ホープとアメリカンスピリット
小津ハルキ
第1話
「あれ、佐藤さんってタバコ吸うんですね。めずらしー」
こんな風に言われるのは時折あることだが、この珍しいっていうのは、私が女だからなのか、それとも今どきタバコを吸う人が少ないからなのか、少し判断しづらいところだ。
ここ最近の禁煙ブームのせいで、喫煙者は肩身が狭い。
そんな中で私がなぜタバコを吸い始めたかといえば、なんとなく、としか言いようがない。
多分カッコよさそうだから、とかそんなしょうもない理由だろう。
しかし今ではすっかり手放せなくなっている。
銘柄はホープ。一本が短いので、仕事の合間に吸いやすいからだ。
たまにおっさんくさいと言われることがあるが、タバコの銘柄で女の価値が下がることもないだろう。
しかしタバコを吸っていることで評価が下がることはある。
私以外の家族は全員非喫煙者だ。特に母親はタバコをよく思っていないので、そのことでよくケンカになる。
そうなるといつも私に言ってくるのは、
「あんた、タバコなんて吸ってるから結婚できないのよ」だ。
来年でもう30になる。周りの友達もほとんどが身を固めており、実家に帰ると毎回孫はまだかと急かされる。
私の人生なんだから放っておいてくれなんてことを思いながら、私はまたタバコに火をつけるのだ。
ある時会社の喫煙所に行くと、珍しい人がいた。
おととし入った私の部下、水本君だ。
彼がタバコを吸っているところを私は見たことがなかった。
「タバコ、吸ってたっけ?」
そう声をかけると、彼はびくっとしてこちらを向いた。
「あ、佐藤さん。お疲れ様です。」
「そんなに驚かないでよ。それで、どうなの?」
「あ、これですか?実は最近吸い始めたんです。」
意外だった。なんというか、タバコを吸うようなタイプには見えなかった。大人しそうな見た目で、とても真面目に仕事をする。
あまりレッテル貼りをするのはよくないが、きっとほかの人も驚くと思う。
「そうなんだ。きっかけは?あ、もしかして仕事のストレスとか?」
冗談交じりに言ってみた。
すると彼は少し笑いながら
「そんなところです。」
と言った。
多分、ストレスではないな。少し安心しながらこう言った。
「おいおい、もしかして上司の問題か?」
仕事はグラフィックデザインだ。
今回の仕事はとある商品の宣伝ポスターの作成。
チームにはもちろん水本君がいる。
今までも真面目に仕事をしてくれていたが、タバコの一件から少し彼のことが気になった。
他のチームメンバーとも割と上手くやっているようだ。
大人しいが、コミュニケーションが苦手なわけではない。
まあ、あんな冗談にも付き合ってくれるぐらいだ。
私のチームには比較的女性が多めだが、きちんとコミュニケーションがとれている。
今日の仕事は終わりみんなが帰りだしたころ、チームの松下さんが話しかけてきた。
「佐藤さん、もしかして水本さんが気になっているんですか?」
「えっ?」
いきなりどうしたんだ。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「だって、今日佐藤さん水本君のことばっか見てましたよ。」
そんなに見ていたのか。恥ずかしい。
そうだ。いい機会だから彼のことを聞いてみよう。
「あなたはどうなの?水本君」
「私ですか?いいと思いますよ。真面目だし、やさしいし。それに、結構イケメンですよね。」
イケメン!そうか、水本君はイケメンなのか。失礼だが、あまり意識したことがなかった。
というか、めちゃくちゃ高評価じゃないか。
「水本君彼氏いないみたいですし、いけますよ!」
「はいはい、上司にそういうこと言わない。」
これじゃ結婚が遅れてる私が狙いを定めているみたいじゃないか。
「ちなみに松下さんは彼氏はいるの?」
「いますよ!もう6年付き合ってます!」
松下さんは今24だから… うう、やめよう。
あれ以来、喫煙所に行くとよく水本君がいた。
「水本君、お疲れ様。」
声をかけるとくるりとこちらを向いた。
「お疲れ様です。」
タバコに火をつけ、一息入れる。
「そういえば、今日飲み会があるらしいわよ。水本君来る?」
「佐藤さんは行かれるんですか?」
「うん。行かないとうるさいしね。」
「そうですか。はい、僕も行きますよ。」
「そっか。偉いね。最近の子たちって飲み会に来ない子も多いらしいわよ。」
「みたいですね。でも僕は特に忙しくないですし。」
「そっか。わかった。じゃあね。」
「はい、お疲れ様です。」
タバコを消すと、私は彼より先に喫煙所から出た。
飲み会には結構な人数が集まった。松下さんは彼氏とのデートがあるといって断った。羨ましい。
水本君は同じテーブルにいた。
彼は結構お酒が強いようで、上司から進められる酒をカラッとしながら飲んでいた。
これもなかなか意外だった。
ある程度時間が経った時、私はふと気が付いた。
水本君が一本もタバコを吸っていないのだ。
お酒が入ると吸わなくなる、とか?
