第30話

「わかった、今から話すとしよう。バレン・スフィアで何があったのか。大我君は神伐隊ホーリーオーダーやバレン・スフィアについては知ってるかな?」


「ああ。来る前にラントに聞かせてもらった」


「よかった、ありがとうラント君。説明する手間が省けた」


 憧れの人から向けられた直球のお礼に、ラントはとても照れた。ものすごく照れた。


神伐隊ホーリーオーダーの中には色んな人がいた。近距離が得意なタイプや遠距離が得意なタイプ、よく目が利く射撃の達人、強靭な身体を持ちながら雷魔法のエキスパートの獣人、無口で美人な氷魔法の魔女、そして……とても強いライバルであるドワーフのアレクシスと、とても優しいマリー。みんな凄い人ばかりだった。それぞれ少数に分かれて何があってもいいようにと行動を分担した」


「それでも、全滅……」


「ああ。あれ…………いや、あいつはそれだけじゃ足りなかったんだ」


 ここで四人は、エヴァンの訂正した文言に一つの違和感が浮かぶ。

 現在の認識では、バレン・スフィアは突如発生した黒い球体の場、現象だと考えている。

 しかしエヴァンの物言いでは、現象ではなく一人の人物を指しているように感じられた。


「僕はアレクシスとマリーの二人と組んだ。そして初めに、離れた位置に待機していた数人がバレン・スフィアに軽い攻撃を行った。威嚇やその正体を確かめるためでもあったけどね。でも、それは無駄だった。魔法は効かず、矢はすりぬける。ならばこれは一種の幻惑か結界魔法かと思ったけど、そうじゃなかった。あれは、可視化された穢れだったんだ」


「あれが、丸ごと全部穢れ……!」


 一度でもそれを見た、知ったものにとっては、予想はできたとしても驚く他無い答えだった。

 大我以外の全員が、戦慄し目を丸くする。


「ただ、自然とあんなものが起こるとは思えない。なら、その大元を叩くべきだと考えたけど……遅かった。バレン・スフィアは急激に変形し膨張した。そして、僕らを尋常じゃない速さで飲み込んでいったんだ」


 赤黒い右腕を握り締め、唇を噛み締める。


「それからの光景は――――――地獄だった。得体の知れない敵に攻められたわけじゃない。少しずつ、全てが狂っていったんだ。最初に、僕達よりも前に出ていた者達から悲鳴が聞こえてきた。何があったのかと駆け寄ると、そこには無表情でがくがく震えながら、両腕を棒みたいに振って仲間を攻撃する一人の女の姿があった」


 小さく振りをつけながら、事細かにその時に起こった出来事を説明するエヴァン。

 過去の事象と言えど、その光景が焼き付いていることが察せられる。


「真っ先にアレクシスが押さえつけた。なんとかなだめるために土塊で四肢を封じたが、問題はそこからだった。抑えつけた身体が音を鳴らしながら変形し、四肢を折りながら無理やり抜け出した。そして、ぐちゃぐちゃなままの身体から僕達に炎を放ったのを最後に、死んでしまった」


 その場が一気に静まり返る。

 ティアやラントが想像していたよりも凄惨な実情に、ただ息を呑むしかなかった。


「それからはもう、悪夢でしかない。一人、また一人と、未知の狂気に襲われていく。ある者は自らの身体を傷つけ、ある者はうわ言のように理解できない決まった言葉を表情も無く喋り続ける。またある者は歪みきった顔で痛みに苦しみもがき、ある者は虚空へ自責の念を唱え続ける。そして、散らばっていた仲間が次々と僕達の方へと集まってきた。無事かどうか確認したけど、誰も彼もが、既に狂気に陥っていたんだ」


「そんな状況で、エヴァンさん達は大丈夫だった……んです?」


「その時『は』ね。僕達は仲間達に襲われたりしながらも、なんとか黙らせたりなだめたりした。でも、それも長くは続かなかった。次第にアレクシスもマリーも、その穢れに耐えられず沈み始めた。僕は……それをどうにかすることもできなかった。なんとか外に逃がそうともしたけど、こびりつくように追いかけて逃さない。明らかな意思を感じた」


