Episode05:廃屋

 高齢者の単身世帯が増加した二〇世紀末から少しずつ問題になってきたのは、孤独死していく老人の遺産整理や廃屋の管理だった。身寄りのない高齢者や遺産放棄するその子供らが増加することで、町には廃墟が溢れた。依頼があれば率先して整理回収に向かう便利屋も、全くそうした気配のない物件には手を付けられない。場合によっては不法侵入や窃盗として扱われてしまうデリケートな問題なだけに、宝の山を指をくわえて見ていなければならない。

 遠縁の親戚があれば遺品と遺産をある程度整理して何とか引き取ってもらうことも出来るが、高齢者の一人暮らしにはそれなりの家庭の事情が付いて回り、殆どの場合連絡を取れなかったり、取れても相続拒否されてしまう。そうなってくると、引き取り手のない物件や遺品はそのまま放置され、何年も何十年も人が入らぬお化け屋敷へと変化していく。

 こうした物件は、更地にでもしないと買い手が付かないうえに、犯罪の温床となる危険も秘められている。そこで、十年以上持ち主もなく空き家として放置されている建物の所有権を自治体に強制移行する法律が制定された。自治体が元の所有者やその関係者の許可なく、税金でそれらの空き家や空き物件の撤去作業を行うことが出来るようになったのである。作業依頼の殆どは建設会社や便利屋に寄せられる。競争入札になることもある。それほどに魅力的な収入源の一つなのだ。



 *



 便利屋一ノ瀬のロゴマークの入ったポンコツの白ワゴンが現場に到着したのは、昼の少し前だった。築何十年かのボロアパート、住む者もなく大家も亡くなり、放置状態が続いていたらしい。以前は美しい白壁だったと思われるところにはツタの葉が生い茂り、窓やドアのギリギリまでかぶさって入り口を塞ぎかけている。庭木や花壇には雑草で覆われ、様々なゴミが散乱しているのが遠くからも見えた。しかも二階へ続く階段は手摺りが朽ちて落ちているではないか。


ながれ、どうした。怖気おじけづいたか」


 ワゴンの助手席から顔を出し、アパートを仰ぎ見て、流は唾を飲んだ。

 そんな彼を見て運転席の田村は隣で嫌みったらしく笑う。


「こんなの、ゴミ処分場でやってきた俺にしたら、全然大した事ねぇよ。ちょちょいとやっちまおうぜ」


 流は思わず必要以上に強がって見せた。


「まあ、そう思っていられるのも今のうちさ。さて準備をと言いたいところだが、区の担当者が来て、正式な許可を貰ってからじゃないと作業に移れないんだ。江川さんはまだかな」


 田村はワゴンから降りずに、周辺を何度も見渡した。

 数分後、トラックに乗った仲間の三人が到着、ワゴンの後ろに停まった。先輩の川岸、流の二つ上の康司こうじ、そして事務員のなぎさだ。田村は振り向いてまだまだと手で合図し、更に江川を待った。

 約束の時間から十分ほど送れて、正面から区の軽乗用車が現れた。敷地の向かいに車を停め、区の作業着を来た眼鏡の痩せぎす男が慌てたように運転席から飛び出した。


「あ、江川さん、待ってましたよ」


 田村が運転席から手を振ったのを見つけて、江川はヘコヘコと何度も頭を垂れた。


「いやぁ、一ノ瀬の田村さん。お待たせしました。ちょっと取り込んでまして」


 後頭部を掻きながら、やたらと腰の低い五〇代の男が近付いてくる。へらへらした笑顔に、なんだか流はイラッとしてしまう。


「おい、出るぞ」


 田村がぽんと背中を叩いた。

 ワゴンを出て、江川を先頭に敷地内に入る。二メートル近い塀でグルッと三方向を囲まれた敷地内に、そのアパートは立っていた。その塀自体も、ところどころ壊れて崩れ落ち、圧迫感がある。夏の暑さと雨でぐんぐん伸びた雑草は膝丈まで迫り、ゴム長でも歩きにくい始末。蚊だろうか、ぶんぶんと耳元で羽音がした。


「電気も水道も止まってから、十数年経ってます。ゴミの投げ捨てが酷くてね、近所の人から苦情が最近特に増えてしまったんですよ。最終的にはここを更地にしてもらいたいわけで。もちろん、廃材リサイクルなどで得た収入は一ノ瀬さんのとこの取り分ということで構いませんよ。はい、これ、今回の作業許可証です」


