第50話

 身体を前のめりにして、来客達に目的である質問を促す。

 エヴァンは照らす明かりと、口が開きやすいように少々温まった空気が堅苦しさを払拭し、考え込む時間も無しに話題を切り出す。


「ここに来て質問は色々増えたけど……バレン・スフィアの中で何か声が聞こえたとか、妙な物を見たとかなかったか?」


 まずは先の二人にも聞いた質問を問うてみる。

 アレクシスはその当時、自分の側にいたのもあって見えた物はまず殆ど変わらないだろう。だが、視界や意識はそれぞれに違ってくる。その時の意識や状態によって、自分には見えていなかったものがある者には見えていたりする。

 また、エヴァン自身の脳内に聞こえてきた女性の声。それが全員に水飛沫のごとく広がり聞かされたものなのか、あるいは自分にだけ問いかけてきたのか。他に喋っていた者はいたか、細かな情報でも今は知っておきたい。


「……いや、そういうのは無かったな。あの時は、冷静に周囲を見る余裕は無かった。ちょっと目を開けりゃあまるでこの世の終わり。全身が潰れそうな奇妙な圧力を受けながら、気がつきゃエヴァンと一緒になんとか仲間を連れ出した。おそらく、見えた物はお前と同じだろうよ」


 その言葉に嘘偽りや誤魔化しが無いのは間違いない。たった今口にした場景は、エヴァン自身も体感したものだったからだ。

 エヴァン本人にも該当することではあるが、心身を大きく擦り減らした状態となれば、自然に視界や五感は鈍くなる。

 その中で少しでも、小さくとも共有されていない情報があればと考えたが、現実はそうはうまくいかない。


「んで、声が聞こえたとか言ったな? 残念だが俺にはさっぱりだった。その口振りからすると、お前には何か聞こえたんだな?」


「ああ。大雑把に言えば、ただ僕達を嘲るような物言いだった。崇高な思想も目的も何も無い。僕達が狂っていくのが楽しくて仕方がない……というような」


「…………なるほどな」


 エヴァンは、直接不可逆的に聞かされたこの世界の真実を話には交えず、それ以外の事実だけを伝えた。

 無駄な混乱は起こしたくないという想いが、その口からの言葉を選ばせる。


「だから僕は、あれは自然発生した現象じゃないと結論づけた。おそらくは膨大な穢れを用いた幻惑魔法や結界のようは類だ」


「お前もそういう結論に達したか」


 二人の途切れることを知らない会話を黙って聞いている大我達。

 今の話の中心は、その悲劇の当事者達。この先で質問出来る合間はあるかもしれないが、今はその時ではない。


「それは……何かそういう判断材料でも?」


「いや、お前のような理知的な理由じゃなく、感覚的、感情的なもんだがな。たぶんこういうことなら、今は何の妨害も無く話せるだろうよ」


 アレクシスのその発言に、エヴァンは少々の違和感を持った。

 今ここには、自分達以外の人物は誰もいない、何者かが潜むようなデッドスペースも無く、隠れようものなら簡単に見つかってしまう。

 その妨害とはなんなのだというその感覚と疑問に、エヴァンはまず耳を傾ける。


「それってどういうこと?」


「俺は今のお前と同じように、長い時間をかけて穢れを自分で無理矢理抑えこもうとした。そりゃもう気が遠くなりそうなくらいにな。そんで、ようやく7割くらいはうまくいったってとこだが……こんなとこで先越されちまうとはな」


「僕が制御できたのはつい最近だ。こんなとこで、一人で頑張ってるアレクシスこと相当なもんだよ」


「ハハッ、ありがとよ。それでな、この植え付けられた穢れには無数の異常がついて回った。こいつはライアンにちょっと聞き込みをしてもらった上での結論だが、それは皆に共通している」


「共通……? そういう風には見えなかったけど」


「だろうな。まず一つは不変。あの穢れにやられた奴は、ほぼ全員自発的な行為や要因以外じゃ容姿が全く変わらなくなる。不老の方が近いかもしれんな」


 その内容にはエヴァンもなんとなくの心当たりがあった。

 それはおそらく、この世界の構造、法則に起因するもの。機械人形達の欺瞞。それがほぼ強制的に剥がされているのだろう。


「その次が反転。こいつがややこしい。一人ひとりにゃそれぞれ願望がある。こうありたい、これになりたい、こうしたい、これができるようになりたいって奴だ。この穢れは、丸々それを反転させて最悪の形で表出させやがる。エヴァン達は、俺んとこに来る前に誰か出会ったか?」


