第452話

 しばしの間、静寂が流れる。ノワールから飛び散った部品の音が、樹の中を反響する。

 全力を出し尽くした、残心の如く拳を振り抜いたまま動かない大我。

 彼の肩を動かす程の激しい呼吸は、少しずつ、少しずつ落ち着きを取り戻し、ゆっくりと鼓動が鎮まっていく。

 ようやく、全身の緊張が抜けきると、大我は片膝をついて右手を垂らした。彼の右手指は、衝撃を完全に流すことはできなかったのか、何本か折れていた。

 だが、この明確な戦いの勝利の前には、そんな痛みも今は大きく霞む。

 大我が膝を付き、大きく息を吐いた直後、場の張り詰めた空気の糸が途切れ、ティアは彼のもとに駆け寄った。

 気を失って壁に寄りかかっているルシールを除いて。


「大我! ううっ……大丈夫!?」


「ははは……体が重たいな。心配するのは、俺じゃなくてまず自分だろ……」


 今にも倒れそうな彼の姿に、ティアは脚を引きずり、途中で自らの身体を浮かせて近づいていく。

 受けた傷は自分の方がよっぽど酷いのに、それでも我先にと身を案じてくれるティアの優しさが胸に染みた。


「そんなこと……うん…………ありがとう」


 ティアは出掛かった言葉を口の奥に詰め、素直に受け取った。

 痛みは深々と奥深くまで突き刺さるが、今はそれすら解けさせる程に安堵の気持ちが訪れている。

 激戦に一区切りが付き、エルフィもまた己が傷ついた状態でも、二人を労った


「ほんっっとうによくやったなお前らぁ……! 俺は、きっと勝てるって信じてたよぉ……!」


「ありがとなエルフィ。俺、やっぱお前には足向けて寝られないな」


「へへ、そうだろ? もっと俺を褒めても、うぐっ……」


 日常と同じ調子で、威勢のいい事を言ってみせるが、やはり相当に消耗していたのか、ふっと力が抜けて落ちそうになる。

 それを大我が、優しく受け止めてあげた。


「お前もまずは自分を気にしろって。ずっと助けてくれたんだからさ」


「はは……お前よりはよっぽど頑丈だっつーの」


 軽口も叩けるくらいには余裕が戻ってきた大我達。

 ボロボロになっていても、彼らの気持ちは、どれだけ過酷な試練が訪れようとも最後まで保ち続けられたのだ。

 そして、大我の視線は、自然とルシールの方へと向けられる。


「そうだ、アリアは……」


「もしかして、もうアリア様抜けてるのか?」


「その通りです。ようやく私の身体を取り戻せました」


 エルフィの予想に正解と言いに来たかの如く、元の女神姿を取り戻したアリアが、生まれた扉の向こうから歩いてきた。

 

「無理をさせましたね。ありがとうございます、ルシール」


 気を失っているルシールに優しく触れ、マナを集めてベッドの形にして、優しく仰向けに寝かせてあげる。

 それから、ゆっくりと大我達の元へと戻ってきた。


「その身体……」


「はい。私はいざという時の為に、予備の身体を複数製造してあります。本来はノワールと攻防を行っている間に取り戻そうとしたのですが、やはりそれまでの道筋もロックされていました。流石にしっかりとしていましたね」


 最も余裕そうな雰囲気を出しているアリア。

 神様が無事でよかったとティアが思う反面、大我はそのなんでもないような様子に、本当にこいつはどんな時でも変わんないなと、心の中で溜息をついて思った。


「ああまあ、うん。そっちも無事なら良かったよ」


「ええ、私も皆さんが動いてくれていてとても嬉しいです。危うく、この世界が崩壊への一歩を進むところでした」


「ったく、もう少し現実の方で手助けしてくれてもよかったのによ。おかげで……」


 解れた気持ちから、軽い悪口でもぶつけようかと喋っていた大我。

 しかしその時、ノワールが吹き飛んでいった方向から、何か金属同士が擦れるような金切り音が聞こえた。


「………まさか」


 少し嫌な予感がする。大我は立ち上がり、その方向に少し足を進めた。

 すると、そこには、下半身が吹き飛ばされながらも、両腕で身体を引きずり、どこかへと目指して動いているノワールの姿があった。


「まだ完全に機能停止していませんでしたか」


 ノワールは、大我達の方向とは大きく違う壁の方へと動いている。

 その動向を少しの間だけ見つめていると、彼女が特定の位置の壁に手を触れた途端、トンネルのような抜け道が出現した。


「いやだ…………いやだぁ…………」


 悲痛に染まった、涙を纏ったような声で、歯を食いしばり怯えながら、ノワールはゆっくりとその先へと移動していった。


「やばい、逃げるぞ!!」


 エルフィが慌てた声で再び飛び上がり、アリアと大我も一緒に走り追おうとする。

 だが、数歩進んだところで、大我の足が止まった。


「どうしました大我さん?」


 数秒の沈黙の後、大我は静かに、何か思うところがあるような神妙な面持ちで口を開いた。


「……みんな悪い。ここから先は俺だけで行かせてくれないか。あいつと、ノワールと一対一で話したい」

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