第45話

 世界樹前の広場を離れ、アルフヘイム北の地域へと移動する大我達一行。

 木造などのやや自然的な建築の家が他よりも多く見られ、主に南や東側を中心に行動していた大我には、新鮮に感じられた。

 通り過ぎる人々は相変わらずエルフをよく見かけるが、所謂獣人の比率も多くなったように感じられる。


「バレン・スフィアへの遠征から戻ってきた者達は、一人の例外も無く建物の中へと籠もり続けた。自分の家や部屋、その地下室、自分の知る牢獄、自らを隔離した場所はそれぞれだ。そしてそれを身近な人に教え、誰も近づかないようにした」


 エヴァンを先頭に、四人はその後ろをついていく。

 大我にはその説明はありがたく、ティアとラントにとっては復習のような感覚を抱いている。

 最初に神伐隊ホーリーオーダーのメンバーのところへ向かうと聞いたときは驚いた。穢れを受けてしまうかもしれないその場所へ、自らを封じている場所へと向かうことに。

 だがティアとラントは、それをなんとかできるといあエヴァンのことを信じ、改めてついていくことを了承した。


「今のところはそれ以上の異変もなくそのままってことで大丈夫だよね、ラント君」


「ああはい。誰かが暴れたみたいな話は聞かないですね」


「わかった。ちょっとだけ二人に話したいことがあるから、申し訳ないけど、ラント君とティア君は距離をとってくれるかな」


 少しだけ不満足そうな顔をしつつ、ラントとティアは少々距離を離し、大我とエルフィはその横まで近づいた。


「なんだよ羨ましいな……」


「まあまあ」


 ラントをなだめるティアの前で、エヴァンは真剣な表情で二人に話を切り出す。


「エルフィはどう思う? バレン・スフィアの内部について」


「……どうって言われてもな。いくらなんでも情報がなさ過ぎるというか、直接視覚的にしか捉えられないってのがどうにも」


「だろうね。僕の記憶だと、内側には今のところ何もなかった。けど、おそらくは何か幻惑魔法なりなんなりで隠されてる。知らない女性の声が聞こえてきたのも、たぶんその類だと思う」


「……そういや、この前アリア様と何話したんだ? この世界の住人と直接話すなんて、まず起こり得ないと思ったんだけど」


 メタ的な視点も持つエルフィが抱いた疑問。この世界に於いては、地上の人々が創造神になんの障壁も無く話しているようなもの。

 それに対してエルフィは、ただただ強い興味を持っていた。


「たいしたことじゃないよ。中をちゃんと初めて見たのと、ちょっとした指導と、僕が持ってる情報を話したことぐらいかな。確か女の声が聞こえたって言った後、結構難しい顔をしてたよ」


「……あの世界樹の中を見て驚いたりは?」


「すごく驚いたさ。まさかユグドラシルの中があんな金属の塊だなんてね。けど、話を聞かされたときからそれなりに予想はついてた。だから心構えはできてたけど……女神を間近で見られたにも驚いたよ」


「アリア様にか」


「ああ。僕だってこの世界の住人だ。それを創り上げた神様に対面したなんて、今でも信じられないさ」 


 その表情には、困惑や驚愕、無数の数え切れない感情がマーブル模様のように入り混じっているようにも見えた。

 大我のような現世界からの部外者ではなく当事者。そういう者が神様に会うのはどんな気持ちなんだろうと思っていると、エヴァンがおもむろに一軒の家屋を指差した。


「あったあった。あそこだよ」


 その場所にあったのは、なんの変哲もない木造の家。その周囲に建つ空き家のような人の気配が感じられない家ともあまり大きく変わった様子はない。


「あそこってもしかして……」


 もうそろそろいいだろうと空気を読み取ったラントが近寄り、強い興味を持ってエヴァンの顔へ視線を向けた。

 

