第285話
まず向かうべき場所は決まったという矢先に入ったエルフィの横槍。
その理由が見えてこない大我は、素直にその理由を問う。
「いきなりどうしたんだ。どうして世界樹の方に?」
「…………アリア様との連絡が取れないってのは覚えてるよな。何かあったにしても、通信できないだけなら……とは思ってたんだ。アリア様だって世界を管理してるんだからな」
エルフィの視線は、一度偽ティアの残骸へと移る。
「けど、この状況を見て考えが変わった。ティアと記憶や人格まで何もかもそのまんま過ぎる偽者なんざ、そう易易とできるわけがねえ。しかも昨日までの記憶までときた。そうなったら、アリア様に何かあったとしか思えねえよ」
容姿や声どころか、長年の積み重ねによって培われた人格データも、前日までの記憶データも全て同一ともなれば、それはこの世界に立って生きている住人の仕業とは思えない。
そのような芸当が可能なのは、まず、メタ的視点に立てる上に、全機械人類の製造が実行できるアリアのみ。
フロルドゥスのような人物がいたとしても、完全な製造までは不可能だろう。
どのような手段で、ティアの内部データをリアルタイムで取得していたのかまでは見当はつかない。
それらを総合した結果、エルフィは今すぐ大我と一緒に世界樹に向かうべきだと考えた。
「……そう言われると確かに俺も何か起きてるんじゃないかと謂う」
世界の裏側を嫌でも知っている大我は、エルフィが言っていることはとても理解できた。
偽ティアの存在も、おそらくその異変に強く関わっているのだろう。
しかし、大我には、自分だからこそやるべきことがあると考えた。
「だけど……悪い、エルフィ。俺は先にエヴァンさんの方に行く。代わりがいるならいいけど、これは俺に直接来てほしいって意味だと思う。だから、これは俺が行くべきだ」
大我「に」渡してほしいというメッセージの添えられたエヴァンのナイフを、大我自身がぎゅっと握る。
赤く光り、執拗に方向を教えているその動作は、確実に今この瞬間に何かが起きているという証左に他ならない。
それならこれは、今すぐに伝えられた通りに行くべきだ。大我はそう考えていた。
どちらの主張も間違いではない。優先度も、それぞれが持つ前提と感情で変わってくる。
だがそれは同時に、ピリピリとした雰囲気を黙って抱いていたエルフィとの衝突のキッカケにもなるのだった。
「そりゃそうだけどさ、こっちは世界全体に関わることなんだ! 今までアリア様にはこんな事態は無かったって記録もある。なら尚更、未曾有の事態には備えないといけないだろ!」
「エヴァンさんの方は今この瞬間に起きてるだろ! あの人ぐらいの強さなら、一人でもだいたいはなんとかなるんじゃないかと思ってる。そんな人が、仲間じゃなくて俺に託してるってことは、俺にしか出来ないことなんじゃないのか!? それに、こっちの方もまた、バレン・スフィアみたいな危機かもしれないだろうが!」
「そんなことはわかってるよ俺だって! けどこっちはどんな大惨事が起きるかもわからないんだ! 俺だって身体が二つになれるなら両方に動かしてえよ。けどそんなことできねえ! アリア様が崩れることは、世界の根が崩れるってことなんだ。お前だってそれはわかってるだろ!?」
「わかってるっての! だけど、お世話になった人をそのまま放っておけるかよ! しかもあの世界樹の中クソ広いだろ! それでその原因探るってなったら、その間にエヴァンさんの方が大変なことになってるだろ! エヴァンさんの方を片付けた後でこっちも急いでやるんじゃ駄目なのか!?」
「それこそ間に合わなくなるかもしれないだろうが! あんなまんま過ぎる偽者まで生まれて、今何か起きようとしてるのかもわかったもんじゃねえ。どっちを優先するかってなったら、俺はこっちなんだよ!」
エルフィの創造主への感情と、世界の均衡への意識に紐付いた焦りが表に溢れ、大我に対する言葉がヒートアップしてしまう。
それに釣られるように、大我の感情もやや尖った方へと寄っていき、だんだんと口調も激しくなっていく。
自分でもアリア側が危ないことはわかっている。けれども、友達の兄が自分に託し、応援を「今」必要としているなら行かないわけにはいかない。
明らかに熱くなっている二人の口論。それまで何度か発生し、ティア達もたまに見かけたような軽い喧嘩ではなく、本気の口喧嘩。
なだめようとするも、二人に割り込む隙がない上に、自分達の世界認識から少々ずれている部分もあり、下手に入ることもできない。
決着が見えないかと思われたその時、焦りから必要以上に血が上ってしまったエルフィが、とうとうある一言を口走ってしまった。
「世話になったってんなら、アリア様にも助けてもらっただろうよ! 放っておけないのは両方だろ!!」
「――――っっ!!」
最も言ってはいけない言葉だった。自分なりに折り合いをつけ、なんとか受け入れ慣れてきた彼にとっては。
反論を垂れ流す口も一旦引っ込んだ言葉だった。