しかし、あまり考えづらい。
喫煙者が少ないとはいえ、部長などもタバコを吸うため、飲み会でタバコを吸ってはいけないなどということはない。
現に私も何本も吸っている。
煙が苦手な子は席が離れているし、気にすることなどないと思うのだが。
まあ、タバコを吸えというのもおかしな話だ。
とりあえずは気にしないことにした。
それからしばらくしたある日、私は休日出勤をしなければならなくなった。
会社はとても静かで、わずかに人がいるようだった。
休日出勤だが私の休憩時間は変わらず、いつもの時間になると自然と喫煙所に向かった。
すると部長がタバコを吸っていた。
「お疲れ様です。部長も休日出勤ですか?」
「ああ、佐藤君か。うん、そうなんだよ。まあ、よくあることなんだけどな。」
部長はヘビースモーカーで、喫煙所で会うことはたびたびあった。
私もタバコを吸い始めると部長が言った。
「それにしても、最近はめっきり喫煙者が減ったなあ。昔はもっといたのに。禁煙する人も増えてきた。まあ、体に悪いし仕方ないんだけど。」
部長も私と同じことを思っているようだ。そしてそのことに寂しさを感じている。
「でも部長、水本君も吸い始めたじゃないですか。」
「ああ、そうなのか?知らなかったな。」
おや?部長は知らなかったのか。最近とはいっても、もう数か月は経つから知っているものだと思っていた。
「そうですよ。ご存じなかったんですね。」
「ああ。喫煙所では見かけたことはないし、飲み会でも吸っていなかっただろう。」
おかしいな。部長は喫煙所によく行くはずなのに。なんで私は知っていて、部長は知らなかったんだろう?
「それじゃあ、佐藤君も仕事頑張って。」
そう言うと部長は出て行った。他の喫煙者の人は彼が吸っていることを知っているのだろうか?
気になった私は、休み明けに色んな人に聞いてみた。しかし、誰も彼がタバコを吸い始めたことを知らなかった。
こんなことってあるのか?会社内で私だけが知っている。こないだの飲み会の時は気にしないことにしたが、いよいよ気になってきた。
その日の休憩の時、喫煙所に行くとちょうど水本君がいた。
「佐藤さん。お疲れ様です。」
「お疲れ様。ねえ、水本君。」
「はい、なんですか?」
「・・・今日、飲みにでもいかない?」
「佐藤さんに誘っていただけて嬉しいです。」
注文を一通り終えると彼は言った。彼は本当にうれしそうだった。
「そう言ってもらえると嬉しいわね。今日はおごってあげるから、ジャンジャン飲みなさい!」
「ありがとうございます!」
タバコの件を聞きたいが、こんな機会もなかなかない。普段話せないことも話そう。
仕事のことや、人間関係のことなど様々なことを話した。
「ねえ、水本君って今彼女いるの?」
「いや、いませんよ。急にどうしたんですか?」
「いいじゃない。それで、どうなの?」
「・・・いませんよ。」
彼は照れているようだ。お酒に強い彼が顔を赤くしている。
「じゃあさ、気になってる人は?うちの会社可愛い人多いと思うんだけど。」
「もう、からかわないでくださいよ!」
なかなか普段見られない表情をするので、つい色々聞きたくなってしまった。
「いやー、私も、いい人がいればいいんだけどねー。なかなか見つからないわけよ。」
「佐藤さんなら大丈夫ですよ。とてもいい人ですし、その・・・美人ですし。」
私は少し驚いた。
「なにー?お世辞を言っても何も出ないわよー!」
「いや、ほんとにそう思ってますよ!」
「わかったわかった」
なんて話をしていると、水本君がタバコを取り出し、少しぎこちない手つきで火をつけた。
そうだ、一番聞きたかったことをすっかり忘れていた。
