5章 とても寂しかった……

第35話

 かつて姿を消した強者が帰ってきた。その姿に驚き戸惑うものも少なくなかったが、皆はその帰還を歓迎した。

 大なり小なりその感情に差はあれど、それを最も喜んだのは、最も兄のことを慕っているアリシアである。

 10年近くぶりの同じ屋根の下。エヴァンは片時も怠らず綺麗に整理整頓された自室で、ベッドの中へと沈み込んだ。

 その一方、アリシアは深夜になっても就寝することなく、小さな蝋燭を灯りに考え事をしていた。


「思いつかない……何にすればいいんだ……お兄ちゃんの誕生日」


 エヴァンは戻ってきたその次の日、それは偶然にもエヴァンの誕生日であった。

 長年その誕生日を面と向かって祝うことができなかったアリシアのフラストレーションが、ついに解放されるときがきた。

 しかし、いざ祝おうと考えると、何を贈ればいいのか、何をすればいいか、ブランクがある分全くアイデアが浮かばなくなってしまった。


「鶏の丸焼き……うーん、弱いな。巨大……いや、そんな見つかるわけでもねえし」


 度々捕らえた生物の丸焼きを贈っていたアリシアでも、今回ばかりはそれでは足りないという独自のプレゼント感を持ちながらも悩みがぐるぐると回り続けていた。

 なにせようやく訪れた久方ぶりの誕生日祝い。いつも贈っているようなものではその感動には足りないだろうと、納得の答えまでたどり着くことができず、答えに向かって前進できずにいた。


「どうすればいいんだ……なにか、お兄ちゃんに相応シいプレゼントを……」


 髪の毛をわしわしと暴れさせ、その自問への答えが出てこない悔しさを晴らすアリシア。

 ふっと蝋燭の火が消えたその時、ガクンと一度頭を震わせたアリシアの脳裏に、一つの解答が浮かび上がった。


「そうだ、ちょうドいいプれゼントがあるじゃん。一番とっテも、お兄ちゃんが喜んでクれるプレゼントが」


 さばさばとした性格の彼女とはまるで違う雰囲気が、その声から表れる。

 適当に聞いているとそのまま流してしまいそうなくらいに小さな違和感。見た目にはあまりわからないが、アリシア自身には明らかな異常が噴き出し始めていた。


「待ってテねお兄ちゃん、一緒に、とってもいイプレゼントを……」


 男勝りな口調も鳴りを潜め、アリシアは一人、ゆっくりと衣服を脱ぎ始める。

 そして、過去に想定していた贈り物のために、購入してあったとても長いリボンを取り出した。


「ふふふ、お兄ちゃん……」


 そこには、誰もが知っているアリシアの姿は形にしか見いだせない。まるで何かに乗り移ったかのように、その長いリボンを腕から巻き始める。

 彼女はそれから眠ることなく、その作業を朝日が差す時まで続けられた。


* * *


 故郷へと戻ったその翌日の朝、すっかり落ち着いて目を閉じていたエヴァンは、なにやら身体の上に重く柔らかい感触を布団越しに感じていた。


「ん……んん……なん……だ…………?」


 10年近くぶりの愛用ベッドでの熟睡。敷き詰めた木の葉の上や堅い倒木の上なんかよりも寝心地が抜群に良い。

 しかし、ぐっすりと眠れたはずなのに身体が重い。蓄積した疲れが一気に襲いかかってきたのかとも考えたが、どうも内側から襲いかかってくるものではない。むしろ外側から押さえつけられるように、しかもなぜだか全体的に柔らかい感触が、特に隣り合った二つのポイントからはクッションのようなそれが感じられる。

