人を殺した後輩へ。

@saburo_sa

二人の星空


「先輩、起きてください」


 頬をつつかれる感触がする。まどろみから覚めた俺は隣に後輩が居ることで呆気にとられながらも、今どんな状況なのかを必死に思い出す。が、思い出せない。


「今、俺達何をしていたんだっけか?」

「先輩呆けたんですか?夜間観測に出かけようって誘ったのは先輩じゃないですか」

 やれやれ、と淹れたてのコーヒーを差し出す後輩。

 受け取った俺は火傷に気をつけ、恐る恐る一口啜る。


 美味い。自分で淹れるコーヒーなんて眠気覚ましが第一の目的で味なんて二の次。とてもじゃないが味わって飲めるようなもんじゃない。でもこれは違う。俺のとは大分違う。美味い。


「やっぱ後輩の淹れたコーヒーは美味しいな。目が覚めるよ」

「いつもみたいに寝ぼけていると思いましたから。熱々で濃い目にドリップしました」


 気が利くこいつは俺の後輩。同じ部活、天文部の二人しか居ないメンバーの一人。言うまでもないだろう、もう一人は俺だ。

 今、俺達は部活の夜間活動という体で天体観測を行っている。春の終わり、夏の始まりを告げる蟹座を見に来たわけだ。


「普段は部室でトランプとか将棋とか、今まで天体観測のての字もなかったのにビックリしましたよ。急に星が見たいだなんて」

「いや、なんだ。今まで天文部らしい事を一つもやった事無かったから、俺も引け目に感じてたんだよ。部員も後輩一人だから、なんだ、その」

 そう、後輩は女子で女性で女の子。ここが問題だった。いや全然問題無いのだけれど。


俺には問題だった。下心とかよこしまな心は何一つもっちゃいない。だが俺のメンタルでは夜二人きりで星を見ようなんて言えなかった。


 いやもっとマシ言い方があった。・・随分馬鹿な誘い方をしたと思う。


「恥ずかしかったから誘えなかった、って所ですか?馬鹿ですねー先輩は。大体いつも二人きりじゃないですか。今更何を恥ずかしがってるのやら」

「そ、そうだとしても何か気恥ずかしかったんだよ。要は夜中二人きりで会おうって事だろ?」

 思春期メンタル舐めんなよ、と言おうとしたが言ったら言ったらで非常に情けなくなる事は自明の理だったので、あくまで心の叫びに留める事にした。

いやできた。


「そんな言い方しかできないから先輩は駄目なんですよ。先輩のスケベー」

「あー!あー!あー! UFOだ!UFOだぞ後輩!」

 狙いを定めたかのように急所を抉ってくる後輩。もう今日はだめだ。帰ってお風呂入って暖かくして寝よう。ここまで年下の女子にからかわれると立つ瀬がない。男として立つ瀬が。


 とにかく毎日こんな感じだからもうとっくに立場なんてありゃしない。


「ふふっ、どんなごまかし方ですかそれ。今日日小学生でもしませんよ。星を見に来たんでしょう?ほら、とっても綺麗に見えますよ」


 後輩は俺達の頭上を指差す。そこには満点の星空。文字にすれば4文字で収まってしまう程の陳腐さだ。実際に見上げる星空は黒い夜空を埋め尽くさんばかりの光点。


 幼いころから毎日観測をしていたが、これほど綺麗な星空を見たのは初めてだ。つい言葉を失ってしまう。


「すごいな。せめてこんな時に望遠鏡があったらって思うよ」

「予算下りないから仕方がないですよ。気を落とさないでください。裸眼でも十分です」


 たった二人の部活動。部室が与えられるだけ本当に優遇されている。天文部は全学年を通して2人から3人。それがもう何年も続いている。


 予算なんて部の立ち上げ当初から下りているはずもなく部室には過去、先輩たちが置いていったであろう数冊の天体図鑑と手作りの天体模型が鎮座している。多分俺も作り足す事になるだろう。それに加えて何か置き土産してもいいな。


「後輩が入部してくれてよかったよ本当。冗談じゃなく、お取り潰しの危機だったからな」

 俺の先輩たちが卒業して部員が俺一人になった時、顧問から廃部勧告されて随分焦ったもんだ。

「先輩のアプローチは凄まじかったですから。あんなに熱心に部活動の勧誘している所、天文部だけでしたよ」

 後輩はクスクスと笑い、手に持ったコーヒーを一口、啜る。


「もう冷めちゃいましたね」


 気づいてなかったが(今まで居眠りしていた事も相まって)、夜も更けてきた。仮にも女の子、親御さんも心配しているに違いない。


「そろそろお開きにしようか」

 俺はいそいそと片付けの準備に取り掛かる。

「・・・・」

「ん?ごめん聞き取れなかった。もう一回言ってくれ」


 何か聞こえた気がして、振り返るといつもと表情が違う後輩がそこに居た。底抜けに明るく、俺をからかってくる後輩はそこには居なかった。どこか目が変だ。

 そんな顔はしちゃいけない、させてはいけないと、思った。


「おいおいなんて顔してんだよ。退屈だったか?」

「・・先輩のバーカ」

「馬鹿とはなんだ馬鹿とは!」


 荷物もほっぽって逃げる後輩を追いかける。思ったより早い。ある程度走った後、満足したんだろう、立ち止まってこっちを振り返る。


「ねえ、先輩」

「急に何だよ、どうした?」

「私が、悪い事をしていたら、先輩、どうします?」


 本当に急に何なんだ。そういえば普段から大人びた感じだったからわからなかった。こいつ俺と同じ思春期だった。しかも年下だった。多感な時期だからなぁ、色々と考えている所もあるんだろう。


 一人納得。ここは年長者の貫禄と挟持を。先輩としての威厳を取り戻さんと呼吸を整え言葉を選ぶ。


「怒るに決まってるだろ。まあ後輩のする事だ、悪い事をしていたとしてもたかが知れてるよ。まー俺は容赦しないからな! 地の果てまで追ってぶん殴ってやるぜ!」

 後半になるにつれバトル漫画みたいになってしまった。

「・・ふふっ、先輩って、お兄ちゃんみたいですね」

 ニコニコと後輩は笑った。なんだかんだセーフ。その顔のほうが似合ってる、うん。



 俺は後輩の事をきっと、好きなんだと思う。とらえどころのない猫みたいな性格の女の子。

 そうこうしている間に夜が明けてきた。きっと今日も良い日になる。


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