異世界教祖物語

リンゴの枝

プロローグ

0.

 死とは誰に対しても平等に訪れる。

 しかし、死後に赴かなければならない場所は神を信仰していたか否かにより全く異なる。

 唯一の神であらせられるアマテラス様の御許に迎え入れられる者は少なく、しかし彼/彼女の広く深い懐は、ただ「信仰するだけ」で永遠を私たちに与えて下さる。

 与えてくださるのに……!


「教祖様! 死なないでください! 私はまだ教祖様の教えを理解できない虫けらです」

「あなたの教えを私たちはまだ理解していません。神様の許へ正しく迎えられるための崇高にして広遠な信仰の道を説いて下さい」


 私の病床の縁を慰めるものはこの可愛い二人の教え子だけ。

 そう、たった二人だけだ。

 神の存在は広く認知されなければならず、我々の魂は神の御許に正しく送られなければならない。神の使徒たるこの私は、世界に生まれて神の使命を与えられたにもかかわらず、たった二人の信徒を獲得しただけで神の御許に赴こうとしている。

 そして、限りある時間の最期を病床にて無為に過ごし、無能の罪に新たな怠惰という罪をまた重ねてしまう。


「ごほっ……」


 私の肺を虫食むがん細胞は体内への酸素の供給を妨げ、小汚い血反吐を清浄でなければならない神の神殿にまき散らす。小汚い赤い液体が神をお迎えする神殿を汚して私はさらなる罪を犯してしまった。


「ああ、血をこぼしてしまいましたね……」


 深い罪悪感にさいなまれる私の体に近づき、私の可愛い教え子である立花(たちばな)美玲(みれい)がタオルケットを取り、私の胸に優しく押し当てる。生来の長所である優しさを感じさせる所作で、私の体から赤い液体を拭き去った。


「教祖様の血が教祖様の体を汚していました」

「私のことなどどうでも良いのだ……」

「美玲。あなたの行為は慈愛に満ちあふれているけれど、自分の足下をご覧なさい」


 私の優秀な教え子、立花(たちばな)奏(かなで)は鋭い洞察力で美玲の罪に気づき、彼女が犯している罪を戒める。

 奏の忠告を聞くと美鈴は慌てて私のこぼした液体を踏み広げ、神の床を更に汚してしまった。


「す、すいません!!」

「ああもう、ジタバタしないで。あなたが動くと更に罪を広げてしまうのだから。反省してそこに立っていなさい」


 奏は水を汲みに立ち上がる。無駄のない所作で早々に病床から去り、この場には美玲と私とが残された。


「美玲……、お前は優しいが……、大切なことが……」

「ああっ! お喋りにならないで下さい! 短い余命が更に縮まってしまいます!」


 美玲は奏の忠告など忘れてしまったかのように近寄り私の骨張った手を握る。また罪を重ねてしまうのかと戒める気持ちが生まれるが、しかし、彼女の手は温かく感じられた。 


「かは……」


 先ほど吐き出した血液が私の気管支に流れ込み、空気の流れをせき止める。それを吐き出す力もなく、私の意識は急速に薄れていく。


 私も弱ったものだ


 後悔だけが残る人生だったが最期は罪深き少女に看取られて逝くとは。

 最期まで神の使徒になりきれない己に忸怩たる思いを抱いているものの、この手の温かさに「悪くない人生だった」などと神の許に参じる者として不適切な感情を抱き、私の意識は暗く静かなところへ沈んでいく。


 せめて奏の到着を待ってやるべきだった。なんともタイミングの悪いことだ。

 全く、この姉妹は肝心なところで抜けている。

 ……私もか。


 ああ、世界中の人々に神の存在を認知させ、敬虔な信徒で世界を埋め尽くしたかった。




1.

 ――気がつけば私は暗い世界の中にいた。

 私は死んだのだろうか。いや、死んだのだろう。

 しかし、死んだことを自覚している今の現状は何だ?

 死とはアマテラス様の御許に旅立つことであり、すなわち世界は最も輝かしく明瞭な世界にいる。

 だが、現在の私がいる場所は暗く、狭く、そしてひたすら暖かい。

 ここがアマテラス様の世界……?

 いや、しかし。

 私は考え込み安い性質であり、考え込むときにはよく散歩をしたものだ。

 この空間に大地の上下があるとも思えないが、ある種の癖で足をじたばたさせる。


「――蹴った! 君のおなかを蹴ったぞ!」

「――まあ、なんて元気な子供なんでしょう」


 遠くの方で若い男女の声が聞こえてくる。その言葉の意味を知ることはできなかったが、この私の挙動に応答した物であることは察せられた。

 慈愛に満ちたその口調はまるで私の両親を想起させ……、

 …………両親?

 もしやアマテラス様の御許には私は私としてではなく、別の肉体を与えられた私として生まれるということなのだろうか?

 もしやこの場所は子宮と名称づけられる器官の中ということか。


「――んっ!」

「――どうしたんだい!?」

「――何でも無いわ」 


 私は好奇心旺盛な性質であり、腕を伸ばし周囲の状況を確認してみる。手に伝わる感触はまるでゴムで、それは安心感を覚える温度に保たれている。軽く押してみると柔らかい弾力を跳ね返してきた。

 滑らかな触感は天然ゴムの摩擦を思い出し、それが羊水……私が排泄した小水と母の分泌液でぬめぬめとしている。

 ほう、これが子宮の中か。





 ――という自我の気づきから長い時間が過ぎた。




 この時期は、ライフステージ的にはなんと名称づられけようか……、はひたすらに穏やかな時間であり、神への賛美に満ちた時間であり、以前の私が求めていた神の御許の空想に近いものだ。

 ときおり芽生えるいたずら心にいちいち反応する母は私を満足させ、欠乏がなく欲の存在しない状態にある種の感動さえ覚えた。

 ――しかし、すべての事象には終わりが来る。例外は神だけだ。

 最近では平穏な空間は天地が逆転し私を強く圧迫し狭苦しさを与えるようになってきた。私を孕む母の言葉は時折苦しみを含むようになり、子宮に張り詰めた弦のような弾力は私を不安にさせる。そろそろ私は世界に生まれ落ちるのだ。


 生まれ落ちる……。

 私が存在を始めた状態からの変化。

 エントロピー増大の原理によれば変化の内容が何であれそれは終わりに向かうプロローグ。永遠の停滞と引き替えに得るカラフルな終末旅行。

 ここが神の世界ならば、私の永遠の虚無感も晴れるのだろうか。


 ――いや、神を疑うことは神を信仰していないことだ。

 ――ああ、神よ。どうか蒙昧な私の魂をお許しください。














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