第98話
どうして早く気づけなかったのか。動作を完全に封じるにはうってつけの魔法が自分達には存在する。
時間を止めるかの如く全ての動作を封じ込める凍結。自然界に存在する、生物に課する極限。
氷魔法ならば、完全にはうまくはいかずとも一時的にその動作を止めることはできるかもしれない。僅かにでも何もできない時間を作ることができれば、あとは完全にB.O.A.H.E.S.そのものを改めて封じ込めることも夢ではないかもしれない。
雁字搦めに巻きつけられた鎖が一つ一つ壊れていくような感覚。だが、それにはまたしても問題があった。
「……ダメだ。僕の力では奴には足りない」
エヴァンにも氷魔法の心得はある。それこそ、そこらのエルフや魔女、魔術師よりはそれなりに使いこなせる程の物を。
だがそれを以てしても、おそらくはB.O.A.H.E.S.の全身を完全に凍結させるには到底及ばないだろうということだった。
心臓や脳のような、突かれれば動作全体に致命的な影響を及ぼすような機関があれば話は変わる。しかし目の前にいるのは、不老不死を体現した不死身の生物。様々な生物の身体の一部を無意味に作り出したはいるが、そこに現れた頭部や心臓をついたとしてもなんら影響は無いだろう。
無茶苦茶な規模の怪物を、長い時間かけることなく確実に凍らせなければならない。そうなれば、エヴァンの氷魔法の実力でもまず追いつかない。
最も得意とする炎魔法で吹き飛ばすことが出来れば簡単な話だったが、その対処法とは明らかに相性が悪い。
滅多にしない舌打ちを鳴らし、エヴァンは目の前の戦いに集中することにした。
「どれだけ尖兵を作れば気が済むんだ……はぁっ!」
肉槍から生み出された人型の肉兵が、生物の武器を身体中に生やしてはふらふらと近づき意思もなく振り回す。
しかしこの程度の攻撃に怯むエヴァンとエミルではない。二人は剣の一振り、一体化させた槍の一振りによって炎の波動を広範囲に放ち、一瞬にして近づいてくる敵を薙ぎ払った。
二人は未だ戦える様子を見せているが、着実に重なっていく疲労。それはひたすらキメラを薙ぎ倒し続けるバーンズ達も例外ではない。
一人でペースを落とす様子も無く戦い続けるリリィを横目に、冷や汗の見えそうな表情で少しだけはにかんだ。
「いい加減しつこいってーの!!」
倒しても倒しても湧き出てくる敵に隠せない苛立ちを吐き出しながら、アリシアは要であるラントを守る為に降り注ぐ流れ星のように炎の槍を何発も放った。
肉兵と、肉塊を、キメラを貫き焼き払う。
だが必死にそれらを倒しても短い時間の気休めにしかならず、何度も何度もまるで亡者のように湧き出てきた。
「あ⬛アア⬛⬛ァァぁ⬛⬛aaaa⬛ああ!!」
またしても空を割くB.O.A.H.E.S.の鳴き声。
無数の腕をゆらりと動かし、一歩、また一歩と地響きを鳴らしながら突進する前兆のように歩みを進め、静止する。
そして、B.O.A.H.E.S.は再び無数の肉塊を、散弾のごとくさらにアルフヘイムへと放ち始めた。
「今度はそうはさせない!」
「街の人々に危険を及ぼしてたまるか!」
もうこれ以上、アルフヘイムに未知なる危険を及ぼすわけには行かない。
エヴァンとラントは再び雑兵が集まってくるまでの僅かな時間を使い、今出せる限りの炎の衝撃波と斬撃を放った。
肉の雨を焼き切り、焼き落とし、疲弊し始めた二人が6割程の量を蹴散らすが、それでも全てを撃ち落とすには至らなかった。
銃弾のような速度で放たれたそれは南門の壁を貫き、次々と穴を開け、じゅくじゅくと絡みついては蔓のように張り付く。
そして、世界樹の方向へと放たれた二度目の攻撃。人々の心に恐怖が伝染していく。
「また来たぞ!!」
「いやぁ! こないで! こないでぇ!」
一度目は何者かによってはたき落とされたが、それが誰かもわからない。また守ってくれる保証も無い。
今度こそ自分達に毒牙が襲いかかると絶望しかけたその時、鎧を纏った二人の男女が、家屋の屋根の上でそれぞれに弓を構え、ロングソードを構え、一切の動揺無き所作で襲い来るそれに正面から立ち向かった。
一人はネフライト騎士団のシャーロット。そしてもう一人、中性的な容姿を持つ、金髪の美青年とも言える輝かしさを持つ男ミカエル。
「氷精の反絶!!」
「レイストライク!!」
二人の周囲に数え切れない程の氷の矢が生成され、一発一発が肉塊目掛けて正面から突っ込み相殺させる。