 エヴァンの声が、だんだん必死に絞り出すような声になっていく。

 話すことすら苦痛であろうこの時、四人は集中して聞き続ける。


「それでも、なんとか皆を助ける活路を開こう。この穢れの原因を突き止め潰そう。ただそれだけを考え、僕は前に進もうとした。その時、頭の中に女の声が聞こえたんだ」


「声が……?」


「それは、みんなを嘲り笑うような内容だった。確信した。この声の主こそがバレン・スフィアの主だと。必死に抵抗しようとしたけど、僕も限界だった。身体中が重く痛い。頭の中がぐちゃぐちゃななりそうな程に心を掻き乱され、踏ん張らなきゃ自由を簡単に奪われてしまいそうな恐怖。立つことすらままならなかった。そして、そいつが笑いながら僕の頭の中から去ると、いつの間にか穢れの中から解放されていた」


 大我はずっと、真剣な目で息を殺すに静かに聞いている。


「目の前に広がったのは、この世の終わりのような光景だった。死体や呻き声、身体を震わせ怯える者。正直、相当堪えたよ。僕はなんとか動ける者を探し、協力してなんとかなるだけ街へと運び出した。途中で何度も酷い頭痛や吐き気、突然来る怖気に耐えながら、必死にアルフヘイムを目指した。それからは……ラント君やティアも知ってるよね。大我君は?」


「…………そこも、聞きました」


「よかった。それから僕は、こんな状態で帰るわけにもいかないと、アルフヘイムを出て身を隠した。それから自分の中に溢れる穢れに抵抗しながら思ったんだ。これがあの街に来れば大変なことになる。しかし、それが分かっててもどうすることもできない。なら、せめてもの小さな脅威を取り除いていこう。こうして、シルミアの森全体やその更に外を駆けながら、カーススケルトンやそれに連なるモンスター達を隠れながら狩ることにしたんだ」


「それで、この間偶然出会ったというわけですね」


「――――いや、偶然とはちょっと違うかな」


「もしかして、私達を見守ってたんですか?」


「…………あの後、僕は穢れに苦しめられる日々が続いた。なんといえばいいだろう……毎日毎日心が虫に食われるような感覚があった。自傷しかけたこともあった。なんとか手にした食べ物も、何度か吐いてしまった。それから何年も経って、だいたい半年程前か……ようやく僕に降りかかった穢れを制御することに成功したんだ」


「せ、制御……!?」


 大我以外の全員が、信じられないものを見たかのような表情で驚いた。

 特にその驚愕の度合いが大きかったのは、意外にもエルフィだった。


「その後遺症で、僕の右眼と右腕はこうなっちゃったけどね。僕に縁のなさそうだった幻惑魔法や、穢れの察知や対処もできるようになった」


 視線を意図して集めさせるように、右眼を指差した後、掌を空に向けて黒く染まった炎を作り出す。

 もう過去のことだからというように笑って見せているが、その声にはどこか虚しさのようなものがこめられていた。


「そのおかげで、何か現れたときに見当がつけやすくなった。……誰かを襲いに行こうとしてるモンスターの先で、何年かぶりにアリシアを見かけた。とっても嬉しかった。妹が元気でいてくれて、以前よりも逞しく可愛くなって……」


 エヴァンの目に宿る一筋の涙。先程とはうってかわって、その声には確かな妹への優しさと愛が詰まった声色へと変化していた。


「見かけたアリシアに近づいてくるモンスターを、度々隠れて狩っていた。ただ、最近は妙な奴が溢れてる。さっきのグレイトードもそうだ、僕はああいうタイプの奴を滅多にみたことがない」


