第42話

 それから数分後、一部が謎の崩壊を起こしている家屋を見た大我達は、まさか事態が悪化したのではとマイナスの感情がいくつも押し寄せ、これは早く向かわなければとその足を急がせた。


「アリシア!?」


「大丈夫。落ち着かせたよ」


 最初に乗り込んだ大我がエヴァンの部屋に入ると、そこで目に入り込んできたのは、頭だけ出して全身をブランケットで包まれたアリシアと、それを強く締め付けすぎないように調整しているエヴァンの姿だった。


「よかった……」


「病院か教会か考えたけど、ひとまずは世界樹まで運ぼう。このままの状態をちょっとでも長引かせるのは忍びない」


 アリシアはぴくりとも動く様子はない。何をしたのかもわからないが、慌てた様子も動揺もないことから、おそらくはちゃんと対処したのだろうと思われる。

 二人の会話の間にエルフィがスキャンを試みると、まさしくその言葉通りに穢れという名のバグへの対処を、稚拙ながらも実行できている結果が伺えた。

 ほぼ完全に自由にしているとはいえ、それでも今の世界はアリアの箱庭の中。そんな定められた場所でここまでの人物が生まれていることに、内心驚きを隠せなかった。

 それから僅かな間を置いて、ティアとラントが同室へ入ってくる。


「ちょうどよかった。みんなも運び出すのを手伝ってくれ。ただどうか、これをはだけさせないようにね」


 ある程度状況を察した二人もそれぞれ頷き返事を返し、それぞれに協力して眠り姫の如きアリシアをゆっくりと刺激しないように運び出した。

 ややひと目に付きながらも、先程のようなあまりにも刺激的な格好よりかは何倍もマシである。

 大きく開放された腹部のことも案じつつ、ようやく世界樹の目の前まで到着した。


「……みんな、本当に迷惑をかけてしまったね。お詫びを言っても言い足りない」


「大丈夫ですよ、私達はアリシアが心配で仕方なかっただけですから」


 同意の意を含んだ目配せを向ける大我とラント。それに野暮な返事を向けることもなく、エヴァンは頭を下げて感謝の笑顔を見せた。


「それじゃ。……これからも、どうかアリシアとよろしく頼む」


 去り際に最後に口にしたその一言。そこには、短いながらも強い願いがこめられているように感じた。

 ティアから寂しがりやと聞いた大我や、そのことを知っているラント。そしてなにより、ティアにその言葉は強く響いた。

 その場から背を向けていた三人が振り向くと、二人の姿は既に消えていた。


「言われなくても、元からそのつもりだよ」


「ええ、私もおんなじ」


 今更そんな言葉はいらない。ティアとラントの心からの言葉。

 そんな光景を美しいとも思えた大我。肩に乗ったエルフィに少しだけ口を傾ける。


「こういう信頼って、今も昔も変わんないんだな」


「まあな。アリア様も、こんな瞬間ときが世界を見てて嬉しい瞬間なんだとよ」


 一歩間違えれば街中を巻き込みかねなかったアリシアのブラコンプレゼント騒動は、こうしてなんとか大事にならずに事を終えることができた。

 大我は内心、これまでに体感した戦いよりも精神的にも肉体的にもとても消耗したように感じた。


* * *


 それから次の日。アリシアが戻ってきたと耳に聞き入れた大我とティアは、早速ハワード家の自宅へと足を踏み入れた。

 笑顔で出迎えてくれたエヴァンについていき、当のアリシアの部屋へと向かう。

 そこには、今までの動き回っていた元気な印象とは真逆の、ベッドでぐったりと弱々しく寝込むアリシアの姿があった。


「お……おうティア……大我……情けない姿で悪いな……」


 昨日の変貌ぶりはすっかりと消滅し、出会ってからずっと聞いていた男勝りな口調が帰ってきた。

 しかしかなり疲弊している様子であり、すぐに動き回れるという状況ではとてもなさそうだ。


「少しの間落ち着いて、ゆっくり身体を休めてって言われたからね。そもそもそれだけの元気が無くなってるみたいだけど」


「アリア様にか?」


「うん、ちょっと話もね。僕のやり方がまだまだ未熟だって言われちゃった」


 本来であれば、穢れを除去する際にここまでの疲れを発生させるには至らない。だが今回は、まだそのような力を殆ど使ったことのない不慣れなエヴァンが行ったこともあり、アリシアの電子頭脳にいくつか不要な負荷をかけてしまっていた。