「そういえばね、水本君がタバコを吸い始めたの、私以外みんな知らなかったのよ。なんでかな?」
「そうなんですか?」
「吸い始めてからもう結構経つよね。不思議だなーと思って。」
「不思議、ですか?」
「そりゃそうでしょ。いくら最近喫煙者が減ったとはいえ、うちの会社に私以外いないわけじゃないのよ?一回くらい喫煙所で見かけたりするでしょ」
そういうと彼は少し黙った。するとなぜか頬を赤らめた。
「ああ、なんとなくですけど、その理由がわかりました」
「えっ、ほんと!?教えて教えて!」
「いや、ちょっと恥ずかしいので・・・」
「恥ずかしくなるようなことなの?」
「そうですね」彼は本当に恥ずかしそうに笑い、頬を指でかいた。
この後しばらく尋問は続いたのだが、彼は頑なに教えてはくれなかった。
私たちは居酒屋を出て、駅へ向かった。
「ねえ、水本君。」
「なんですか?」
「水本君って、タバコ何吸ってるの?」
「アメリカンスピリットです。」
「なんで、それにしたの?」
「アメリカンスピリットって、一本がとても長いんですよ。だから選んだんです。」
「一本が長いから?」
「佐藤さん、これは大ヒントですからね」
「えっ?」
「それじゃあ、僕はこれで。また誘ってくださいね」
そう言うと彼は帰っていった。何がどう大ヒントなのか、さっぱりわからなかった。
その週の休みの日、私は友達と会う約束をしていた。中学生の頃からの付き合いで、社会人になった今でも付き合いがある、貴重な友達だ。名前は中村真矢という。彼女はとても美人で、学生時代からとてもモテた。しかし未だに結婚相手がいない。少し前に理由を聞いてみたら、「私にふさわしい男がいない」と答えた。なかなかいい性格をしている。
二人でウィンドウショッピングをし、喫茶店に入った。そこで、水本君の話をしてみた。すると彼女はつまらなそうな顔をしてこう言った。
「その彼、あんたのことが好きなんじゃないの?」
「は?」
「久しぶりに会ったと思ったら、のろけ話を聞かされるとは思ってもみなかったわ。それで、その人と付き合うの?」
「いやいや、ちょっと待って。どういうこと?水本君が私の事を好き?なんで?」
「簡単な話じゃない。要するに彼がタバコを吸っているのをあんたしか見たことないっていうのは、あんたがいる時にしか吸わない、ってことでしょ。で、なんでアメスピを選んだかっていうのは、喫煙所であんたと長い時間話せるから。その大ヒントっていうのは、実質告白だったのよ」
淡々と説明され、言葉が出なかった。確かにこれで今までのことに納得ができる。
「でも、他の理由も考えられるでしょ?」
「そうかもしれないけど、それならなんですぐに言わないのよ。恥ずかしいなんて言うなら、そういうことでしょ」
「それにしても、一回くらい他の人が見ていてもおかしくないでしょ?」
「まあ、それは本人もびっくりしたんでしょうね。だからなんとなく、なんて言ったんでしょ」
「で、でも・・・」
「もういいから。とりあえず、その水本君にメールでもしてみたら?あんたの返事待ちなんだから」
恥ずかしかったが、真矢がうるさいので仕方なくメールをしてみた。
「急で申し訳ないけれど、今度二人で会えませんか?」
返信はすぐに返ってきた。
「喜んで。」
この後何があったかは、恥ずかしいので言わないことに決めた。
ただ、言えることが一つある。それは実家に帰ったとき、親に言ってやることができたことだ。
「ね?タバコも悪くはないでしょう?」
ホープとアメリカンスピリット 小津ハルキ @yuni0316
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