 敵意は感じない。むしろそれとは別の、何やら歪に変化したような妙に熱っぽい気配が肌に刺さる。


「ふああ……いったいなにが…………!?」


 敵意や殺意は微塵も感じられない。ならば下手に警戒しなくても良いだろうと瞼を強く瞑り、軽いあくびを経てゆっくりと目を開ける。


「お誕生日オめでとうお兄ちゃん。誕生日プれゼンとだよ?」


 目覚めて最初の視界に写り込んだのは、全身をリボンでほぼ隙間無くぐるぐる巻きにして、桃のように染まった頬と蕩けた瞳で兄のことを見詰めるアリシアの姿だった。

 興奮の息をはあはあと漏らしながら、これまで一切使ったことのない媚びるような口調で、すぐには意味のわからなかった台詞を口にしている。

 その瞬間、エヴァンの世界は極限まで凍てついた。


* * *


 しばらくの時間が経ち、すっかりとフローレンス家の中に馴染んでいった大我。

 この日もいつもの生活リズムの如く、コーンの香り漂うテーブルの周りを囲み、ティア達との朝食に入ろうとしていた。

 この日のメニューは、コーンポタージュと少量のライ麦を混ぜられたパン、そしてカッテージチーズをかけたサラダである。


「おっ、この風味、いつもと違うなあ」


「あら、さすがエリック違いがわかる。ソールさん家に来て、おすそ分けにって牛乳を頂いたのよ」


「そうかぁ……全く、売り込みに余念がないもんだ。それなりのお返しをしないとな」


 いつもと変わらない調子で、明るく会話を光らせる夫婦。

 その一方、対面の大我とティアは黙々と食事を摂り続けていた。食欲が無いわけでもなく、特別料理が不味いわけでもない。ただ二人の心には、昨日の出会いと話から来る強いモヤが生まれてしまっていた。

 奇怪な生物、エヴァンの変わり果てた姿、制御をしてさえも傷跡を残す程の穢れ、忘れかけていた胸騒ぎ。

 長い歳月が経ったことで、ティアの記憶の端に置かれていたそれらが、新たな未知の脅威と共に一気に蘇る。

 大我にもその不安は当てはまるが、彼の場合は、今自分が相手にしようとしているのは一体何なのか、あんなキメラのような奴らがうようよいるのか、あんな強い奴が負けるような敵または現象に自分が立ち向かえるのかという疑問と懸念。