「察しの通り、ここは迅怜の家だよ」


 その名前を聞いたラントは、好奇心が抑えきれないのか、カッと目を見開き呼吸の早さが上がっていく。


「迅怜……?」


 一方の大我は、初めて聞く名前にどんな人物なんだろうと頭の中で想像を捏ね繰り回す。


「ああ。彼は共に戦った仲間の一人で、ワーウルフだ。それもとびっきりに強い」


 街なかでは疎らながらもそこそこに見かけた獣人。そのワーウルフ……人狼らしき人物も何人か見かけている。

 あまり交流を持ったことはなかったが、最初に面と向かって出会う相手がまさかそんな大物だとは、大我は思ってもいなかった。


「迅怜さんは雷魔法の名手でさ、あの人の縦横無尽に動き回りながらの雷撃と体術がマジかっこいいんだよ」


 我慢ができなかったのか、聞かれていなくても迅怜の戦闘スタイルやその強さを説明し始めたラント。エヴァンに会いに行く前にも遺憾なく発露した愛好家っぷりが、この時にも強く滲み出る。


「思い出すな……彼と出会ったときのこと」


 全滅の時から長い年月が経ち、ようやく果たせる再会。

 エヴァンはふと、過去の思い出を瞼の向こうに映し出す。

 



『エルフが俺に何の用だ』


『用って程でもないよ。近いうち一緒に戦うことになるみたいだから挨拶しようと思って』


『……チッ。その割には手をナイフに置いてんぞ』


『ああすまない。ちょっと噂を聞いててね。ちょっと勝負してみたいなーとか思ってたんだ』


『――お前如きが勝てるつもりでいやがるのか』


『今から確かめようか?』


『上等だこの野郎!』




「…………血の気の多い奴だったなぁ」


 その記憶を他人に覗かれていたら、あんたも人の事言えないと突っ込まれそうな好戦的な思い出が駆け巡る。


「よし、大丈夫だといいけど」


 しかしそんな景色も今は昔。あれから何年も経った現在、改めての再会を果たそうと、エヴァンはその玄関の扉をノックしようとした。


「あの、何をしてるんですか?」


 扉に手が当たる僅か数ミリという所で、一人の人狼が声をかけてきた。

 その声から女性だということは判別できるが、大我にはそれ以外で判別できるような特徴がよくわからなかった。

 先程まで閉じられていた隣の家の扉が開いていることを見るに、どうやらそこから飛び出してきたことが伺える。


「あれ、もしかして……エヴァンさんですか?」


「……もしかして、紅絽こうろちゃん?」


 その名前を口にすると、紅絽と呼ばれた人狼の女性は小さく頷いた。

 一つ一つの細かな動作がどこか可愛く感じられ、見てるだけでもなんだか癒やされるような気分になった。


「行方不明だって聞いてたんですけど」


「最近戻って来たんだ。ようやくなんとかなりそうだと思ったからね。……迅怜のことは、君がずっと?」


 知り合いとの久方ぶりの再会もあってか、それまではどこか柔和な雰囲気が保たれていた。

 しかし、その目的の相手である迅怜の名前が出た瞬間、紅絽の表情が曇り始めた。


「迅怜に何か用ですか?」


「うん。偶然ではあるけど、穢れを抑える術を身につけられた。みんながずっと頑張って籠もり続けてると聞いたから、せめて少しでもあって話がしたいと思って」


「…………ごめんなさい。それはどうか、今は止めてもらってもいいですか?」


 エヴァンのその言葉が優しさから来ていることは痛いほどに理解している。心苦しいがそれでもこうするしかないというような難しい表情で、紅絽は迅怜本人に変わってそのお願いを断った。


「何かあったのか?」


「…………迅怜は、人狼に生まれながら、自分が人狼であることを嫌悪しています。内に秘める人とは違う狼の部分。それを毛嫌いしていました。それは知っていますよね?」


「うん。本人から聞かされたよ。なんで俺は魔法がうまく使えない種族に生まれたんだーって」


「今の迅怜は、人狼を通り越して狼そのもののような状態になっています。唸り声を上げて、四足で動いて、鳴き声だけで喋っています。……その姿を誰にも見せたくないんでしょう。だいたい五年ほど前から、悲しそうに吠えては壁に身体を打ち付けるようになりました」