 ここが水道管、ここがガス管の場所ですよと、当時の登記簿の写しを見せながら、江川は相変わらずのニヤニヤ顔で説明した。時折ハンカチで汗を拭き拭き、


「いやぁ、こんな暑いのに、ホント、お疲れ様です。便利屋さんほど忙しい仕事はありませんね」


 などと、思ってもいないような台詞を口走る。

 はいはいと頷く田村も、どうやらこのいけ好かない男が嫌いらしい。最初こそ笑顔で応対していたが、そのうち表情が消え、惰性で相手をするようになっていた。


「まあ、そういうわけで。私は失礼します。作業が完了したら区までご一報願いますよ」


 最後に深々と一礼し、走るように去っていく江川の後姿を見て、皆一様に溜め息をついた。区の軽自動車がいなくなるのを確認すると、田村は皆を集めて円陣を組んだ。


「さて、社交辞令が終わったところで、作業に移るぞ。作業に数日掛かるのは間違いない。まず、庭の草むしり、それから庭木を引っこ抜く。外にあるゴミを分別処理して、その後室内のゴミ撤去、解体、資材の区分け、持ち出し……と、慣れないヤツもいるから、みんな手伝ってくれよな」


 田村はそう言って、流の方を向く。それは俺のことかと流は大きく眼を見開いた。当たり前だろうという視線が皆から注がれ、流は思わず萎縮した。


「なぎさは? いつも事務ばっかりしてんじゃん?」


 事務のなぎさがメンバーにいるのを、流は当初から不審がっていた。


「お前が知らないだけで、なぎさは現場経験者だよ。力仕事は無理だけど、廃材分別はプロだからな。それで呼んだんだ。なぎさ、流のこと、頼むぞ」


「はい、任されました。流君、よろしくね」


 童顔のなぎさが にこりと笑う。いつもの事務服じゃない、自分と揃いのつなぎを着たなぎさは、なんだか妙に色っぽく見えた。長い髪の毛を後ろにきゅっと束ね、きっちり締めたつなぎのボタン、普段は見えないスレンダーな体のラインが見えるあたり、なかなかツボだ。


「あ、今、いやらしいこと考えてたでしょ」


 小声で、だがみんなに聞こえるように、なぎさは流の隣で囁いた。

 田村の咳払い、赤くなる流。


「さて、日没まで、とりあえずこの敷地内をきれいにしよう。明日から順次建物の取り壊し作業に入れるようにな」


 田村がパンパンと手を打ったのを合図に、五人は一斉に作業を始めた。

 草刈機で年長の田村と川岸が背丈の高い草を刈り、流となぎさと康司はその後始末や庭に散乱するゴミの処分に追われた。空き缶、空き瓶、弁当や菓子の空箱、ポルノ雑誌から家電、自転車まで……ありとあらゆるゴミがあった。カビ生えた布団や座布団、衣類など、擦り切れどうしようもないものまで置いてあるところを見ると、ゴミがゴミを呼んでしまったと思わざるを得ない。しかも敷地の奥に行けば行くほどうずたかく積まれている。いわばそれは、


「ゴミ屋敷だな」


 流が呟いた。あのゴミ処理場とはまた違う種類の臭いがした。ぶんぶんと舞う蝿や蚊も、きちんと防虫剤の撒かれた埋立地とは違う。手で払っても払っても追いかけてくるのに業を煮やして、全身を震ったが、何の意味もない。そうするたびに、「ちゃんと仕事しろよ」と田村の小言が聞こえてくる。

 なぎさの指示で可燃ごみ、資源ごみなどに区分けし、それぞれ種類ごとにユンボを降ろしたトラックに載せていった。木の板で仕切り、分かりやすくすることで受け入れ業者も作業がしやすくなり、その分査定額が上がるのだという。


「まあ、文句言わないで頑張ろうよ。ここが更地になったら気持ちいいよ。ま、その土地代はうちらには入らず、区の資産になるんだけどさ。ホラ、少しずつ土が見えてきたよ。流君、ファイトファイト」


 昼食をはさみ、更に作業は続く。入り口からどんどんと進められた作業は、ついに敷地の一番奥、アパートの陰まで進んだ。そして多い茂ったツルやツタが建物のドアから剥ぎ取られた頃には、日がどっぷりと暮れ、澄んだ夜空に月が見え始めていた。


「さて、本格的な作業は明日からだ。今日はお疲れ様。明日は、今日出た廃材を工場に持ち込むところから始めよう」


 トラックとユンボに鍵を掛け、荷を降ろして軽くなった軽ワゴンで家路に着く。

 車内で田村と川岸が明日の作業について前の席でなにやら話し合っていたが、流には聞こえなかった。


「流君、寝ちゃったね」


 定員オーバーの車内、なぎさの膝の上に覆いかぶさるようにして、流は夢の中に入っていた。彼女が優しく髪を撫ぜる感覚すら、流には届いていなかった。


「まだ、ガキだな」


 と言う康司も、少しうとうとしていた。

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