第332話 決戦準備 7

「……何か用か」


「二件ほど。まずは大我さんの体調を診に来ました。エルフィから逐一データは受け取っていますが、改めて触れてみないとより詳細はわかりませんから」


 そう言いながらアリアは、大我の隣まで近づき、お見舞いにやってきた親族のように椅子に座った。

 エルフィが触れていたばかりの晒された腹部に手を当て、改めて身体状況を確認。

 エルフィからもたらされたデータとの相違点を少しずつ調整し、バイタルチェックまで済ませた。


「…………順調みたいですね。エルフィの献身のおかげです」


「いやそんな! 俺はアリア様の指示に従っただけで……それに、大我には早く良くなってもらいたかったですから。なんだかんだで、俺の一番の相棒ですし」


 それを聞いたアリアは、小さく微笑みを見せた。

 何を意味するのかは大我にはわからなかったが、アリアはそこから話題を繋げるように大我に話を向けていく。


「そして、もう一件ですが……一つ、大我さんに話しておきたい……いえ、この場合は打ち明ける、と言った方がいいでしょう。とにかく、伝えておきたいことがあるのです。私事ではありますが、聞いて頂けませんか?」


 大我は否定せず、じっとその顔を見つめ続ける。そして、数秒の間を置いてから、小さく頷いた。


「……私は、人の気持ちを考えるということが出来ていない……のでしょう。その判断が私には出来ませんが」


「……まあ、出来てないと思う。俺が生き残ってたからって、いきなり水着で迎えるような奴だしな」


「やはりそうですか…………言い訳と取られても構いませんが、私にはまだ、人の気持ちが完全には分からないのだと思われます。客観的な物ではなく、主観的な物として」


 傍目には人間と変わらないようにも思えるが、そうなると大河にはまた別の疑問が生まれる。


「……あんたがわからないってんなら、なんで今の世界のみんなはあんなに俺達と変わらないんだよ」


「成長と蓄積の結果に他なりません。この世界を再構築した当初は、まだその人間的な情緒や感情など、到底完全に再現されたとは言い難い物でした。それを膨大なアーカイブの中から可能な限り搭載するべき擬似人格として構成し、学習していくように作り上げました。その結果、地上の住人は過去の人類と変わらないと言っても差し支えない程に自然に精神性が成長しました」


 今ここには、この世界の正体を知っているものしかいない。身体を明け渡しているルシールを除いて。

 

「感情面や生物的判断の点に於いては、この世界の住人は間違いなく、私以上の成長を遂げているでしょう。それは、こうして直接対面する頻度が爆発的に増えてからより強く感じます」


「なんか他人事みたいに言ってるけど、お前はそのみんなを見守る立場なんだろ? なら、アリアだってそういう面での成長はしてるんじゃないのか」


「外側からの情報として解析し、蓄積することはできます。しかし、私には実際にそれを反映する場がないのです。ルシールの身体を借りて、神託として言葉を乗せても、それは上位の立場からの号令であり、対話ではありません。大我さんなら、サッカーでわかるでしょうか? いくらプロ選手のシュートコースやドリブルテクニック、グラウンド上での判断等を研究し理解しても、それを身体に覚えさせ実践しなければ意味がありません。ただの知識に過ぎないのです」


「……まあ……そうだな」


「私は個人ではなく、システムとして稼働している側面が非常に強いのです。神は天上の存在であり、地上の者にとっては雲の上の認識です。唯一神に対話を行う相手はいません。性能を日々向上させ、世界の為に稼働し、管理し、世界が壊れないように演算を重ねる。それだけを思考していた。それだけで良かったのです。そもそも、対話するべき相手もいなかったのですから――――大我さんが現れるまでは」


 その言葉を漏らした直後、アリアの口元が少しだけ緩んだような気がした。


「人類はもう、2320年前に絶滅したかと思っていました。それもそうです。私が滅ぼしたのですから。私の誤った判断によって……もう少し多くの情報をさらに精査し直し、演算を重ねていれば良かったのかもしれない。ですが、そこに貴方が現れてくれました。生き残ってくれた人類が」


 まだ感情を学びきれていないと言いたそうなアリア。その手は小さく震えていた。


「2320年前に失った、対話する相手が、ようやく戻ってきてくれた。私はとても嬉しかった。これでまた、新たな成長を重ねることができる。本来私は、人類と共に有る為、より良い世界を形成する為に造られたのですから。だから、未熟な部分は少しでも成長したい。客観的なステータスではなく、自身の反応から新たに学習結果を引き出したい」


 じっと、大我の眼を見つめるアリア。ルシールの身体であることだけが、どこか認識的に奇妙に写る。


「だから大我さん。この戦いが終わった暁には、どうか私を成長させてください。今或る世界をより平和とする為、何より、理解の及ばぬ領域を少しでも無くす為に」


 彼女の人格側に抵抗があるのか、大我の身体にそこで触れようとはしない。

 しかし、初めて『神様』という位置からではなく、『アリア個人』としての気持ちをようやく発露してくれた。

 未熟であると自覚しつつ、これからのために学びたい。そして世界の平静を形成していきたい。

 これがかつて人間の足を支えるべく造られた人工知能。そして現世界の女神なのだと。

 大我は彼女の女神たらしめる姿を、これまで世界を保ち創造し続けてきた凄みを胸に感じたような気がした。


「そう言われちゃ、協力しないわけにはいかないよな。けど、言われなくとも俺はそうするつもりだよ。助けてもらった恩があるし、ここで断っちゃ俺の気が収まんねえよ。それに、皆のいる世界がそれでより良くなるんならな」


 溜まっている気持ちとは別に、大我はその良心を信じている。

 仇であることは変わりない。だが、今のそれなりに気に入っている世界を創り上げた親であることにも変わりない。

 大我はぎゅっと、握手としてアリアの手を握った。


「ありがとうございます……少しでも皆さんの戦力を向上させるべく、私が組んだタイムリミットまで、最大限の努力を重ねましょう」


 人工知能として稼働し、数千年の時を経て初めての握手。

 自分の身体では無いが、それは様々な記憶データの中でもより強く刻まれるものとなった。

 直後、アリアは思い出したように話題を変えた。


「一つ忘れていました。大我さんに言われた通り、身体を借りたままでは悪いですよね。なので、一時的にルシールさんに返還します」


「えっ」


 その言葉の後、アリアの表情がふっと消え、かくんと頭が下がった。

 そして、改めて頭が上がると、その雰囲気はそれまでの母性に満ちたものではなく、見た目相応ながら恥ずかしがり屋なそれに切り替わった。

 つまり、ようやくルシールに戻ったのである。手を繋いだまま。

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