『諦念:逃走』

 その一報はすぐさま、彼女達にももたらされた。


「オリヴィア様、無事、御帰還されました! 現在、皇宮へ向かわれています」

「……そう、分かったわ。下がってちょうだい。」


 兵が部屋から出ていく。

 次の瞬間――窓を開け、シャロンは外へと脱出を試みた。


「悪いことは言わん……止めとけ。どうせ、逃げられねぇよ。今まで、しくじって、あいつから逃げれたことあったか……?」

「ブレンダン、貴方……!」


 椅子に深々と座り、目を閉じ、手を組んでいる帝国大宰相。

 その表情に浮かんでいるのは諦念。

 昨日まであれ程、悲壮感に満ち満ちていたというのに……どうやら、もう『死』を――いや『死』よりも恐ろしい『黒色道化』のお仕置きを甘受することを決意しているようだ。

 シャロンは歯軋り。なんと、情けない男。最後の最後まで足掻いて見せる。それこそ、オリヴィア様の臣たる者の務めなのにっ。

 冷たい視線を叩きつけ、窓に足をかける。


「……因みに、何処までやれたんだ? 確か軍関係だったよな?」

「…………割」

「うん?」

「に・わ・りっ!」

「! そ、そうかっ!! いやぁ、そうかぁ、二割かっ!!! おーし。おしっ。生き残りの目が出て来たっ。いやゃ、そっか、そっか二割かぁぁ」

「…………そういう、あんたは何処までやれたのよ? 官僚組織と財務の諸問題だったわよね?」

「はんっ! 聞いて驚け。二割一分だ!」

「ご、誤差よっ!」 

「ちっちっちっ。その『一分』が生死を分かつんだ。お前だって経験済みだろうが?」

「…………くっ!」


 足に力を込め、外へ飛び出そうと――突然、強大を通り越す魔力の波動。結界が皇宮を包み込む。

 は、早過ぎる……!


「お~お~。やはり、逃げ出そうとしておったのか。これだから、威勢が良いだけの小娘は。そこの男は、どうやら覚悟を決めておるようじゃなの? うむ、その心意気や良し。主は、あれで慈悲深い男じゃ。苦しむことはあるまいて」 

「っぐっ……ど、どうして、貴女がここに? オリヴィア様は先程、到着されたばかり、と聞いているのだけれど? それに――なんなのよ、その恰好はっ!」


 窓にとんでもない結界を張り、入り口を封鎖しているとんでもない美女。

 しかし、魔力は――間違いない、黒羽猫!


「決まっておろうが。主から命ぜられての。与えられた宿題の出来具合を確認しに」


 刹那―—抜剣し一閃。

 手応えありっ!

 が、美女の姿が崩れ黒砂に。


「おぅおぅ。物騒じゃのぉ。今のは、普通の者ならば死んでおるぞ? 少しは手加減をせんか。にしても、おぬし」 

「…………何か?」

「少しばかり肥えたのではないか?? ダメじゃぞ。幾ら、主に見向きもされず、眼中にすら入れておらぬからといって、やけ食いするのは美容の」

「死んでください♪」


 おそらく生涯で二番目の斬撃。

 手応えはあるも――これも、偽物。本体は、そこっ!!!

 激しい金属音。私の愛剣が魔力障壁で停止。飄々とした声。


「……帰って早々、危ねぇな。おい」

「主、そこの小娘が我を虐めるのじゃ~。助けてたもれ~」

「阿呆。そうやってからかうな。こいつは加減が出来ねぇんだぞ? 部屋に入った瞬間、首が飛ぶところだ。で……何をそんなに荒れてるんだ? 忠義馬鹿娘」

「ノ、ノルン……」


 入って来たのは黒髪の痩せ男。『黒色道化』。

 ふらふら、と一歩、二歩、後退。

 机にぶつかる。

 後方から、魔力の波動。

 振り向くと、ブレンダンが窓の結界を何とか解いて、逃走しようとしていた。


「あ、あんた、諦めたんじゃなかったのっ!?」

「……シャロン」

「?」

「ノルンと仲良く頑張れよな☆ 俺は、応援してるぜっ!」

「ち、ちょ、待」


 止める間もなく、外へと飛び出す帝国大宰相。

 ――扉が開き、ブレンダンが飛び込んできた。あら、おかえりなさい。

 深い溜め息。


「……逃げるなら、もう少し考えて逃げろ。つまらん」

「うむうむ。そこの小娘を囮兼犠牲とし、逃走を試みた気概は見事。じゃが、やはり、お主も少々、肥えたのではないか? しかも……臭う、臭うぞ。これは女子の臭いじゃ。さては帝都の花街に」 

「ノルンっ! し、仕置きは受けるっ!! 受けるからっ、よ、嫁にだけは……嫁にだけは、バラさないでくれっ。で、出来心だったんだっ。後生、後生だっ!」

「ん、まぁ……」

「ダメじゃな」「死ねばいいのに」

「――というわけだ。諦めて縛につけ。後はお前の嫁次第だな。ブレンダン」

「な、何だ」

「花街の良い店を後で」


 人生最速の一撃。

 黒羽猫もその長い足を後頭部へ。

 けれど――私達の一撃は空をきった。

 ノルンは椅子に座り、書類を眺めている。


「……この程度、お前らなら当の昔に解決するもんだと思ったんだが。おい」

「「っ!」」

「む~主ぃ。少しは、我と遊んでも良いではないかぁ」

「阿呆。普通に受けてたら頭が砕けるだろうが。とっとと、戻れ」

「可愛くないかの? 主好みの女子だと思うのじゃが」

「猫の方がまだ、可愛げある」

「仕方ないのぉ」


 一瞬で、彼の肩へ移動。

 ……分からない。どういう魔法なの? それとも特殊な移動術??


「ブレンダン、シャロン」 

「「は、はいっ!」」


 思わず敬語になる。ふ、不覚……昔の癖が……。

 でも、いつの間にか眼鏡をかけているこいつは、本当に昔のままで。



「ったく。俺みたいな死人に仕事をさせるな。ただでさえ、あいつが五月蠅いんだぞ? ――とっとと、片付ける。まずは、人集めだ。」

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