水と油
ある日曜の昼過ぎ、俺は喫茶店に入った。
この店は、かれこれ二年ほど通い続けているお気に入りの店だ。
いらっしゃいませの声を聞きながら店内を見渡す。
――うーん、今日も客はほぼゼロか。
いつもの二人用のテーブルに着き、これまたいつもの取り立てて美味くもない普通のホットコーヒーを注文し、入口付近で取っておいた新聞に目を通し始める。
特に読みたい記事がある訳でもないので、一面からさらさらと流し読みしていると、背後のテーブルに二人組の客が座った。横を通っていく際に見た感じから、勝手に大学生くらいだろうと推測する。
勝手に推測だけして、俺はまた新聞に目を落とす。
暫くすると例の二人の会話が聞こえてきた。聞き耳を立てているわけではないが……いや、少し立てていたかもしれない。
その内容から二人が大学の落研、落語研究会に入っている事が分かった。
――落語か。そういえば最近聞いていないな。
そんな事を考えていると、背後から聞こえる声が徐々に大きくなり始めた。随分と白熱している模様。
「今度のお題は水性マジックで行くべきだ」
「いやいや、そこは油性マジックだろ、譲れないぞ」
どうやら演目のお題を決めているうちに、ヒートアップして軽い口論へと発展してしまったようだ。
一度納得いかない事があると、互いに互いの全てが納得いかなくなるのか、二人のドンパチは暫くの間続いた。
――まったく…… 君たちはお題の通り水と油だな。
暫らくすると、あーでもないこーでもないと言いながら二人は店を出て行った。
二人がどっちを選ぶのか少し気になっていた俺は、彼らの背中を名残惜しく眺める。
すると、二人と入れ違いに知った顔が入ってきた。俺と同じ、この喫茶店の常連の男だ。というか常連歴は俺よりもかなり長いらしい。二年も通っていると、それなりに仲良くなるものだ。
「よう、にーちゃん。今日も相変わらずそこに座ってんだな」
「ええまあ。もう他の場所は落ち着かないんですよ。あっ、ここ座ります?」
「いいのかい? じゃぁお言葉に甘えて……」
よっこらしょと男が座る。
他愛もない会話を交わすなかで、さっきの二人組の話になった。
「………と、まぁこんな感じで。どっちを選んだ方がいいのか、関係ないのに考えち
ゃって」
俺が苦笑いしながら言うと、男はなんだそんな事かと言って鞄から何かを取り出した。油性と水性のマジックだ。
「先に言っておくけど、油性マジックは選ばない方がいい」
そう言うと男は自分の左手の甲に、それぞれのマジックで一本線をひく。
「え、なんで油性はダメなんです?」
男は返事を返さずに、線をひいた部分を反対の手でこすり始めた。
少し間をおいて、ホラと左手を俺に見せつけた。
「…………あっ!」
「そう言う事。水性に比べて、油性の方はなかなかオチないんだよ」
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