言っても毎日特にやることがないのは確かなのだが。
俺たちが住んでいるルズの村と呼ばれるこの村は、小さな大陸の南のはずれにある。
小さな大陸と言っても、これが現状この世界の全てだ。大陸は海に囲まれているのだが、そのどこから見ても海の向こうに陸は見えない。
海の向こうの世界を目指して船を出す勇敢な者もいるが、何かを見つけて帰ってきた者は一人もいないし、大半は帰ってすらこない、らしい。
これらはあくまで聞いた話であって、実際にこの世界がどんな形をしているのかを俺は知らない。それどころか、俺は生まれてこの方、村から離れたことがない。
円形のこの村は木で作られた防壁で周りを囲われており、入口は一つしかない。村から少し離れたところには狂暴な猛獣たちが生息しているらしく、原則として子供が外に出ることは村の大人たちから禁止されているのだ。
この村の人々は、村の近くの比較的気性の穏やかな獣を狩ったり、牧畜したり、田や畑を耕して生活している。
村の若い男はみな、日中は狩猟に出かけるのだが、狩猟に出るのは十八歳以上の男のみと決まっていて、まだ十六歳の俺はついていくことはできない。
そのため毎日特にやることもなく、こうして漠然と日々を過ごしているというわけだ。
「リーガンは向こうで剣の特訓してたよ? 十八歳になったら狩猟で活躍するんだーって言いながら」
リーガンというのは、この村に住む俺と同じく十六歳の男である。ちなみにエルも十六歳であり、村に住む同年代の若者は三人のみだ。
「あいつは剣が好きなだけだよ。狩猟では剣なんかほとんど使わないのに」
狩猟は複数人で行うため、罠を仕掛けたり弓矢などの飛び道具が主流である。剣の技術など一人で戦う場面でもない限り大抵役に立たない。それなのに、リーガンは趣味でよく剣の特訓をしている。
「でも私が見るときはいつも、リーガンすごい気合い入ってるけどなあ」
それはそれは。全く、何をアピールしているんだか。
「それにレナシーおばさんもサラムは毎日ふらふらしたり寝てばっかりで将来が心配だって言ってたよ」
「母さんは心配しすぎなんだよ。ちゃんと動いてるし大丈夫だってのに」
「レナシーおばさんはそれくらいサラムのことが大切なんだよ」
笑いながらそう言って、「じゃあ、またね」とエルは水を汲みに井戸に向かった。
確かに毎日ふらふらしてるっていうのは間違ってないのかもしれない。俺も何か日々の楽しみというか、生き甲斐を見つけないとな……なんて、心地よい暖かさの中で緩やかな風に吹かれながら考えていると、そのまま意識は夢の中へと落ちていった。
家に帰ると、レナシーが晩飯の支度をしていた。匂いから察するにシチューだろうか。
「ただいま、母さん」
「あらサラム、おかえり。ご飯そろそろできるから先にお風呂焚いといてくれる?」
「分かった」
家の外に置いてある薪を取って風呂場へ向かう。薪を組んで火打ち道具で薪に火をつけると、一分ほどで炎が上がってくる。
俺は炎が好きだ。パチパチと音を立てて燃える炎を眺めているとどこか気分が落ち着く。燃え盛る炎をしばらく眺めているとレナシーからご飯ができたと呼ばれた。
晩飯は予想通りシチューだった。レナシーが作る鹿の肉が入ったシチューは俺の大好物だ。村の近くでは鹿がよく狩れるらしく食卓にはよく鹿の肉が出てくる。
夢中で食べていると、レナシーから一つお願いを受けた。
「明日いつもの草むらからアラネの葉を採ってきてくれない? そろそろ貯めてた分が尽きそうでさ。アドリーのところも尽きそうだって言ってたから、エルちゃんと一緒に行っておいで」
アラネの葉は薬草で、煎じて飲むことでいろんな病気に効く万能薬となる。
生息場所は村の外なのだが、村のすぐ近くであるためアラネの葉を取りに行く際に限り子どもでも村の外に出ることが許されている。
「いいよ、取ってくる」
どうせ明日も特に何もする予定はない。余計な心配を軽減するためにも、親孝行しておくことにした。
食事を終えた俺は、焚いていた風呂に入るため風呂場へ向かった。
脱衣所で服を脱ぎ、少し熱めに調節したお湯につかる。全身を熱いお湯に包まれ、「ふう~」と愉悦の声が漏れる。
俺は熱めの風呂が好きで、いつも熱めに調節する。熱めと言っても一般的な温度より数度高いだけなのだが、レナシーは俺が入っている温度は熱すぎると言う。
「母さんはいつもちょっと心配しすぎなんだよな……」
一緒に暮らしている唯一の家族を想いながら独り言をこぼす。
母さんと言っても、実のところレナシーは実の母親ではない。俺は赤ん坊の時に村の入り口に捨てられていて、村の大人たちで話し合った結果、ちょうどその頃に、結婚して間もなかった夫を不慮の事故で亡くしたレナシーが引き取ることになったらしい。
こんな辺境の村に赤ん坊を捨てるなんて誰の仕業かと騒ぎになったが、結局捨てた人物が誰かは分からなかったらしい。なので、俺は実の両親のことを知らないし、今生きているのかどうかも分からない。
物心がついた時からレナシーに育てられてきたし、血は繋がっていなくても実の母のように思っている。俺の家族はレナシーだけなのだ。
そしてもう一つ、実の親がいないということ以外にも、自分がこの村の人間ではないことを決定的に表していることがあった。
それは、眼の色が村のみんなとは違う、ということ。村のみんなの眼は、吸い込まれそうなくらい真っ黒な色をしているのに、俺の眼は赤みがかっている。
しかし、眼の色以外には村のみんなと違うところは無かったし、村には俺の眼の色を気にする人はいない。みんなが家族みたいなこの村が俺の故郷だと思っているし、ここで一生を生きていくのだろう。
風呂から上がった俺は、家の外に出た。
ぽつぽつと建てられた篝火が、暗い夜の中で村をぼんやりと照らしている。空を見上げると、幾千の星が瞬いている。この空はどこまで続いているのだろうか。
この小さな村で生きていくことに不満はなかったが、世界をこの目で見てみたいと思うこともあった。外には猛獣がいるから村を離れてはいけないと言われているが、その猛獣すら俺は見たことがない。
十八歳になって狩猟に出られるようになれば、俺の世界は少しは広がるのだろうか。
しばらく夜の村を散歩して、そろそろ家に帰って寝ることにした。明日はすぐ近くではあるが、久しぶりに村の外に出るのだ。
何か面白いことがありますように、と瞬く星空に向かって願いを込めた。
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