第2話 館林先生が急に学校に来なくなってしまった

「アザクラ? そんな名前の生徒いましたか?」

「ああ、これは失敬しっけい。アザクラというのは櫻丘さくらおかさくらのことです。アザクラは彼女のニックネームなんですよ」


 私が職員室の前を通りかかった時、偶然小仏こぼとけ先生と館林たてばやし先生が話しをしていた。そこに私の名前が聞こえたので、思わず柱の陰に隠れて聞き耳を立ててしまった。


「櫻丘さんのことでしたか。彼女がどうかしましたか?」

「授業態度はどうです? 先生の授業はパソコンを使うから、関係のない……ネットサーフィンというんでしたか、そんなことしてませんか?」


 そこで館林先生は顎に手を当ててしばらく考える素振そぶりを見せる。


「そういうことはなかったと思います。僕が見る限りでは真面目に授業を受けてくれているみたいですよ」

「そうですか、ならいいんですが……」


 それから小仏先生はあろうことか館林先生に私の悪口を言い始めた。




 あれは三年生になって間もない日のことだった。私は担任になった小仏先生に生徒指導室に呼び出されたのだ。もちろんそんなところに呼び出される覚えはなかったし、成績がわりと優秀だった私は小仏先生からも信頼されていると思っていた。その証拠に当時はよくめられていたものだ。


「櫻丘、かけなさい」


 生徒指導室に入った私に、小仏先生は正面の椅子に座るように言った。


「先生、私何かしたんでしょうか?」

「いやいや、櫻丘が何かしたというわけではないんだ。ただ知っていることを話してほしい」


 小仏先生の質問は、近所で多発していた万引き事件についてだった。犯人グループはこの学校の三年生らしいとのこと。そのグループに関することなら噂レベルのものでも構わないから教えてくれということだった。


 その時私はなるほど、と思った。実は犯人には心当たりがあったからだ。でも確証があるわけではなかったし、私が知っているようなことは他の生徒も知っている程度の内容である。だから私は先生にこう応えた。


「確かに噂は聞いたことがありますが、私が確認したわけではないのでお話しすることは出来ません。お役に立てなくて申し訳ありません」


 それでその日は帰されたのだが、数日後に私まで万引き犯の一味であるという疑いがかけられてしまった。実は私が生徒指導室に呼ばれた翌日に、巡回中だった私服警官によって犯人グループは捕えられていたのだが、私には彼らをかばったという汚名が着せられたのである。


「櫻丘、先生は悲しいぞ。正直に言いなさい」

「本当です、信じて下さい! 私は万引き犯の一員なんかじゃありません!」


 私が何度叫んでも、小仏先生が聞き入れてくれることはなかった。そして警察にも呼ばれて事情聴取されることになる。結果は嫌疑けんぎ不十分ですぐに帰されたが、翌日には学校中に私の悪い噂が広まっていた。




「でも櫻丘さんは犯人グループの一員ではなかったんですよね?」

「警察はそう判断したようですが、私は絶対アイツも怪しいと睨んでます」

「僕には何とも……それはそうと、どうして櫻丘さんのことをアザクラなどと言われるのですか?」


 もうやめて! 私は心の中で叫んでいた。


 私の首の付け根には桜みたいな形をしたあざがある。両親は私が生まれた時にこの痣を見て、苗字が櫻丘なのにさくらって名前を付けたらしい。でもそのせいでからかわれる自分の名前が私は大嫌いだ。


「痣があるからさくらじゃなくてアザクラだ」


 まだ小学生の頃の体育の時だった。いつもは痣を隠すように絆創膏ばんそうこうを貼っていたのに、その日に限って忘れてしまったのだ。それを運悪くクラスの男子に見つかってから、私に付けられたあだ名がアザクラ。それ以来、私はずっとアザクラと呼ばれていじめの対象になっていた。


 それでも中学二年生も三学期になった頃からは、受験が差し迫ったという意識からか、いじめは鳴りを潜めていた。そこへ降って湧いたかのような万引き事件に巻き込まれ、私は再びいじめを受けることとなる。ただし、現在最も酷いいじめをしてくるのは担任である小仏先生だった。


「小仏先生、まだ若輩じゃくはいの僕が言ってはなんですが、それって生徒の身体的特徴をもとにしたいじめではありませんか?」

「なっ! 私は何も……」

「私は仕事の性質上ネットで色んな話に出くわします。先生、悪いことは言いませんので、櫻丘さんのことをそんな風に呼ぶのはやめた方がいいと思いますよ」

「やめないとどうなるって言うんだ?」

「このことがネットに流れたら多分先生は袋叩きにって、最悪の場合はここにいられなくなるかも知れません」

「そ、そんなことが……」


 小仏先生はネット、というかパソコン関係にうとい。それでも昨今のネット事情は耳にしているだろうから、怖さだけは分かっていたようだ。あの脂ぎって決して清潔には見えない顔が、館林先生の言葉によって見る見る青ざめていくのは壮観そうかんだった。


 それ以来、私は二週間に一度の情報の授業が楽しみになっていた。他の先生は学年主任という肩書きを持つ小仏先生に逆らうようなことはなく、私に味方してくれる人など一人もいなかった。でも館林先生だけは味方とは言えないまでも、小仏先生に同調することはなかったのである。


 ところがそんなある日、館林先生が急に学校に来なくなってしまった。

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