 紅絽の目には、少しずつ涙が滲み始めている。言葉だけでも伝わるその光景と悲痛さが、僅かに残っていた軽い空気を全て払拭させる。


「私はずっと、何度も家に入っては少しでも側にいるようにしました。けど、私にもどうか見ないでくれと言うようになりました。それからは、何も話さずご飯をあげるだけになっています。それでも時折、壁にぶつかる音が聞こえるんです。迅怜はまだ、誰にも会いたくないんだと思います」


 苦虫を噛み潰したような顔で、言葉を失うエヴァン。

 もしかしたら自分の予想よりも、この穢れの被害は甚大なのかもしれない。心を締め付けられるような感覚が、五人の胸を襲う。


「……なので、どうか今は会わないであげてください」


「わかった。望まないことを無理強いしても、彼が傷つくだけだ。ありがとう紅絽、色々教えてくれて」


「いえ、こちらもあまり協力できずにすみません。ところで、彼は誰ですか?」


 エヴァンとの会話が終わった直後、紅絽の興味は大我へと向いた。

 精霊を連れているという要素もその一因ではあるが、その関心を強く引いたのは、大我自身の「ニオイ」だった。


「彼は桐生大我。彼のおかげで、僕はここに戻ってこれたんだ」


「どうも」


 やや緊張したような口調と動作で、軽く頭を下げつつ挨拶する。

 紅絽は小さな笑顔を浮かべて、そっとその手に触れた。人のシルエットを持ちながらまさしく人狼と言えるその鋭い爪と毛深さが、ちょっとだけ身体を緊張させる。


「あなたは……なんだか私達と違う気がする。なにがとまではわからないけど、そう……根本から何かが」


 じっとその美しい金色の眼に見つめられ、所謂獣の勘というものなのか、核心を突く一言を向けられた大我。

 その言葉の本当の意味は、大我エルフィエヴァンには理解できるが、ティアラント、そしてそれを言った紅絽本人にはわからない。


「大我さん……でしたっけ」


「ああはい」


「私にはこれしか言えることはありませんが、あなたなら、何かを起こしてくれるかもしれない。私の勘がそう言っています」


 初対面の相手に言う言葉ではないかもしれない。だが、紅絽の口から絞るように出されたその声は、希望に縋り付くようにも感じられた。

 その言葉と姿が、この世界を助けてほしいと懇願するアリアの姿と重なる。

 それぞれの願いは違うが、その台詞を引き出した感情はおそらく同じ。大我は唇を噛み締め、その手を優しく握った。


「俺には、まだ何ができるかもわからない。けど……やれるだけやります。任せてください。」


「……ありがとうございます」


 大我が口にした通り、今は何ができるかわからない。苦悶の状態を打破できるのか、それすらもわからない。

 でもせめて、その一言で今の心が救われるならと、大我は優しい一言を伝えた。

 紅絽はほっと胸の奥が熱くなったような感覚を思い出し、ほろりと涙と笑顔をこぼした。


「よし、そろそろ行こう。ありがとう紅絽ちゃん」


「こちらこそ、ありがとうございます」


 そろそろ頃合いと判断したエヴァンは、迅怜の家を背に、その場を去っていった。

 最後まで見送ってくれている紅絽に手を振りつつ、その姿が見えなくなるまでずっと後ろを向いていた。


「…………いつかまた、一緒にどこか行けるといいね、迅怜」


 大我達の姿が見えなくなると、紅絽は振り続けた手を降ろして、ぼそっと迅怜への気持ちを口にして、ゆっくりと元の家の中へと戻っていった。

 その一部始終を、狼へと回帰した影響で耳がとてもよく聞こえるようになった迅怜は、暗闇の地下室で横に倒れ項垂れていた。


「グルルルル…………」


 人語としては表れていないその鳴き声。だが感情はしっかりとこめられている。

 悔しい。悲しい。不甲斐ない。いくつもの負の感情が迅怜の心を蝕む。

 迅怜はその場でうずくまり、全身を震わせて苦しそうに小さく鳴いた

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