第121話 滲む陰

「こんな食うのむずかったっけ……けどやっぱうまい」


「お前こういう時にまで食い意地張るのな」


「そういうわけじゃねえって。リアナさんの飯はすっごいうまかったけど、こういうのも恋しくなってきてさ」


 香辛料のガッツリ効いたグリルチキン、レタス、トマト、チーズをこんがりと焼いたパンに挟んだチキンサンドを左手で持ち、震えながらなんとか口にする大我。

 エルフィの魔法と全身を使った支えもあり、そのリハビリは非常に順調に進んでいた。


「やべっ」


「あっぶねー……たたでさえこぼすんだからよ、その手だったらもっとやっちまうっての」


「あはは、わりいわりい」


「よかったら、紙もう一枚使うかい?」


「すいません、助かります」


「いいってことよ。その身体を押して来てくれるとは光栄としか言えないからな。だが、無茶はするんじゃないぞ」


 店の主人の気遣いに触れて、治りかけの身体に染み入る優しさを受けているその最中、二人の場所から300mほど離れた位置で、人間で言えば20歳程の女性のエルフが数個のりんごを自前のカゴに入れ、店主との間で会計を済ませていた。


「600ヒュームね。どうもありがと!」


 笑顔で手を振り、見送る店主を背に、彼女は家で待つ弟と一緒に食べるおやつとして、りんごを買いに来ていた。

 それを達成する為に、ちょっと寄り道したいなーという誘惑と戦いながら帰路についていたその時、一歩前に踏み出した右足がガクンと震える。


「早く帰らナいと……かえらら……ないと……」


 表情は少し楽しげだったその時点で固まり、言動もどこか不具合を起こした機械人形のような雰囲気を帯び始める。

 彼女は身体の向きをそこから90度転換し、暗闇の路地へと足を踏み入れていった。

 

「あは、は、かか、かえ、る。帰ららないと。帰るわ。いい一緒に食べマまます食べようよ?」


 人の視線が向けられない道で、ふらふらと右に左に身体をぶつけながら少しずつ前進する。

 そして、おもむろに購入したりんごを一つ手に取り、壁と向き合いながら唇に当てた。


「どうう? おおお姉ちゃんちちちゃんとめめ目利きししして買った買ったたたたのよ? おいしししし…………」


 まるで目の前で弟と触れ合っているかのように崩れた独り言を喋り続ける。

 その時、彼女の進行方向側から、奇妙な空気を割るように一人の男が近づいてきた。


「これで今日三人目……か。多いね」


 白目まで黒く染まった右眼に、赤黒いヒビのような紋様が走る右手。

 そこに現れたのは、何かの気配を感じ取りやってきたエヴァン=ハワードだった。


「誰? 誰れれれれ? 私たちの家に家に入ってきますきてるなぜ?」


 なぜ私達の家に入ってきているの? と、言いたいのかもしれないが、現状への正常な認識が出来ていないことと支離滅裂な言動が合わさり、まるで怪物への変異を起こす直前のような様相を呈していた。


「待ってて、すぐに解放するから」


 慣れた雰囲気で一切の様子に動じず、そっと腕を伸ばして彼女の頭に手を触れる。


「なななな、触らないでやめるやめて、警告、接触をやめ……」


 当てられた手を払い除けようと、左手が虚空を何度も通り過ぎる。

 そして、りんごを持った右手をエヴァンに当てようとしたその時、全身をガクンと震わせた、電子音混じりの悲鳴を上げた。


「ややややめやめmmm、あがっ、がが、g$_73$=@%+<¥!!? ああ……ああえああアアあ…………」


 遠くまで漏れないレベルの音量に調整されながら、到底人が上げるものではない声を出す彼女。

 少しずつながらもやがてそれも収まり始め、綺麗な直立の姿勢を保ったまま膝を崩した。


「あ、あれ、私は一体……ううっ」


 顔に元の生気が戻り、突如発生した響く頭痛に軽く唸りつつ立ち上がった。

 そんな彼女を、エヴァンは優しく介抱した。


「もう大丈夫だよ。歩けるかな?」


「は、はい……あの、一体何が……」


「少し気を失ってたんだ。まだ何かあるといけないから、僕が途中まで送ってくよ」


「すみません……どなたかちょっとわからないんですが……ありがとうございます」


 ぼやけた視界の中で、助けてくれた見知らぬ人に縋るように肩を持ち、意識がはっきりするまでしばらくエヴァンと共に歩き続けた彼女。

 そしてエヴァンは、不安を抱かせないように、無駄な警戒を生じさせないようにと、最後まで出来る限りで寄り添い続けた。



* * *



 助けた女性とも別れたエヴァンは、脳裏に浮かんだある情報を手に入れるためにネフライト騎士団本部へと向かっていた。


「僕がいた頃はさすがにここまで多くはなかったはずだけど……可能性は無くはないかもしれないな」


 ここ数ヶ月の間、穢れに侵され異常な言動や行動を起こすものが体感的に増えていることを感じていたエヴァン。

 しかしそれはあくまで体感。偶然にもその現場に何度も居合わせているだけなのかもしれない。

 だが偶然と片付けるには、さすがにその頻度がとても多い。半ば確信に近い疑いを抱きつつ、最もそれに遭遇する人々の集まりであり、さらにある程度正確な数を把握、記しているであろう場所へと向かっていたのだった。


「穢れに侵された人の数……ですか?」


「ええ。何か、今までとここしばらくでおかしいなと思ったことはありませんか?」


 エヴァンと応対した騎士団の男性は、頭を捻り過去の出来事を思い出す。


「うーん…………確かに、最近は増えているような印象は受けますね」


「やっぱり」


「もっと言えば、皆さんがあのボアヘス……でしたっけ。奴を封印して以降……という感じですね」


 エヴァンはその材料を元に考え込む。


「まあ、奴が身体を泥みたいに撒き散らしたのもありますし、それが穢れを発生させたとも考えられますが……」


「わかりました。協力していただいてありがとうございます」


「いえいえ、力になれたのなら幸いです」


 騎士団本部を離れたエヴァンは、入口までの道に植え付けられた巨大な樹のうち一本を背もたれに、得られた情報を整理していった。


「B.O.A.H.E.S.が穢れを撒き散らしたのはありえないとして……それがターニングポイントなら、何か引き金となる出来事があるはずだ。一体何が……」


 エヴァンは自身の身体が機械であると自覚している以上、B.O.A.H.E.S.の肉が穢れとは無関係であることははっきりと確信できる。

 それ以外に起きた大きな出来事と言えば、バレン・スフィアの消滅程度。それはむしろ穢れが減るはずの事象。

 原因のフロルドゥスと呼ばれる女性も、大我が破壊した事は本人から確認した。

 であれば、他の原因を探る必要が出てくる。


「………………誰かがアルフヘイムで穢れを蒔いている……? いや、でも誰がなんのために……」


 考えども考えども、それに至る糸が見えてこない。

 しばらく無言のまま思考を続けたエヴァンは、一旦諦めをつけて木から背を離した。


「ダメだ。今はまだ材料不足だ。もっと情報を集め無いと」


 考えども考えども答えには至らない。それを判断、確定するための材料と選択肢があまりにも少なすぎる。

 今焦って動いてもいい方向には動かないだろう。そう判断したエヴァンは、ひとまず息抜きのために待ちの外へと出ることにした。

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