その瞬間、エルフィは自分が言ってしまった一言にはっとし、口を噤んだ。
「……………………元はと言えば……元はと言えばお前らが俺の全部壊したんだろうが!!! 母さんも父さんも!! 帰る場所も! 友達もみんなも樫賀谷も!! それを偶然助かったからって、俺が人間だから助けて! 何もかも奪ったくせに、恩人ヅラしてんじゃねえよ!!!!」
息が切れるほどの、ありったけの感情をぶちまけた叫びに、周囲はしんと静寂が流れる。
エルフィはこの時、強く反省した。たとえ衝動的でも、これは言ってはいけなかった。
自分がアリア様のことを考えすぎたばかりに、ずっと一緒にいた大我の気持ちを蔑ろにしてしまった。
その一連の言葉を聞いたティアやアリシア、ラントも、何も言葉が出ずに黙るしかなかった。
神に帰る場所も両親も奪われたとは、樫賀谷とは一体、人間だから助けたとはどういうことなのか。
理解が追いつかないまま数秒の時間が流れた後、怒りに満ちた大我の表情も、やってしまったと落ち着きを取り戻した。
それから最初に口を開いたのは、エルフィだった。
「わかった。俺一人で世界樹の方に行ってくる。大我はエヴァンの方に行ってくれ」
「…………わかった、ありがとう」
折り合いはついた。だがそれでも、二人の身体はその場から動けなかった。
その緊迫を解いたのは、大我だった。
「…………悪かった、あんなに怒りに任せて喚き散らして」
「…………謝るのは俺の方だ。お前の気もちも考えず、言っちゃいけないことをいっちまった。ごめんな、本当に」
「それじゃ、あたしはティアを家に連れてくから。心配しないで、その後はあたしが守っとくから」
沈みすぎた空気を切り裂くように、アリシアが意図的に明るく割り込み、それぞれがこれから行うことをまとめていった。
この時みんなの心は、心底助け舟を出された気分だった。
「んじゃ、先に行っとくわ! 大我、お兄ちゃんをよろしくな!」
そう言ってアリシアは、そそくさとティアを背負い、フローレンス家の方へ走り出した。
「た、大丈夫なのかな……二人共」
「大丈夫だよあれなら。ティアも心配し過ぎると、身体に毒だぞ?」
「あはは……そうだよね。きっと大丈夫だよね。大我とエルフィなら」
何も口に出すことはできなかったが、ティアは二人のことを心底心配していた。
けど、ちゃんとお互い謝れたのなら大丈夫なはず。そう思い、そのまま身体を背中に預けた。
「俺も付いていくぞ。戦力なら多いほうがいいからな」
「わかった。それじゃあ行って来る。出来る限り早く戻ってくる」
それに続いて大我も、志願したラントと一緒に、ようやくナイフが指す南門の方向へと走り出した。
一人になったエルフィは、溜息をついて、自分の未熟さを噛み締めた。
「まだまだだな……大我の相棒としても、アリア様の部下としても」
もう少しやりようはあったのかもしれない。どの選択肢が正解なのかもわからない。
ともかく今は、自分がやるべきことをやろうと、エルフィは偽ティアの残骸を、岩で作った繭のような球体に包んで保管し、それを持って世界樹の方へと飛んでいった。
南門から出て、ナイフに従って走る道中。
ラントはふと、先程の喧嘩から気になっていたことをぶつけた。
「大我、どうしても気になってたんだけどよ……お前、本当は一体何者なんだ」
「何者って?」
「ずっとわからなかったんだよ。なんでよそ者のお前か神様に選ばれたのか、どうしてそんなに皆に比べて打たれ弱いのか。強いのか弱いのかもわかんねえ。今は強いとは思ってるけどよ……それに、神様に家族も何もかも壊されたってのも気になって仕方ねえ」
「………………」
「人に過去を聞くってのは失礼で野暮ってのはわかってる。お前のことも信頼してる。けど、どうしてもそれが気になって仕方ねえんだ。話してくれるか」
「…………戻って話しても大丈夫だったら話すよ」
「よっしゃ。そんなら、絶対に生きて帰らねえとな!」
「――――そうだな!」
純粋な疑問ではあったが、それが結果的に気持ちを引き上がらせるキッカケとなった。
大我とラントは、まっすぐ道標の示す先へと、止まらず足を進めていった。
* * *
時間は少しだけ戻り、エヴァンのナイフが光り動き始めた直後。
アルフヘイムの南門からずっと離れたシルミアの森、その中に目立つくらいに大きく開けた、切り株すら無い広い空間。
そこに足を踏み入れたのは、大我達が偽ティアを探していた頃に姿を消した、セレナだった。
しばらく余裕のある足取りで進み続け、そして、その中心に近い場所で立ち止まると、ふっと後方を振り返った。
「そろそろ顔出したらどうですかー? こそこそしてても、ストーカーしてるのバレてますよー?」
木々が立ち並ぶ方に向かって、何者かの存在を把握しているような言葉を投げかける。
すると、そこから一人の男が、素直に姿を現した。
その人物は、エヴァン=ハワードだった。
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