第138話
ほんのりと空に橙色が混ざり始めたかどうかという時刻。
ひとまず全ての用を終えた大我とエルフィは、手元に小さな布袋を二つ携えて家までの帰路についていた。
「なあエルフィ、あとでなんかいい感じのバトル物映画とか見せてくれよ」
「いきなりどうしたんだよ」
「なんか戦いとか技の参考になんねえかなーって」
「あー……よくある典型的なパターンなやつだ」
雑談を交える余裕が出来るほどに慣れた道を歩く、すっかりと住人の一人として溶け込んだ大我。
そうして何事もなく、いつものように自身の住家へと到着した彼らの目に入り込んだのは、予想外の光景だった。
「あれ、直ってる……?」
「え、一日どころかまだ半年も経ってねえぞ」
なんと、フローレンス邸の吹き飛んだ筈の屋根や壁が元通りに直っていたのだ。
しかしぱっと見のインパクトには驚いたものの、よくみると微妙に残っていた部分と壁の色があっておらず、備え付けられた窓もどこか仮取り付けのような雰囲気が漂っていた。
「あら、おかえりなさい二人共。あの娘はどうしたの?」
驚きから疑問へと思考が移り変わっていた二人の元へ、ちょうど外に出ていた最中のリアナが話しかけてきた。
「あの人……ラクシヴは世界樹の中にちょっと残ることになりました。あとでまた戻ってくると思います」
「そうなの……あの娘、ラクシヴって言うのね」
「あの、なんかちょっと目を離した隙になんか殆ど直ってるような……」
「ああ、あれ。明日雨が降るとかで、流石にあの状況でそのままにしておくのは危ないから、応急処置としてああいう屋根と壁を備え付けたんですって。本当に仮の立て付けだから簡単に壊れちゃうらしいけど、これなら雨程度はなんとかなるだろうって」
「そうだったんですね……」
「本格的な修復は雨が上がり次第か明後日らしいから、それまではちょっと待っててね。それじゃ、私は買い物に行ってくるわ」
家が壊れたとは後とは思えないくらいにいつもと変わらぬ落ち着いた様子で、リアナは優しく楽しげな笑顔を振りまき、二人の側から去っていった。
明日の天気に備えた仮の立て付けとはいえ、時折吹く風に動じる様子も無い。
ここまで即座にクオリティ高く取り付けてしまうことに、ドワーフ達の技術力の高さ、作業の早さを感じずにはいられない。
二人は家に入り、ひとまず自分の部屋を目指していると、食卓のテーブルに突っ伏しぐったりとした様子で座り込んでいたティアが目に写り込んできた。
いつも明るく光の雰囲気を纏っていた彼女が、珍しくどんよりとした空気を放っている。
大我は手元の袋を握り直し、対面の席へと座る。
「ただいまティア」
「……おかえりなさい」
「何かあったのか?」
「…………私の大好きな壁飾りが吹き飛んでたんです。ずっとほしくて、お金を貯めてやっと買えたのに…」
よほどダメージが大きかったのか、声のトーンが一段と低く、重石をつけられたように沈んでいる。
周囲の誰が悪いわけでもないし、犯人も既に確保されている。だが、突如巻き込まれた上にそんな大切な物が何の前触れも無く消え去ったとなれば、心の拠り所をどこに置けばいいのかわからなくなる。
ずっともやもやした気持ちを抱えながら、ティアはこうしてずっと塞ぎ込んでいた。
そういうことだったのかと、目に納得の動作を表した大我は、ずっと持っていた荷物をテーブルの上へと置く。
「一緒に食べないか? せっかくだから買ってきたんだ」
暗い空気の中で大我が布袋から取り出したのは、紙袋に包まれた小さなふわふわのシフォンケーキだった。
ユグドラシルへと向かう前、大我はティアの落ち込んだ様子が一瞬視界に入っていた。
その時こそ何があったのかは察知できなかったが、ともかく何かしら慰めたりできないだろうかと思い、帰宅前に一度寄り道していたのだった。
「………………」
ティアは黙ったまま、手に撮ろうともせずじっとそれを見つめている。
続けて大我は、もう一つの袋から小さなアクセサリを取り出した。
それは、鮮やかな緑に色付けされた、特徴的な形状の木の葉を象った髪飾りだった。
「そこまで落ち込んでるとは思わなかったんだ。けど、今までのお礼の一つもこめてそれでも渡しておきたい」
いつも世話になってばかりで、自分からは何も返すことができていなかった。
こういう時ぐらいはその借りを返せないかと、無理に踏み込まないようにしつつ傷心を少しでも回復してほしい。
そう考えて、大我が至った結論と行動がこれだった。
「………………」
再び重い沈黙がテーブルの周囲を包む。
なんだかいたたまれなくなってきたと、エルフィは苦しい気持ちから一度その場を離れようとしたその時、ティアはそっとシフォンケーキを手に取り、じっと見つめた。
「…………これだけだと口の中乾いちゃいますよ」
仕方ないなあという意味合いが困ったような優しい息を吐き、ティアは席を立ちその場を離れる。
まずい、これは怒らせてしまったかと内心に溢れる不安感に圧されていると、ティアはすぐさま戻ってきた。
両手にはミルクが注がれた木のコップが二つ、ふよふよと空中に浮かぶ同じ中身のコップが一つ。
一度離れた後のティアの表情は、まだちょっと暗いながらも大きな憑き物が取れたようにも見えた。
「これにはやっぱり、牛乳が合いますよね。ですよね?」
「ああ……まあな。俺もそう思う」
「ふふっ、ごめんなさい。まだ割り切れはしないですけど、ずっと塞ぎ込んでもいられませんよね」
三人分の飲み物を置き、言葉で自分を落ち着かせながら席に座る。
「……俺にも、似たようなことがあってさ。子供の頃、ゲーム……欲しかったおもちゃがあったんだ。必死に小遣い貯めて、ようやく買えたんだ。けど、それがクッションの下に隠れててさ、親父がそれを踏み潰しちまったんだ。そん時はもうずっと泣いてたな」
近く遠い過去の思い出話を、買ったシフォンケーキをちびちびと食べながら口にする。
ほんの少し千切った分は、エルフィに分けてあげる。
「それから……どうなったんです?」
「ものすごい謝りながら改めて買ってもらったっけ。なんだかんだで優しい人だった」
乾いた口を冷えた牛乳の味と脂肪分で覆い、豊かな風味を噛みしめる。
「その壁飾りについても、何か話とか無いか? さっきそんな感じのこと言ってたし。この際気分転換も兼ねて、無念を晴らすって意味でも打ち明けていこうぜ」
「大我……」
親には気を遣い溜め込んでいたが、その器からすくい上げてくれる言葉をかけてくれたならば、そんな気もちを無碍にする理由はない。
心に毒になるような行為を打ち消せるなら、それに喜んで甘えよう。
本当に大我は優しいねと、言葉には出さず笑顔に込め、二人と一人はそれからしばらく、シフォンケーキと牛乳をおかずに楽しい会話に花開いた。
そしてそんな二人の様子を、エリックがそっと見守っていた。
「この雰囲気に立ち入る程僕は野暮じゃない……野暮じゃないんだ……ありがとう大我くん……娘に優しくしてくれて……」
「はいはい、こっちはこっち用事あるんですから、行きますよ」
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