第47話

 大我達は、他にも置かれていた椅子を人数分部屋の中心まで運び、クロエの正面に並ぶように疎らに設置。

 こびりついた埃を綺麗に拭き取り、話をする準備を整えた。

 その間ティアは、そのあまりにも汚れすぎている姿を不憫に思い、ポケットに入った布地をちょっとだけ濡らし、丁寧にその埃を拭き取った。

 衣服についたものはもちろん、髪や両手、足にまで被っているそれを取り去り、芸術品のように綺麗な顔も特に優しく撫でるように扱った。

 直接肌に触れているときの感触は、その陶器の人形のような身姿とはかけ離れた、まさしく人らしい柔らかさをしており、そのギャップがとても奇妙な違和感を醸し出した。

 水晶のように美しい蒼い瞳にも、霞がかったように汚れが付着しており、ティアは痛そうでたまらないと薄目で様子を見ながら、特に慎重に拭った。

 されるがままに身体中を家具のごとく触られていたクロエは、その間ぴくりとも不気味な程に動く気配はなく、そういう作品だと言われても誰も疑われないだろう。


「さてと、クロエ、今回は勝手に家に入ってすまなかった」


「謝罪は不必要です。私は、エヴァン=ハワード始め皆様の来客を歓迎いたします」


 口だけを動かし、アナウンスのような無機質さで話し続けるクロエ。

 言葉こそ柔らかさのない固い雰囲気に包まれているが、一応の会話は行えているようだ。


「ずっと、こうしていたのか?」


「はい。現在の私に動作は不必要と判断されます」


「……埃被るくらいに?」


「はい。現在の私には、動作を行う理由が存在しません。外界との交流が行えず、日常生活も必要最低限の食事以外行う理由がありません」


「キッチンや階段に誰かが入ってる形跡はあるけど、誰がクロエの橋渡しを?」


「ルシール=ベイカーです。彼女は『私と細かいことを気にせず一緒に過ごしてくれる人が、こんな姿でいることが苦しいんです……だから、あまり来れないかもしれないですけど、少しでも世話をさせてください』と言い、以来二年四ヶ月二十一日の間、度々私の自宅へと訪れては、穢れの影響を考慮し、食事と私の身体の清掃を行っては頭を下げて帰っていきました」


 つい先程顔を合わせた紅絽のようなことをしているのは誰か。この家に侵入しているのは誰か。その疑問が同時に氷解した。

 本好きであり氷魔法使い。どこかシンパシーを感じるものがあったのかもしれない。仲が良かったという印象が淡々と発される言葉の中にある事実から感じ取れる。

 エヴァンからの質問を答えている時の声は酷く淡々としており、大我が過去に様々な媒体や作品で聞いた女性型ロボットの無感情で明瞭な喋りとどこか通ずるものがある。

 この世界の住人は機械。その根本が、度々その身に感じる。


「あの、クロエさん。本は……読んでいないんですか? 他の部屋みたいに、クロエさんの好きな本も埃被ってるみたいですし……」


「現在の私には、読書は必要ないと判断されます」


「そんな……」


 クロエの口からは一生聞くことはないだろうと思っていた言葉を聞いてしまい、次の声を失うティア、

 まるで今までとは正反対。心も何もかも凍ってしまったかのような今の姿に、何も言うことができなかった。

 それを見ていたエヴァンにも、この言葉には辛いものがあった。

 誕生日に新しく販売された本や、そうでなくてもちょっと薦めたくなった本があると、誰彼構わず自分の知り合いには渡してみたりする。普段の声色はダウナーなものだが、その紙に書かれている文字だけでなく、外装や絵、とにかく本の話になればほんのちょっとだけ声色が上ずって聞こえたクロエの姿を何度も見ている。

