地球と地球儀の距離

来条 恵夢

vrykolakas

「ヴリコラカスだったんだな」


 無表情に私を見る瞳を、随分前から知っていた。この眼差しが、いつか向けられるだろう事を。始めから、わかっていたのだ――


 私がこの地を訪れた理由は、今となっては覚えてもいない。

 多分、深い理由はなかっただろうと思う。私は、比較的平和な日本で、至って「普通」に過ごしてきたはずなのだから。

 ただ気付いたら、私はヨーロッパの片隅で、「吸血鬼」になっていた。

 墓の中で目覚めた時の驚きだけは、今でも思い出せる。

 親切な人々のいる所で死んだのだろう。ただの異国人の私を、粗末ながらも木箱に入れて埋めてくれたのだ。


 そこから出て、妻に出会った。


 記憶や思考がはっきりしないだけで、「人」と大差のない私を、妻は愛してくれた。私が吸血鬼ヴリコラカスだと知っていたというのに。

 私たちは結婚し、ささやかながらも暮らしていけた。

 土曜は全く動かなくなる私を、妻は苦心して村人たちに嘘の理由を告げ、守り通してくれた。わかれば、退治されてしまう。


 そして私達には、息子が生まれた。

 黒髪と赤毛の妻から、金色の髪の子供が。別に、珍しい事ではない。


 「吸血鬼」と「人」の間に生まれた子は、「吸血鬼」を見分け、退治する能力が備わっている。


 そして今日、その日が来たのだ。


「家には火をつける。母さん、父さ――そいつから離れるんだ」


 それでも妻は、首を振った。あの優しい瞳で、息子を見つめる。あの子は、私を睨みつけた。


「火をつける。逃げたかったら、逃げれば良い。でも、もう僕の前には現れるな」


 息子は、それだけ言って外に出て行った。すぐに、カーテンに火がついたのが見えた。妻を抱きしめた。


「お前は、ここを出るべきだ。裁きを受けるべきなのは、私だけだよ」

「知ってたわ。あなたに会った日から、こんな日がくる事くらい」


 そう言って、妻は微笑んだ。


「それとも、いると邪魔?」

「―――いいや」


 炎が近付く。


 妻を抱きしめて、私ははじめて人外としての能力を使った。炎を強めるために。

 焼き跡で死体が判別できなくても、不思議ではないように。私は既に死んでいて、何も残らないのだから、それが不自然にはならないように。


 どうか――あの子が、幸福でありますように。

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