ミカエルの光り輝く刃の一突きによって放たれた一筋の光線。それは瞬く間に樹の根の如く分散し、まるで光の網のような光景を作り出す。その熱光線は一撃でばら撒かれた肉を焼き落とし、燃え尽きた花火のように消えていった。
「ふう、さすがにこういう対処は堪えるわね。がっつり集中してないと持たないわ」
「それくらいでへばってるのシャーロット? 僕はまだまだ行けるよ」
「私だっていけるっての! ったく、いちいち生意気なんだから」
「褒め言葉ありがとね」
爽やかな顔でいちいち少しだけイラッとさせることを口にして、味方の感情を焚きつけるミカエル。
一先ずの波を乗り越え安心したのも束の間。直後にさらなる攻撃の気配を感じ取る。
「来るよシャーロット。それも、結構大きそうなのが」
「ええ、だんだん近づいてくる。これ……少し嫌な予感がするわね」
二人が捉えた巨大な肉塊。飛来する短い間に、無数のそれがまるで磁石が砂鉄を吸い付けるように結合し一つとなり、体積を拡大させていったものだった。
風の壁を超えながらB.O.A.H.E.S.の本体と同じように身体を変化させ、ケルベロスのように進行方向に向けてチーター、狼、犬の頭を大きく作り出し、涎を垂らしながら正面の合わない眼をぐるぐると回した。
「……醜すぎて吐き気がしそうだ」
「嘘でしょあんなのアリ……?」
見ることすら心底嫌そうに侮蔑の表情を見せるミカエルと、怪獣のような姿に変化する様に反則じゃないのかと引き気味に少しだけ身体を仰け反らせるシャーロット。
「けど、そうも言ってられないよねぇ!」
「同感! なんとしてでもここで撃ち抜く!」
だが、二人はここで大人しく怯え下がるような魂ではない。
剣を眩く輝かせ、空間に無数の氷の矢を生み出し、二人はそのキメラの如き生きる弾丸に同時に光の斬撃を、一人射撃部隊の如き氷矢を放ち、決して避けることは敵わないであろう密度の高い攻撃を放った。
斬撃が煌めき、氷矢が星のような輝きを放つ。
チーターの頭部が光の刃によって風に溶けるように跡形も無く大部分を消し飛ばされ、狼の頭部が豪雨のように飛んでくる氷の矢をもろに喰らい、次々と貫かれ、肉を抉り削れていった。
しかし唯一生存した犬の頭部が、残された身体から翼を生やし、さらに加速して世界樹の広場の方向へと鉄砲弾のように突進していった。
「あんなに吹っ飛んだのに、なんでなんともなさそうなのよ!」
「下がれシャーロット! ここは僕が止める」
さらなる追撃を仕掛けようとしても、既にその準備が間に合わない距離まで接近を許してしまった。
一撃によって屠れなかった自分の不覚。ミカエルは輝く刃を構えて精神を研ぎ澄ませた。
「ここだ!」
速度、タイミング、斬撃の角度。完璧としか言いようがない瞬間を捉え、ミカエルは一閃によって犬の頭を綺麗に真っ二つに斬り断った。
「手応えはあった……だが、あれは止まっていない!」
斬撃の瞬間、刃に触れた断面から繊細に感覚を掴み取る、
確かに自身の正確無比な一撃は命中した。だが、ミカエルが剣から手から感じ取った感覚が残酷に伝えてきた。こいつは死んでいないと。
「まずい、あれじゃあみんなに当たる!」
前線へと乗り出しておらず、情報の足りていない二人が直面した予想外のしぶとさ。
人々を守ることが役目の騎士団として決してあってはならないミス。
シャーロットは焦りを胸に空間を凍結させながら飛び進み、ミカエルは冷静に踏み止まり、次の攻撃への警戒をさらに強く光らせた。
「間に合わない……!」
世界樹へと飛んでいく、真っ二つに割れた犬の頭。混乱がピークに達し、人々の不安が決壊してしまう。
シャーロットが息を呑んだその時、犬の頭の予測される着弾地点。そこに一人の男が世界樹から飛び出してきた。
「どりゃああああああ!!!!」
筋骨隆々な剛腕から豪快な拳撃が放たれる。
飛来したそれはたった一撃でまさしく肉塊となり、跡形も無く吹き飛んでしまった。
「ふむ、復帰戦にしてはまだ物足りないな」
「あ、あれは……もしかして……」
それをキッカケに、次々と世界樹の入口から何者かが歩き出てくる。それを見た人々は一斉にざわつき、その者達との距離が近いものから、歓喜の表情へと変わっていった。
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