第190話

「そ、それじゃあ……これから夕食の準備をしますね…………そろそろ、時間的にもそんな時間だと思いますし……」


 緊張と驚きから全く喋れなかったルイーズがようやく口を開き、一旦混乱した精神をリセットするという意味もこめて、恐る恐る一度家の方へと歩き出していった。

 その言葉に、そういえばと空も含めて周辺の明るさが弱まり、日が沈んでいることに気づいた。


「もうこんな時間か……」


「夜はネクロマンサーが動きやすくなる時間帯とは聞きますね」


「奴らは暗闇でも昼間のように視界を作ることができる。戻る前に軽く周辺の様子を見たが、それらしいのは今の所いなかった。痕跡も無かったが……油断は禁物だ。完全に暗くなる前に、とっとと中に入るぞ」


 ルイーズの帰宅を合図に、それについていくように家の中へと入っていく一行。

 だがラクシヴだけは、移動する素振りも見せず、その場に笑顔で留まっていた。


「ラクシヴ、入らないのか?」


「あー、あたしはここで見張っててあげるよ。お腹もあんまり空いてないしね。それに…………」


 ラクシヴは右腕を前に突き出す。すると、ゴリラから人間の女性的な形へと次々に変化していった腕がピンク色に近い肉の色に変わり、ぐじゅぐじゅと形を崩してスライム状になって地面にこぼれ落ちていった。