「エヴァンさんでも、あんなのに出会わなかったんだ……」


「ああ。おそらく、今この世界で、何か良からぬことが起きている。それだけは確信できる」


 エヴァンはふっと目をつむって、話に大きな一区切りをつけた。

 そして、ゆっくりと膝を押して切り株から立ち上がる。


「さて、ここで僕が話せることは終わりだ。ご期待には添えられたかな?」


「…………はい。あの、なんというか……」


「今すぐに結論や感想を抱く必要はないよ。後で噛み砕いて、そこから自分なりの考えを導き出そう」


「……はい」


 一切知ることのできていなかった、神伐隊の真実。

 それはその実力とは裏腹に、あまりにも悲惨な結果を植え付けられた者達の記録。

 どれだけの強さがあろうとも、傷一つすらつけられなかったその事実。まるで無力であるかのように苦しめられたその果て。

 ラントはただ、言葉を作れないまま、口を歪めて黙するしかなかった。

 そんなラントを、ティアは心配そうに見守る。


「さて、そろそろ話は終わりかな?」


「いや、もう一つある」


「おっと、さっきので終わりじゃなかったんだね」


 ラントに割り込まれ、話すタイミングが遅れたことをわかっていながら、冗談混じりに言葉を返すエヴァン。

 小さく一回深呼吸を行い、大我は本来の目的を話す心の準備を整えた。


「エヴァンさん。どうか、アリシアのところに戻ってくれませんか」


 ようやく口にできた、大我の真の目的。エヴァンはそれを聞き、表情を少しだけ強張らせる。


「アリシアに何かあったのかい」


「この間俺達があなたと出会った後から、ずっと元気が無い。笑ってたりしても、無理してるように見える。色々話を聞いて、どうにかできないかって思ったとき、やっぱり兄貴がついてるのが一番なんじゃないかって」


 それを聞いたエヴァンは、黄昏れたように空を見上げ、負の要素がこもっていないため息を大きくつく。

 そしてしっかりと大我の眼を見て、耳を傾ける。


「――――いつかはこんな時が来るんじゃないかなとは思ってたよ。でも、どうして余所者の君がそんなことを?」


「俺は、そこにいるティアとアリシアに命を助けてもらった。それから、まだ出会ってからそんなにないけど、一緒に楽しい時間を作ってくれたし、色々とお世話になった。そんなアリシアが、ここ最近、ずっと沈み込んでる。それを放っては置けなかった。だから、その兄貴に戻ってきてもらって、元気を取り戻してほしいんです」


「…………なるほどね」


 大我の真っ直ぐ伝えられた理由を、しっかりと聞き入れたエヴァン。

 その眼差し、表情の真剣さ、握られた拳の力具合。嘘をついているようには全く見えない。

 裏の目的はおそらく皆無。ならば、その話に向き合おうとエヴァンは続けて口を開く。


「僕が戻ろうとしないのは、いくつか理由はある。アルフヘイム周辺の危険が高まっていることとかもあるけど…………なにより、戻るのが怖いんだ」


「戻るのが怖い……? でも、今の所街には何も」


「いや、敵がどうとかそういうものじゃない。自分で決めたとはいえ、僕はあそこから離れて姿を消した。大切なアリシアもずっと放っておいて、今更戻ることが許されるのか、恨んでいやしないかって不安なんだ」


 エヴァンは、一人だけ皆と離れたという事実から来る不安を吐露した。

 長い間、自分の故郷にいる人々と触れ合うこともなく、近づかないようにしながら、ただ害を及ぼすであろう異物を排除し続けた。

 その間、人々は姿を消した自分についてどう思っていたのか、当然知る由もない。

 何より、大事な妹であるアリシアに対しては、一言も告げずにただ黙って去ってしまった。

 そのようなことをしては、恨まれても仕方ない。また会いたいという気持ちは強くとも、一方のアリシアがそれを許してくれるのか。

 その不安の鎖が強くエヴァンの心を縛り付け、穢れを制御した後でも、きっかけも無く一歩を踏み出せずにいた。


「ようやく久しぶりに話せたときは、塊根がないかという不安はある程度は拭えた。けど、それでも僕自身に負い目がある。うまく言えないけど……怖いんだ」


「……アリシアは、エヴァンさんがいなくなってからずっと塞ぎ込んでました」


「ああ、やっぱりそうだよね……」


「……でも、お兄さんを恨んだり、文句を言うようなことはありませんでした。むしろ、ずっと心配してましたよ。いつか帰ってきてくれるかなとか、戻ってきたら、また一緒に狩りできないかなとか。恨み言なんて、少なくとも私達の前だと一言も言ってませんでした」


 ずっと一緒にいた友達だからこそ、いつも側にいたティアだからこそ知っている、どこへ行ったのかもわからない兄の事を、アリシアが常に想っていたという事実。

 それは、二人の仲を知っているエヴァンにとっても、強固な信用に足る物である。この話だけでも、心にのしかかった重石が軽くなるような、優しい感覚がエヴァンの中に包まれた。


「だから、どうかアリシアのところへ戻ってあげてください。いつも、今でも待ってますよ」


「――――ありがとう、ティア。それを聞いて安心したよ。…………あとは、僕が覚悟を決めるだけか」


「覚悟?」


「うん。不安にならなくてもいいとはいっても、やっぱりこれだけ離れてた分気まずいんだ。事は長くなればなるほど、素直には言えなくなる。その最後のもやもやがどうも晴れなくてね……」


