第86話

「こちらが調査結果です」


 命からがら難を逃れたレイは、忘れないうちに早急にその内容を書き記し、リリィ団長へと報告した。

 記された情報を読み進めるリリィは、少しずつ表情が苦いものへと変わっていく。


「そうか、二人には気の毒だった…………しばらくの間休んでいてくれ。この先、我々は未曾有の脅威と戦うことになるだろう。それまで心身ともに傷を癒やしておいてほしい」


「り、了解しました」


 レイは一礼の後、緊張感を保ったまま指示通りに団長室から去っていった。

 一室には団長のリリィとその場に居合わせた副団長のエミルの二人が残されている。ドアが閉じたあとに発せられるであろう命令を、エミルは事前に察していた。


「エミル」


「承知しています。団員全員を招集し、その怪物に備えよ……ということですよね」


「察しが良くて助かる。何せこの規模の怪物は、下手すればアルフヘイム中を破壊し尽くしてしまう可能性もある。我々も全力を以て立ち向かわなければならない」


 来たる未来は総力戦。おそらくは騎士団全員を投入しても足りないほどの。

 張り詰めた空気、二人の間に緊張が走るが、不思議とエミルには不安はなかった。


「問題ありません。住人の命は護ってみせます」


 これまでの団員や仲間との弛まぬ訓練、その成果の全てを出すときがおそらく来たのだ。

 騎士団の本懐は街の人々を持てる限りの力で護り、その命を助けること。それを果たすときが訪れた。

 だがそれとは別に、エミルは内心、相手の安否を気にかけることなく全力で己の剣を奮う時が訪れたことに、とても大きな喜びを見出していた。

 憧れのリリィ相手とはまた違う、手加減も情も向ける必要がない外敵という殲滅対象。どのようにして戦うのかという好奇心が、エミルの内側を昂ぶらせていた。


「ありがとう。では、ここは任せたぞ。私は少々準備をしてからそちらに赴こう」


 エミルが団長室を抜けてからは、事は早く進んだ。

 リリィはその後、自身が取得したデータをアリアへと送信。それを得たアリアは情報の精査後、怪物の正体はB.O.A.H.E.S.と確信。そしてルシールを通して警告情報を発布。

 何が起きてもいいようにいつでも逃げられる状態を確保しておくようにと、住人達に災害への準備を促した。

 当然このような話が突然降り注げば、一般の住人達は混乱に陥る可能性が高い。だがアリアはそうならないようにと神という立場を有効に利用し、ただ来たるべき時に備え、戦えるものはその力と武器を取るようにと促した。

 アルフヘイムの住人達は、個々に戸惑いを見せながらもそれをしかと受け入れ、それぞれに自分達が出来ることを進めようと意思を固めた。

 それでも狼狽える者は少なくなかったが、周囲がなだめたりと大きな事態やパニックに陥ることはなかった。

 そうして数日後の今日。大我がようやく目覚めたこの日に至る。

 未曾有の怪物に立ち向かう準備を各々で整えつつも、いつでも避難できるようにと荷造りを整えておき、その上でいつも通りの日常を過ごしていった。


「様子はどうだ」


「未だ大きな変化は無いわ。身体を揺らしながらの物体の噴出。周辺の動植物の吸収。行動パターンはこれまで通り」


 レイ達が訪れた山頂では、調査団数名がローテーションを組み、絶えずその怪物への監視を続けていた。

 アリアはリリィから得た情報を元に、B.O.A.H.E.S.が吐き出しているらしい物体はおそらく自身もかつて使用していた物と似ている制御装置であると考察する。

 無数に組み込まれていたそれを解除、破壊しては吐き出しを繰り返し、自らが自由に動ける状態を作り出している最中なのだと、アリアは予測を立てた。

 ならば、おそらく本格的に動き出すまではまだ時間がかかる可能性が高いと、アリアは随時その状態を身を隠しつつ監視しながら、確実に撃退するための準備を整えることにした。


「しかし、まさかあんなとんでもないもんが存在してたとはな」


「突然降ってきたとか……じゃないわよね」


「バレン・スフィアと同じ場所に突如現れたスライムみたいな気持ち悪い生物。冗談にしちゃきつすぎる。世界の終わりとでも言うのか」


「やめてよ縁起でもない」


「おい見ろ、あそこ」


 団員の一人が指差したその方向には、B.O.A.H.E.S.から漏れ出た身体の一部がまさしくスライムのように這いずり、一本の木へと近づいていく様子が映し出された。

 その一部は寄生するように全身をその木に張り付け、少しずつ染み込み一体化していく。

 直後、木はまるで悲鳴を上げるかのように裂けては曲がり、音を立ててその姿を作り変えられていった。

 緑に染まった一枚の葉は、まるで蜻蛉の羽のように。中心から無数に分かれた枝は、馬の脚、コオロギの脚、人間男性の腕、別植物であるはずの蔓のように、本来では決してあり得ない生物としての変化を起こし、まるで一体のキメラのような形を強制的に作り出した。


「うええ……なによあれ……」


「無茶苦茶だ。ちょっと前から見かけた気持ち悪いキメラはあれが原因なのか」


 各々に嫌悪のリアクションを見せながら、目立つような行動や音を出さないように務める。

 その時、B.O.A.H.E.S.本体に新たな進展が見られた。


「……動きが止まった」

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