 それは銀界の魔女の異名が表すような凍てついたミステリアスな美女の姿ではなく、お茶目さとちょっとした子供っぽさが滲み出るギャップのある姿。

 少々長い付き合いなのもあって、今のクロエの一言一言が氷柱のように苦しく突き刺さった。


「さて、本題に入ろう。今日はいくつか聞きたいことがあって来たんだ」


 そのいたたまれなさに心がズキズキと傷んだエヴァンは、長く居ては悲しくなるだけだと早目に本筋へ入ることにする。


「あまり話したくはないかもしれないけど……バレン・スフィアの中で体感したこと。それからどんなことがあったか。聞かせてもらっても大丈夫かな」


「理由をご説明ください」


「……少しでも、アレを倒す手がかりが欲しいんだ。何かあの中で見なかったか、何をされたのか、正体に繋がるものはないか。それを僅かでも欲しい」


「…………」


「それに、単純にみんなが心配だった。あれからずっと穢れを抑え続けてると聞いて、心配でしょうがなかった。どういう形であれ、こうしてまた会いたかったんだ」


「………………かしこまりました。エヴァン=ハワードの要求を了承します。これより、私が体感した穢れによる影響を説明致します」


 淡々とした口調ながらも、その言葉からははっきりと協力の意志が見えた。

 これで何か、新たな情報が手に入るかもしれない。そう考えていた。


「私がバレン・スフィアに取り込まれた後、内部では……内部では……私の視界からは、視界からは、からは……」


「…………クロエ?」


 感情の起伏も無く、そこに置かれた物のように動かなかったクロエの身体が少しずつ震え始める。

 言動も内容が途中から進まず、同じような言葉を繰り返し先に進まない。まるで今から話す内容を口にしたくないような、そんな風にも思えた。


「正常です。正常です。私はクロエ=グレイシアです。私はエヴァン=ハワードに情報ををををを、バレン・スフィア内部内部内部内部では、あああああ……」


 芸術品のような佇まいで頭と顔だけを動かしていたクロエの身体が、狂い始めた言動と共にぴくぴくと震え出した。

 喋るとき以外常に閉じていた口はぽっかりと開き、瞳は小刻みに揺れ、太腿の上に上品に置かれていた指がかくかくと声のない悲鳴の如くばらばらに動き始める。


「クロエ! もういい! 話すのをやめてくれ!」


 その姿に危険を感じたエヴァンは、慌てて肩を押さえて発言を止めさせた。

 それを聞いた直後、クロエの身体の震えは収まり、ゆっくりと元の無機質な状態へと戻った。

 その一部始終を目撃した四人は、それぞれに口を押さえたり息を飲んだりと、各々に戦慄した。


「申し訳ありません。この事象について、私はやはり会話を行うことができないようです」


「すまなかったクロエ、無理をさせてしまった。申し訳ない」


「謝罪の必要はありません。原因は………………謝罪の必要はありません」


 同じ淡々とした調子で話しては、口の動きが止まり、数秒経って再び同じように話す。

 見た目には元に戻ったようにも見えるが、その様子からは先程の異常からどこか調子が悪くなってしまったとしか思えなかった。


「…………これ以上は、また無理をさせてしまう。この辺りで離れるとするよ」


 質問を中断し、クロエの家を出る選択をしたエヴァン。

 四人はそれを黙って受け入れた。まるで拷問を受けていたかのような姿を見てしまっては、これ以上の追求をしようという気持ちは微塵も発生しない。

 ただでさえショックの激しいものを見てしまった上で、さらに追い打ちをかけるような光景。四人の心情はそれぞれに苦しいものがあった。


「はい。皆様の力となれず申し訳ありません」


 最初から最後まで、一貫して無表情無感情の応答をし続けたクロエ。

 しかしこの言葉には、表には現れない口惜しさのような物を含んでいる。気の所為や耳がかけた補正なのかもしれないが、そのような気がした。


「……ありがとう、クロエ」


 最後のお礼に対して、クロエは遠くを見つめたまま無言を貫いた。

 五人はいたたまれない気持ちのまま椅子を元の場所に片付け、そっとクロエの家から去っていった。

 一行が去っていった後も、クロエはその場から動くことも喋ることもなく、ただ大書斎の中心に展示物のように待機し続けた。

 苦しいとも悲しいとも言うこともなく、氷漬けになったかのように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る