 落下した液状のそれは、ひとりでにぐにぐにとアメーバのように動いている。


「あっしならこうやって見つかりにくくできるからさ。何かあったらすぐに知らせとくよ」


 久方ぶりの再会にも関わらず、自ら監視役を買って出てくれるラクシヴの優しさに、大我は形はどうであれやっぱり優しい人だという印象を抱いた。


「じゃあ、言葉に甘えて任せるよ。もし腹減ったらすぐにでも戻ってきてくれよな」


「はいはーい! そういうとこはちゃんとするぜよ」


 短くなったどろどろの右腕でサムズアップの形を作りながら、ラクシヴは気を遣ってくれた大我の背中を見送った。

 全員が家の中へ入ったのを確認した後、ラクシヴの視線は離れた位置に建てられている小屋へと移る。

 そこにいたのは、大我達と同様に作業を中断し、ぞろぞろとおぼつかない足取りで室内に入っていくワルキューレ達。

 たまに個体同士ぶつかってふらついたりしているが、なんの指示もなくともそれなりに統率が取れており、まさしく死にながら動くという言葉を思い浮かべそうになった。


「あんなにもなって動けるなんて、タフなんだかなんだか……ま、死なない私が言えることじゃないけど。んじゃ、ちょっと見回りしてこようかな」


 無数の死骸が歩く音も消え、冷たい風に吹かれる木々と、ぶつかり合う木の葉の音が鳴り響く。

 ラクシヴの動物の力を利用した研ぎ澄まされた耳には、その中に混じる余計な音は今の所聞こえない。ということは、残りのネクロマンサーはまだ近づいてすらいない。

 だからといって、油断をしてはならない。それもまた、自分の存在を確固たるものにしてくれた大我達へのお礼のため。

 ラクシヴは自身の身体を崩して無数の足を作り、一本だけチンパンジーの腕を形作る。

 柔らかな肉をゴムのように伸ばして木々を握り、空中へと渡り歩く。

 決して余計な音を出さないように立ち回りながら、ラクシヴは再び、一時的に森の中へと消えていった。

 飛び去る瞬間、ラクシヴの脳内に何かひっかかる記憶が浮かび上がった。


「でもなんか、あのゾンビみたいな娘たち、見たことある気がするなあ……ま、あとでいっか」



* * *



 それから間もなく、空が暗くなった時間帯。

 ルイーズの自宅から大きく離れた、一本の大きな倒木が横たわるある一角。

 そこにはラクシヴが捕まえ、肉塊を身体に貼り付けられ動きを封じ込めていた、三人の追手のネクロマンサーがなんとか抜け出そうともがいていた。

 一人は三十代程の男で、二人は女性。片方はそれなりに若く、もう一人は二十代後半ほど。

 自身が使役する、殺した一般人を材料にしたアンデッドも破壊され、なんとか自分の力で抜け出そうにも肉塊の力はそれを超えて強く、びくともしなかった。


「このままじゃ先を越される……」


「ヘルゲン様への手土産を持っていけると思ったのに、あんな邪魔が入るなんて!」


 三人が狙っているのは当然ルイーズ。

 彼女を捉え、自分達が所属するネクロマンサーの組織ボスへの手土産にして地位を得ようとして、ほぼ無策のまま突っ込んでいったのだった。

 その結果が、今の状態である。


「せめて一体でもアンデッドが作れれば、この気持ち悪い術から抜け出せそうなのに」


「いるではないか、その材料なら」


 突如森の中に聞こえた、脳を通り抜けるような優しい男の声。それを聞いた三人は、喚く余裕すら無くしたように息を飲み、表情も動作も凍った。

 一歩一歩近づいてくるただの足音。ただの足音のはずなのに、畏怖、恐怖が脳天から足先まで包み込んでくる。

 そして、その声の主が三人の目の前に現れた。


「へ、ヘルゲン様……!」


「ど、どうしてここに……!?」


 性別を見まごうような艶めいた黒い長髪に、全身を包むような漆黒の意匠。

 紅く光る右の眼に、全てを見通ているような、一見普通にも感じる不気味な笑み。

 その男こそが、ネクロマンサー組織のボス、ヘルゲンだった。


「も、申し訳ありません! このような失態を……」


「いや、まだだ。まだ失態は犯しちゃいない。彼女を見つけるまでに死んですらいないのだから」


 怒ることもなく、咎めることもしない。差し向けられた表面的な優しさが、三人に根源からの恐怖を吐き出させる。

 と、ヘルゲンは青白い肌をした右手を前に突き出し、ゆっくりと若い女性ネクロマンサーへと伸ばした。


「ひっ……! な、なにを……ヘルゲン様…………」


「死体が無いと作れないなら、死体となれば良いんだ」


 次第に過呼吸となり、今にも泣きそうな程に表情をくしゃくしゃにするネクロマンサー。

 身体を肉塊に封じ込められているために抵抗もできない。

 ヘルゲンが右手をその頭部に当てると、女性は目を見開き震え始めた。


「あ、あああ……ああああああ!!!」


 苦痛に歪む声が暗闇の中にこだまする。ヘルゲンは無駄にその音を響かせないようにと、無理矢理外部からその音量を下げた。


「あがっ! ぎっ!? うえええいあががぐぐ!? 39#(2!? ⬛⬛!!! ⬛⬛pmgd!!??」


 ボリュームコントロールされた絶叫が三人の間に劈く。

 左右、苦しむ彼女の側で苦しみを耳元で聞く二人には、これ以上ない程の恐怖が全身を支配した。

 そして、地獄から噴き出すような声が収まり、がくんと首が力なく落ちた。

 それから数秒程置き、びくんと痙攣を起こして頭が起き上がる。

 先程までの喜怒哀楽を示していた表情は無くなり、だらしのない無表情へと変わり果ててしまった。


「う、あ…………あ゛…………??」


 自我を失ったネクロマンサーは、それまでまともに引き出すことも出来なかった怪力を用いて、自身の身体に付着した肉塊を無理矢理取り除いていく。

 皮膚の下から金属骨格が軋む音が鳴り、肩の関節が勢い余って可動域を超えて折り曲がる。

 しかしそんな状態にも、アンデッドは痛がることもない。

 それまで共に頑張っていた仲間が、自分達が使役していたアンデッドのように意思なく肉を引きちぎる様子に、二人はただ怯えていることしかできなかった。


「さ、まだまだこれからだ。ルイーズを見つけるまで頑張ってくれたまえ」


 ヘルゲンの言葉には、指示を伝える以外の余計な感情は何もこもっていなかった。

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