第96話
「無理せず回避するんだ! まともに付き合おうとするな! 無理と判断したら、反撃せず逃げることに専念しろ!」
何が来るかはわからないが、何かが来るのは間違いない。とても大きな予備動作によって警告と指示を飛ばす時間は与えられたものの、額に銃口を当てられたような間近に迫ったそれは、その場の空気を大きく変えるには充分だった。
そして、突き付けられたその宣告は止められることなく実行された。
巨人が巨大な槍を突き刺すように、人間が手のひらでアリを叩き潰すように、B.O.A.H.E.S.はその腕と触手をただ本能のままに激しく殴り振り下ろした。
筋肉の塊とも言える身体から放たれる暴力、一撃一撃が大砲の弾のような威力で放たれる。
地面を抉り、爆発したような土煙を舞い上がらせ、身体を守る筈の鋼鉄の鎧を紙のように貫き叩き潰す。
「こんなのどうしろって……うわあああっ!!」
「よ、避けられねえ!」
回避が間に合わず防御に移った者は、剣を折られ、腕ごと心臓を貫かれ、一瞬にして鉄屑へと変わり果てた。
「みんな……! くっ!」
モンスターに果敢に立ち向かっていた者達が、たった一瞬で死体へと移り変わっていく。覚悟はしていたが、そのペースがあまりにも早すぎる。
正体不明の敵への広範囲攻撃に真っ向からぶつかれないことを歯痒く思いながら、エミルはその剣で振り下ろされる触手と腕を避けながら叩き斬り、命中コースの一撃すらも反射的な回避によって鎧に掠める程度に止めた。
同様にエヴァンやリリィ達も、技量をフルに駆使して回避と防御を重ね、大きなダメージを追うことなくこの場を切り抜けた。
「大丈夫かアリシア!」
「あたしは大丈夫! そっちこそ大丈夫なの!?」
「俺は問題ね……うおわっ!?」
「ラントっ!?」
気休め程度の武器や防具も備えていないラントと、誰が見ても濡れた紙程度の守りにしかならない弓矢しか携えていないアリシアは、襲い来る一発一発をしっかりと予測込みで捉えながら高度な身体能力を活かして動き回り、掠めることすら許されない攻撃を必死に避けきろうとした。
しかし一瞬の思考の隙が生まれたか、一発の巨大な猿の腕が肩に命中し、風圧と共にごろごろと吹き飛ばされてしまった。
「いってぇ……クソ……大丈夫だよ……ぐっ」
肩を押さえて強気に自身の無事を伝えるラント。
だが、予想以上にダメージが大きかったのか、ふらつきながら咳き込みつつも、思わず喉から噴き出してしまいそうなうめき声を抑えた。
天からの裁きの如く降り注いだ攻勢がようやく止み、土煙が少しずつ晴れていく。
その先に広がるのは、無数の死体と重傷を負ってその場に苦しむ人々。中には人の形を保ってすらいない者まで存在した。
かろうじて傷も少ない状態で残されたのは、無差別に放たれた天災を捌き切った実力者と、運良く逃れることが出来た者達。
未だ闘志の消えぬ者もいれば、まるで理解の追いつかぬ悪魔を相手にしているような絶望感に押し潰され、眼の光が消えてしまった者もいる。
気まぐれに放たれた一回の明確な攻撃が、優勢かと思われていた状況を、僅かに見えていた希望を木っ端微塵に粉砕してしまった。
「こ……この……なんだってのよお前はーーーーーー!!!」
「やめろ! まともに近づいちゃ駄目だ! うわっ!」
その中の一人、運良く生存することの出来た冒険者のエルフの女性が、絶望的な光景を目の当たりにして一時的な狂気に蝕まれてしまったか、搾り出すような勇気を叫び、恐怖で瞳が揺れ動きながらも歯を食いしばりながら、手元のダガーナイフを携えて一気にB.O.A.H.E.S.へ向けて走り出した。
死ににいくような無謀な行動を目の当たりにしたエヴァンはとっさに叫ぶが、既に彼女の耳には届いていない。
追いかけようとした頃には既に完全に晴れきらない土煙の向こう側へと消えており、姿を見失ってしまった。
大地に突き刺さり動かなくなった触手や腕の隙間を縫って走り、彼女はもう目の前の敵以外何も見えていないが如く距離を詰めていく。
「――っ!! 今のうちに、持ち直した者や動ける者は怪我人を運び出すんだ! 今ここに置いておくのは危ない! また動き出す前に退避させるんだ!」
この突然の状況からハッと気づき、俯瞰的な視点に立つエミル。
激しく動いては止まり、また激しく動いては止まる。それがこのボアヘスという怪物の性質なのか、それともまだ本調子ではないのか定かではないが、ともかくこれは逃してはならないと、動けなくなった者の撤退を促し協力するようにと叫んだ。
それを聞き、傷ついた戦士達をそれぞれを背負い、肩に腕を回してはなんとか運び出す騎士団の団員や戦士達。