 ベクトルは同じだが、それぞれ違う不安を覚える二人。それを察したリアナが、そっとオレンジジュースをコップに注いで、二人の前に置いてくれた。


「どうしたの二人とも? そんな険しい顔して、何かあった?」


「そういえば、エヴァン君が帰ってきたんだってね?」


 リアナの気遣いに、横槍を入れるように割り込んでいく夫。

 ほんのちょっとだけなにをやってるんですかあなたはと心の中で思ったが、その一言に二人ははっと虚を突かれたように目を開いた。


「あら、あなた鋭い」


「えっ?」


 そのリアクションから、おそらくはそれに関係することなのだろうと察する。

 それをわかってて言ったのかと思い、エリックのことを褒めるも、当の本人は全くの無意識でこの話題を切り出したらしい。

 そういうところも可愛いと内心で惚気けながら、リアナは改めて二人の方を向く。


「うん、ちょっと色々と変わってたけど」


「あの時以来だもんなあ。ずっと姿一つ見えなかったから、心配だったんだよ」


 ようやく話の流れがすすみ、少しだけ沈んでいた空気が流動する。

 その当時を思い出しつつ、どこか安心したような口調で話すエリックと、それを黙って耳に入れるリアナ。

 その話題に入った直後、エリックは前日に大我から受けていた質問のことを思い出す。


「そういえば、昨日の話について、改めてしなきゃならなかったね」


「いえ、大丈夫です。たぶん……そのエヴァンさん本人から聞きましたから」


「おおそうか。……本当に、あの時の混乱っぷりと言ったら」


 ふうっと溜息をつき、過去の話を静かな食卓で口に出す。

 口調こそ暗さを感じさせるものではないか、その視線やきゅっと締める唇からは、内心の不安が表れていた。


「あれから大きな騒ぎは起きてないけど、それでもいつ何が起こるかわからない。こんな日常も、果たしていつまで続くか」


「あなた、せっかくの食事時にそういうこと言わないの」


「ああそうだな、すまなかった」


 思わず吐露してしまった懐に抱える心労。リアナの一言で、その場の空気は沈みすぎるということはなくなった。

 ただこの一連の流れで、大我は今置かれている状況を肌でなんとなく感じることができた。

 街中でトマトを貰った後での一言、おそらくはそういうことなのだ。

 一見アルフヘイムは、平和で明るい雰囲気に包まれている。しかし住民の内情は、得も言われぬ不安を抱えていたのだった。

 神様やネフライト騎士団、穢れを受けても教会がある。しかし、皆の不安はそれ以上の何かに焚き付けられているように見えた。

 大我の中で、こんな時自分はどうすればいいのか、何をすべきなのかという苦悩が根を張り始める。


「情けない姿を見せてしまったね」


「いや、大丈夫ですよ。むしろ、ようやく何がどうなってるのかってわかった気がします」


「そうか。こんな愚痴でも、その助けになったなら……」


 淀んだ食卓の空気が、二人のやり取りによって少しだけ透明を取り戻しかけた。

 その時、玄関の方からバンっと勢いよくドアの開く音が聞こえた。

 今この家の住人は、食卓に全員揃っている。ならばその音は鳴るはずはない。全員が一気に息を呑む。


「パパ、ちゃんと鍵かけた?」


「もちろんだとも。ちゃんと引き出しに締まっておいたはずだぞ」


 家内のセキュリティを改めて確認し、落ち度はないこと確かめた後でそれぞれ顔を見合わせる。

 ならば誰かが鍵を破壊したのか、そんなことをするとなれば、強盗のような危険人物なのではないか。

 食卓に緊張が走る。どたどたと慌てたような足音が徐々に近づいてくる。エルフィを含めた五人は、近づいてくる侵入者を返り討ちにしようと身構えた。

 そして、その人物が姿を現した。


「……あれ?」


「エヴァンさん!?」


 フローレンス家の家屋に現れた謎の侵入者。その正体は、まさかのエヴァン=ハワードであった。

 その様子はどこか慌てており、小さく息を荒らげている。


「噂をすれば」


「あ、すみません皆さん勝手に入っちゃって。突然で申し訳ないですが、ちょっと匿っていただけませんか?」


「えっ、それはどういう」


「話は後で! ちょっと二階の方へ……」


 なにやら慌ただしい様子を見せるエヴァン。用件を伝えた後で部屋中を見渡し、現在大我が泊まっている一室に目をつけ、そそくさと階段を無視するような移動で向かっていった。


「ええと、一体なんなんだ」


「さ、さあ」


 目まぐるしく動く展開に困惑する四人。

 何かあるのだろうが、やっぱり事情をまず知らないとなんとも言えないと、エリックが席を立とうとしたその時、玄関の方からノック音が聞こえた。

 先程のエヴァンは闖入者に該当するだろうが、今度はおそらくは客人と思われる。

 こんな時間に珍しいと思いながら、エリックは応対しようと立ち上がる。


「俺が出ますよ」


 そこで大我が、訪問者の応対に自ら名乗り出る。


「ん、いいのかい?」


「さっきのエヴァンさん、何かに追われてるみたいだったし、もしかしたら……と思って」


 本人に話を聞かなければ詳細はわからない。だが、もしもの可能性を考えると、ここは戦える自分が出たほうがいいだろうと、大我は立ち上がった。


「なるほど、確かに。じゃあお願いしよう」


「すぐに戻ってきます」


 エルフィを連れて、玄関へと足早に歩いていった大我。

 そして真っ直ぐ、そのノック音響く扉の前まで到着した。


「エルフィ、準備しといてくれ」


「もちろん」


 正体はわからないが、もし敵ならば不意打ちの可能性も否めない。

 二人の間で緊張感を高め、大我はゆっくりとそのドアを開ける。そこには、衝撃の光景が広がっていた。


「はい…………!!?」


「おはようゴざいます大我さン。今日はどうデすか?」


 大我達の目の前に現れたのは、肌が殆ど見られない程に身体をリボンでぐるぐる巻にして、赤らめた顔で悩ましそうに外気に晒されるアリシアの姿だった。

 いつも聞いていた男勝りな口調は完全に隠れ、まるでお兄ちゃん大好きっ子のイメージそのままな性格と仕草、口調で接してきている。

 その180度どころではない異常な変わり様に、二人は口をあんぐりと開けて呆然としてしまっていた。


「あ、ああ……うん……元気…………」


「とコろで大我さん、お兄チゃんを見かけマせんでした?」


「いや、見てない……かな……」 


 そのあられもない姿を直視しないように視線を反らしながら、大我はたどたどしく嘘を混じえて質問に答える。

 アリシアはほんの僅かに、後方を覗いたりと疑うような間を置くが、すぐにその気を解いて頭を下げた。


「ありがトうございマす。お兄ちゃんが来たラ絶対に教エてくだサいね!」


 元気で健気という言葉が似合う笑顔を振り撒き、アリシアはそのまま大我の前から去っていった。

 腕を横に曲げて走る姿が見えなくなったところで、二人はお互いに信じられないものを見たという顔で向き合った。


「「…………なんだよアレ!?」」

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