 大我達は、ここに来るまでの事を思い出す。

 姿を見ることはなかったが、自分の狼の血筋を嫌っている迅怜。そして、あまり感情が出せないことを悩んでいたクロエ。

 数十分間、数時間前の惨憺たる光景が、皆の脳裏に再び浮かび上がる。


「迅怜とクロエのところに」


「ああ……あいつらは酷いらしいな。又聞きながらライアンに聞かせてもらった。迅怜は人であるという要素が消え、まさしく嫌っていたはずの狼に。クロエは、胸の内に秘めていた豊かな感情が凍りつき、まさしく氷像みてえな噂通りの冷徹を通り越した様相に。酷いもんだ」


 アレクシスの情報から組み立てられていくバレン・スフィアの実態。

 当初はまさしくその見た目通り体感通りの穢れの塊と考えていたが、そのような法則性があるとなると、その印象は悪意の塊へと変わっていく。


「そういや、お前にはそういう異変は表れなかったのか? 気づいてないのが不思議なくらいだが」


「もしかしたら起きてたかもしれないけど、自覚が無かったのかもしれないね。誰とも会わなかったし、離れてしばらくはずっと自分で抑え込むのに必死だったから」


「そうか、お前らしい。んで、その次が……」


 その時、それまですらすらと難なく話し続けてきたアレクシスの表情が苦悶に変わっていった。

 どこか抑えたりするようなものではなく、全身に響いているかのように踞る。

 その場にいた皆の顔色がはっと塗り替わる。


「大丈夫かアレクシス!?」


「ぐうっ……ぬ……ぅ……はぁ……はぁ……すまん、この先はまだ俺には話せねえみてえだ」


「無理はしないでくれ。どうか」


 心配をかけないようにと笑いかけながらも、その震える握り拳からは内心の悔しさ、不甲斐なさが強く垣間見える。

 ここでまだ動けない自分の代わりに、せめて僅かでも、少しでも助け船とならなければならないのにと、アレクシスは力の無さを悔やんだ。


「気にするな。俺はまだ大丈夫だ。ひとまずこの話は飛ばして、俺なりの見解を述べさせてもらう」


 気を取り直して膝をパチンと叩き、苦悶が残っていた顔色を切り替える。

 下手に不安を残すような物言いをしても、今はいたずらに余計な懸念材料を増やすだけだからだ。


「さっきエヴァンが言った通り、あれは幻惑魔法や結界、あるいは何者かの能力のようなものと考えてる。しかも、悪意に満ちたどうしようもねえくらい性格の悪い野郎のな」


「集団である可能性は考えてる?」


「いや、バレン・スフィアを作り出した奴に関しては低いだろうな。問題はそれ以外か……」


「それ以外?」


「考えてもみろ。俺達をいとも簡単に壊滅させた上に、そこまでの力量があるなら殺すこともできただろうし、今このアルフヘイムに攻め入っても余裕だろうよ。ったく、それでわざわざ苦しませる方を選んでんだからとんだ性悪だ」


「……確かに。長い間大きく動かず留まってる」


「なら、あれの主は何かを準備してるか、何かを守ってるか、あるいは……何かを待ってるかだ。それくらいしか考えられん」


 ある程度考察する余裕が出来た今なら、その言説が理解できる。

 確かに言われてみれば、突然現れたそれが何のために存在しているのか。考える程にその不審さは強まっていく。

 自然現象で無いと決まっている以上、それは何かの目的を持って存在している。しかし、その中は何も見えずわからない上に著しく情報が足りない。

 もう少しバレン・スフィア、またはその主の狙いはなんなのかという判断材料が欲しい。そう考えたその時、脳裏に一人の存在が浮かんだ。


「そうだ。ねえエルフィ、聞きたいことがあるんだ」


「えっ、俺?」


 白羽の矢が立ったのは、大我の側をふよふよと飛んでいたエルフィだった。

 この世界に対するメタ的解釈を手に入れた今、それをさらに詳しく知っていて、かつこの世界の過去現在を知っているであろう神から遣わされたものならば、それらしい情報を持っていてもおかしくはない。

 エヴァンはその可能性に賭けた。


「おお! 俺もそのちっこいのがずっと気になってたんだ。まさか、噂に聞く精霊って奴か」


「ご名答。もしそこに何かあるっていうなら、聞くのは空から見られる存在に近い方がいいだろう? というわけで、何か知らないかなエルフィ?」


 いつかはそのような切り込んだ話題に踏み込まれるだろうと予測はしていたエルフィ。

 エルフィはおろか、アリアにもその実態をほぼ掴めていないバレン・スフィアの情報。確証ではない考察だとしても、その可能性の確実性は高めておきたい。

 唸り悩み続けた後、エルフィは息を大きく吐いてから口を開いた。


「『たべつくしたかいぶつ』って本は知ってるか

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