勇者ときゅうりの大冒険
えあじぇす
プロローグ 魔皇宮にて
最終決戦――1
醜悪としか言いようのない悲鳴がこだました。
漆黒の鎧や仮面で見てくれを取り繕ってはいるが、その正体は単なる人間に過ぎない事を勇者一行は突き止めていた。
だから勇者アレクは、割れた仮面の隙間から
「ぐがあ」
この
獣のような声を上げヴァン・ノンは床に倒れ
勇者は油断なく魔将軍を見下ろした。この老人は、勇者の親の仇でもあるのだ。
「降参して真実を語れ」
本音を言えば、今すぐにでもこの皺首をはねてしまいたかった。
だがここまで旅を共にしてきた仲間たちの前で、自らが感情に流される無様な姿は見せられなかった。
アレクは、勇者なのだから。
「魔皇の居場所にその正体。魔族の発生をどうやって止めるのか。この世界を包む瘴気をどうやって
ヴァン・ノンがもぞりと動く。急所は外した。当然息はある。
剣士ロイがラグナスを護るため、肉厚の剣を構え前に出る。
「ロイ、大丈夫だよ」
「いや、油断するなアレク。こいつどれだけ卑怯な手を隠しているか分からんぞ」
「ロイの言う通りだわ」
魔法使いのマルチナが同意する。その手の杖は翡翠色に輝いている。
「
王立教会から派遣された僧侶、クロノが王国軍との念話を終えた。
世界を見守る女神から授かった超常の力は、彼に未だ戦いは終わっていないと告げていた。
「城内も時間の問題ですね。とはいえ、ここは敵陣のど真ん中。どんな伏兵の潜んでいるやら…」
「なんでも良いわ!とにかくこのクソッタレに関しては、用心し過ぎなんて事ないわよ」
マルチナが忌々しげに吐き捨てた。彼女もアレクと同様、この男に故郷を焼かれているのだ。
「分かってる、分かってるよ…」
仲間たちの言葉に頷くと、アレクは声を張り上げた。
「答えろヴァン・ノン!この世界を救う方法を!」
その問いに答える代わりに。
「ぐひ」
這いつくばるヴァン・ノンは、奇妙な声と共に身を震わせた。
「ぐふ、ぐひ、ぐひひ」
笑ったのだ。
勇者一行に敗れ持てる兵力のほぼ全てを失い、惨めな姿を晒しながらも。
「ぐひっひひ、ぐひひひひひぃ」
それでも尚この男は、不敵に笑っていたのだ。
「元に戻す?元に戻すだぁ?」
「…何がおかしい」
アレクの
「お前ら如きに、魔皇陛下の
「どういう事だコラ!」
ロイの怒号を浴びても、ヴァン・ノンは臆しない。仮面の隙間から歪んだ口元が、へらへら笑っている。黄ばんだ歯と真っ黒に変色した歯茎が
「陛下は万能にして永遠。お前らの信じる
自らの仕える主神を愚弄する言葉に、クロノの柳眉が逆立つ。
「背信者め、何を…」
「お前らにはまだ分からないだろうな。陛下の素晴らしさが。会えば分かる、分かるのだ。あの方はな、俺を救ってくれる唯一無二の力その物なのだ」
「ちから、そのもの?」
その口ぶりに妙な違和感を覚えたアレクが、口の中でヴァン・ノンの言葉を繰り返す。それを見たヴァン・ノンの表情に喜色が浮かぶ。
「おお勇者よ興味があるか?じゃあ、じゃあな、会っていくと良い…」
震える掌をヴァン・ノンが握り締めた。すると彼が横たわる床が朧げに光った。
「!」
「逃げる気よ!」
床は円形に輝き、そこへヴァン・ノンの体は沈み込んでいく。魔法使いの指摘した通り、
「テメェ、往生際が悪いぞジジィ!」
だがまばゆい閃光と共に剣戟は跳ね返された。結界である。ロイが地団駄を踏む。
「だぁぁ、クソッ!」
その間にヴァン・ノンの姿はすっかり床の中へ消えてしまった。転移魔術の光がたちどころに色褪せ消えていく。すかさず勇者は指示を飛ばす。
「マルチナ!」
「分かってる、今詠唱終わったところ!――砕けろっ!!」
ぱぁんとガラスが弾けるような音がして、結界は解かれた。
「まだまだぁ――開け、門っ!」
ヴァン・ノンの消えた場所に再び光が戻った。その場にあった魔力の残滓を繋ぎ合わせ魔術を復元させる、高位の魔法使いたるマルチナぐらいにしか出来ぬ高等技術である。
「繋がったわ!あのジジィ、魔皇とかいう奴の所に行ったみたいよ。あの陣からヤバげな力がダダ漏れだわ」
「――主神の加護を我らに!」
クロノが空間に指で文字を描く。すると勇者一行を白く淡い光が包み込んだ。
「これで行先がどんな所でも主神が我らを護って下さります!あの背信者、許しはしません!」
「あら?あたしも魔法を操る異教徒なんだけど?」
悪戯っぽい眼差しをマルチナは僧侶に送った。真面目で生一本なクロノは昔の事を思い出し顔を赤らめた。
「あ、貴方は異教徒であっても、背信者ではありませんから。しゅ、主もお護り下さいます」
「…じょーだんよ。でも、そう言ってもらって嬉しいわ。あんたったら最初の内はあたしの事『この異教徒めー』って」
「や、やめて下さいこんな時にそんな昔の事!」
本当にこんな時に何をやっているのやら。二人のやり取りを見ながら勇者は苦笑いした。
「おいおい二人とも、今そんな事やってる場合かよ」
「うっさいわよこの脳筋!こんな時だからこそでしょ、ねぇアレクー」
「わ、わ、私はロイさんに賛成ですっ。勇者様、早く奴を追いましょう」
勇者は三人の姿を改めてもう一度見つめた。それから転移魔術の妖しい輝きを睨んだ。
あそこに飛び込めば後戻りは出来ない。手負いのヴァン・ノンと、未だ正体の知れぬ魔皇との決戦が待っている。
長い旅路の中でも、勇者一行は魔皇の正体を掴むことが出来なかった。どこから来たのか。何者なのか。文献は何一つ残されていなかった。分かっているのは、魔皇こそが魔族を産みだしこの世に瘴気を蔓延らせた諸悪の根源であり、ヴァン・ノンはそれに与する人間に過ぎないという事だけだ。
だが何でもいい。聖剣と各地の精霊たち、そして主神の助けを得た自分たちだったら、きっとどんな相手でも倒せる。勇者はそれを確信していた。そして魔皇を倒したその時こそ。
自分はようやく、本来の自分に戻れる。そうすれば、彼らともお別れかもしれない。
だけど、やるしかないのだ。
だって自分は、勇者なのだから。
「…そうだね。さぁ行こう、最後の戦いだ!」
勇者の掛け声に、仲間たちは一斉に頷いた。
転移陣に飛び込む瞬間、勇者は瞼を閉じその姿を脳裏にしかと焼き付けておいた。
この戦いが終わった後の事に、心を痛めながら。
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