キャンディー・ナイフ

瀬野ハンナ

 底抜けに明るい陽射しが地面を照りつけていた。きみはうんざりしたように空を見上げる。長袖のワイシャツが暑苦しかった。


 バス停にはサラリーマン風の男の人たちがいるだけだった。すぐ近くにはJRの駅があり、市内のほとんどの高校は自転車か電車で行くほうが効率的だから、このバス停を使う高校生はあまりいなかった。


 でも、市外なら話はべつだ。こっちへ歩いてくる制服姿の男子を見つけて、きみは目を細めて見つめた。隣町の私立高校だった。目をそらし、小さく息をつく。


 なにを期待しただろう。


 朝練が忙しくて、毎朝五時起きです―彼はSNSにそう書いていた。八時五分前のバスに乗るはずなどなかった。


 わたしももし五時に起きて、六時過ぎのバスに乗ったら、あいつに会えるかな?


 考えてから、きみは自嘲めいた笑みを浮かべた。


―もうあの頃みたいに、無邪気じゃいられない。


 バスが停まる。




 きみが乗り込むと、シートに座っていた若い女の人が席を譲ろうとした。だいじょうぶです。きみは笑顔で断る。女の人は心配そうな顔をしながらも再びシートに座った。


 足を怪我したのは先週のことだった。体育のバスケの授業で、相手チームのエースと激しくぶつかって捻挫した。全治五週間。ギター部のきみには大きな落胆はなかったが、杖がなければ歩けず、自転車も使えない生活はやはり不便だった。


 流れる景色は雑然として、きみの瞳に映っては消えていった。きみはなにも見てはいなかった。バス停六つぶんの距離はあっという間に過ぎ、気づくとアナウンスが高校前だと告げた。きみはプリペイドカードを通してバスを降りる。車内にいるときは忘れていた強い陽射しが再び照りつけてきた。


「おはよ、七瀬」


 校門を入ったところで声をかけられた。振り向くと同じクラスで同じギター部の悠介だった。悠介はきみのことをなぜか下の名前で呼ぶ。


「ああ……おはよう」


 悠介はきみに合わせて自転車をゆっくり進ませた。詰まるんじゃないかと心配で後ろを見たが、始業ベルにはまだ余裕があるせいか、そんなに混んではいなかった。


「足だいじょうぶ?」

「うん」

「送ってもらってんの?」

「バスで来てる」

「大変じゃん」

「バス停から家までがね」

「遠いの?」

「ちょっとだけ」

「歩き?」

「そう。親、送ってくんないの、ケチだから」


 きみが言うと、悠介は笑った。駐輪場に自転車を入れる。悠介がスタンドを立てて鍵をかけるまで待っていたほうがいいのか、それとも先に行ったほうがいいのかわからず、きみは一瞬立ち往生した。でも、一緒に教室に行くのもあつかましい気がして、結局その場を去ることにした。


「待ってよ。行っちゃうの?」


 歩きだしたきみに、悠介が後ろから声をかけた。


「待っててあげようかー?」


 きみは冗談めかして言った。そして、どうして自分はこういうしゃべり方しかできないんだろう、と思った。もっと素直に照れるか、それが無理ならバッサリ切り捨てて立ち去れればいいのに。


「うん、待っててあげて」


 前カゴからエナメルバッグを出すのに手間取っている悠介が便乗して笑った。「ねえ、これ、抜けないんだけど」―きみはあきれて笑い、一緒にバッグを取り出すのを手伝った。


「はー、ありがと、助かった」


 やっと出せると、悠介は照れたように笑って礼を言った。これだよこれ、ときみは思う。こんなふうに、素直にお礼を言える人間に生まれたかった。


「階段、だいじょうぶ?」

「もう二週間目だから。慣れた」

「そう?」


 悠介は気をつかってきみのショルダーバッグを持ってくれた。そんなふうに助けてくれるひとをきみは知っていた。「ごめんね、リュックで来ればよかったね」―ほんとうは、ありがとうって言いたいのに。


「いいよ、べつに」


 悠介は笑って言った。それはとても屈託のない笑顔だった―から、きみは余計に素直な言葉が喉につっかえてしまうのだった。

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