 帰ってきた時の懸念はほぼ消えたと言っていい。穢れの制御がそれなりにできるようになった今、帰らない理由はまず無い。

 しかしそれは、あくまで物事の成否のみにおいてである。

 問題がクリアされても、それとは別に感情の問題が残る。安全を考慮されたバンジーの飛び出す一歩が踏み出せないように、どうしても、この長い時間側にいられなかった分の気まずさが、その最後の一歩を押し留めていた。


「…………よし、エヴァンさん。少し俺と勝負してください」


 抜け道の見えなかったやり取りの中、話題に入らずにいた大我が、唐突に横から割り入る。そして、理由の見えない勝負を持ち込んできた。

 いきなりの提案に、面食らったような表情になるティア。

 対照的に、エヴァンとラントはほう……とはっとしたような顔で興味を示した。


「おっ、いきなりだね。それはどうしてかな?」


「もう戻らない理由は無いし、そこでぐだぐだ悩んでても、良いことにはなんないだろうし、そういう時はいっそ手合わせでもして気晴らしした方が早いって相場は決まってる」


 大我は、かつて見たマンガや映画で、勝負を交えて心を整理するという場面を思い出した。

 拳を交えれば、雑念は消えて思考が透き通る。殴り合いな限らず、それはいくつもの事象に通ずるものがある。

 エヴァンに残っているのは、個々の問題よりもモヤのかかった感情の問題。ならば、いっそのこと勝負してみたほうが早いと、やや強引ながらも自分なりにこれがいいだろうという提案を突き出した。


「――――確かに、そうだね。僕も久々に、誰かとの組手をやってみたかったところだ」


 エヴァンは少しだけ考え込んだ後、了承とも取れる口ぶりと共に、その提案に賛成の意思を示した。


「雑魚掃除にも飽きてたし、君にも興味が湧いていた。喜んで受けて立とう」


 心なしか、エヴァンの表情には生気が戻りつつあるような気がした。

 大我はうまくいった! と言わんばかりの顔で、小さくガッツポーズを取った。


「でも、さすがに普通にやると負けようがないからな……ハンデをつけよう」


「ハンデ……?」


「ああ。僕は一切魔法を使わない。ただ、武器の変化は使わせてもらうよ。さすがにそこまで縛ると難しそうだからね」


 本気の殺し合いでもなく、真剣な勝負でもない。あくまで雑念を吹き飛ばすためだけの気晴らし。本気でやる必要はない。

 そうだとはわかっていても、大我は少しだけむっとした気持ちになった。


「その精霊と一緒にやっても構わないよ。まとめて相手にしよう」


「舐めてくれるじゃん……」


 ぼそっと、脳裏に滲み出た本音を呟いた大我。

 しかし、口ではそうは言っても、大我はその力の差をはっきりとその肌で感じていた。

 単純なパワーだけならば、自分のほうがもしかしたら上かもしれない。だがその前提条件でも、大きなハンデが与えられていても、確実な勝算が見いだせない。

 大きな余裕なのか、常に優しそうに話していても感じられない隙。ぴりぴりと本能に刺さる圧という名のオーラ。

 おそらくは単純にエヴァンがあらゆる面で強いというその雰囲気を、大我はひしひしとその身に受けていた。


「好きなタイミングで始めて構わない。いい勝負にしよう」


 常に、その余裕のある優しい態度を崩さない。

 そう言いながらも、右手は既にナイフのグリップに添えられていた。

 誰もが認めているであろう強者。油断も隙もないと、命のやり取りでは無くとも、覚悟を決める大我。


「なあエルフィ、俺、勝てると思うか」


「無理だろうな」


「やっぱそうか」


「わかってんなら聞くなよ。でも、俺と一緒ならそこそこいい勝負できるんじゃねえかな」


「そうか。……頼りにしてるぞエルフィ。しっかりアシスト頼むからな」


「任せとけって」


 軽口を叩き合い、緊張をほぐし合う二人。

 ふうっと大きく一息をついた後、大我は距離を取ったエヴァンへ視線を釘付けにする。

 神経を研ぎ澄ませ、目をそらさず、右足を引き、拳を握り、ぶつかり合うその時までの準備を整えた。

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