その姿を見た後方へと下がった人々は、エヴァンやエミル、リリィ達の奮闘、そして再びこの絶望的な攻撃が来るかもしれないという中で一人ひとり助けようとする勇気ある光景に、心臓を掴まれそうな感覚がありながらも少しずつ心を揺り動かされ始めていた。
「うう……うおおおおおお!!」
「俺も行くぞ! このまま足手まといでいられるかよ!」
今までいくつもの戦いを体験してきた。危うく死の危険に直面したこともあった。だがここまでの惨憺たる状況は見たこともない。
だがそれは、今目の前で立ち向かっている者達も同じはず。ここまでの圧倒的な差を見せられていながら、それでも折れずに戦っている。
それなのに、一度の咆哮で竦み上がり、手も足も動かない自分はどうしたのか。
エミルの叫びの火種によって一人ひとりの心に火が灯り、新たな勇気が燃え上がる。
「急げ! 早く連れて行くんだ!」
「激しく身体を動かすなよ! ゆっくり急いで運べ!」
「街の中へと運ぶんだ、ここに置いておくには危険すぎる!」
その感情は感染し、連鎖し、次々と折れかけていた人の足を動かす。怪我人を運び出しそれぞれの判断で安全な場所へと誘導し移動させ、着実に不安要素は削れていく。
そして、傷ついた者達はなんとかその場を逃れられ、命拾いすることとなった。
「うわああああああああーーーーー!!!」
一方、悲痛な声を燃料に、涙を流しながら突貫をかけるエルフ。次々と襲い来る触手と腕を反応のみで避け、一気に詰められる距離まで来たと感覚で掴んだ直後、右足をバネのように思いっきり踏み出し、B.O.A.H.E.S.に向かって飛びかかった。
「やった! 届い……た……!?」
二本の刃は、B.O.A.H.E.S.の身体へと突き刺さる。肉が裂け、血が噴き出し、傷の周囲がぶるっと震える。
攻撃が届いた事実に安堵の声を漏らしたのも束の間、まるで花のように傷を中心に肉が大きく開き、エルフの女性を取り込み始めた。
「えっ、嘘、やだ、なんで、抜けない! なんでよ! ナイフが通ったのに! やだ、やめ、やっ……ああ゛あああ゛あ゛あああああ!!!」
一度刺さった刃が押しても引っ張っても動かすことができず、次々と腕や足が沈み込み包まれていく。
蝕まれた狂気のままに突っ込み、いざ一撃が通ったと思ったその時には、いつの間にか八方塞がりになりようやく正気を取り戻した。
しかしその時にはもう遅い。全身が奥へ奥へと取り込まれ、内部でバキバキと腕や足、身体が潰れ折れていく音が内側で鳴り響く。
音は肉塊によって外まで通らず、皆に聞こえてくるのはエルフの悲痛な叫び声のみ。
その断末魔が聞こえて間もなく、B.O.A.H.E.S.の背中から無数の金属部品やぐちゃぐちゃに折れた四肢、腹部から捻じ曲げられた胴体、苦痛に歪んた表情で停止した頭部が吐き出された。
有機物を無差別に吸収するB.O.A.H.E.S.だが、無機物は吸収せず体外へと吐き出される。形こそ保っているが、また一人この世界の住人の命が消えてしまった。
「……迂闊だった。もっと気を配っておくべきだった」
「ええ。けど、今は反省をしてこの状況を解決するしかない。エヴァン、まだ戦えますか」
「もちろん。まだ倒れるわけにはいかない」
助けられるはずだったのにそれが出来なかった自分への無力感を悔やむエヴァン。
だが今はそれで立ち止まっているわけにはいかない。エミルの背中を叩く一言を受け止め、拳を握りB.O.A.H.E.S.を睨みつける。
「エミル、ここからあいつを倒す方法はあるかな」
「わからない。いっそのこと、全力で吹き飛ばしてしまった方がいいかもとか考えそうですね」
「同じく。奴の性質があんまりにも厄介すぎてどうしようもない。だから封印していたんだなって嫌でもわかる」
「……なら、もう一回封印し直すというのは?」
「それが出来れば苦労は……」
被害を最小限にとどめつつ終わらせる方法は、エミルの言った通りどこか(もう一度封印することが最善なのは間違いない。
だがその最低条件は、完全に無力感しつつ封印に向いた指定の場所へと運び出すこと。今の状況では不可能に近い。
八方塞がりと思われていたその時、後方からふらふらと、アリシアと共にラントが身体中に土を被った状態で現れた。
「それなんですけど、俺に少しアイデアが」
「ラント君、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。それよりも、聞いてもらっていいですか」
「ああ、今は猫の手も借りたい。意見は何でも聞こう」
自分の意見でも聞いてくれることに少し安堵したラント。
安心の息を漏らし、不安も僅かに残しながら勇気を出して己の意見を口にした。
「奴が動けない間に、俺の土魔法で閉じ込めるんです」
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