 幸い大事には至らなかったが、それを伝えられた時には深く反省していた。


「大丈夫かアリシア?」


「ああ、まあな……ちょっと身体が重くて、なんか動きたくないくらいに気分が悪いけど、それでもなんとかなってるよ」


「……ちょっと聞いていいかあれだけど、昨日のことは覚えてるか?」


「それが、全く覚えてないんだよ。でも、あたしが何かやばいことしちゃったんだろうなってのはわかる。迷惑かけちまった」


「気にしなくてもいいよアリシア。なんとか無事でいてくれただけでも、私は嬉しいんだから」


 二人の優しい言葉に、とても心が救われたような気持ちになったアリシア。

 今この場で大きな礼ができないことがとてももどかしい。


「よし、じゃあそろそろ俺達は行くよ」


「ああちょっと! ラントにもよろしく言っといてくれないか?」


「もちろんだよ。無理しちゃダメだからね?」 


「ふふっ……ありがとな」


 そろそろ頃合いだろうと肌で感じた大我とティアは、最後にそれぞれ微笑みと笑顔を残して、手を振って去っていった。

 ドアが閉められ、静寂が立ち込める室内。エヴァンはゆっくりと床に座って目線を合わせる。


「本当に、いい友達だね」


「……ああ」


 たった二文字の返事に詰められた強い信頼。自分への強い依存はまだ緩む気配はないが、ただ一人で寂しくなる心配は無くなったと判断したエヴァンは、じっと目を瞑って意を決する。


「アリシア、少しだけ聴いてくれ」


「うん、なに?」


「僕はずっとアリシアを一人にしてしまったこと、本当にすまないと思ってる。今更時間が戻るわけじゃない。できれば、今からでもずっと側にいてあげたい。けど、それはまだ敵わないみたいなんだ」


 二人だけの空間、10年近くぶりの兄との直接の対話。思考がぼやけながらも、その眼差しは真剣だった。


「僕にはまだ……もう少し、やらなきゃいけないことがある。ちゃんと一緒にいられるのは先になりそうだ。……構わないか?」


「…………大丈夫。あたしにはみんながついてる。何があっても、今ならその時が来るまで待ってられる」


 少しだけ涙ぐんでいるアリシア。その言葉は穢れによって誇張されたものではなく、アリシア本人の心からの声。


「待ったから、こうして目の前で話せるんだから。それに比べたら、これからのことなんかどうにでもなる。だから……頑張ってきて」


 それは、エヴァンにとっては救いの一言だった。

 ずっと心配に心配を重ねてきた妹からの後押し。心に食い込んだ懸念の一つが氷解した。

 エヴァンは優しく妹の手を握り、下を向いて小さくつぷやいた。


「ありがとう、アリシア」


 ずっと再開できなかった兄妹は、この日、本当の意味での再会を果たした。




 兄妹の家を離れ、ついでに露店街を通る大我達。

 安堵の感情に包まれる二人とは対象的に、エルフィは少々難しい顔をしていた。


「どうしたエルフィ? なにかあったか?」


「ああいや、まさかアリア様と話せる存在が大我や俺達以外に生まれるとは思ってなくてさ」


「どういう意味だ?」


「最初の時に見ただろうけど、この世界の住人は、入ってしばらくした後でその用件に合わせた処置が行われて、それに合わせた記憶を保存して帰されるんだ。でも、エヴァンは多分、普通に奥まで進んで直に話してる。そんな例外、本当に初めてだ」


「つまり、規格外ってことか?」


「まあそうなる。なんか、お前が来てからとんでもないことばかり起きててビックリするよ」


「偶然だと思うけどなー」


「大我さーん! 置いていきますよー!」


「ああ悪い! ほら、急ぐぞエルフィ!」


 二人の話が進んで歩くスピードが遅くなった間に、いつの間にかティアとの距離が離れていた。

 呼びかけにしっかり応じ、大我は足早に向かっていった。

 エルフィも同じく飛んでついていくが、胸騒ぎかなんなのか、いやに感じる不穏な予感が脳裏にこびりついて仕方なかった。


「……何もないといいけど」


 胸の奥にその不安を秘めたまま、エルフィは二人の後を追いかけていった。

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