君がクズと呼んだ世界で

水二七 市松

第一章 ギター少女と文学少年

第1話 文学少年

――――「私はこの世界をクズと思っている」


 僕の顔を見るなり、彼女は唐突にそう言った。


 それは今でも鮮烈に思い出すことができる。


 十七歳の春、あの誰もいなかった屋上で、彼女の盛大な勘違いから始まったのは、意外にも、「彼女の」ではなく「僕の」物語だった。






 序章。物語で言う所の「起」である。


 その日は始業式で、晴れだった。


 登校する生徒達は昨年度(とは言っても春休みを挟む半月前の、つい最近までの話なのだが)とは少しばかり変化する春うららなこの季節同様に、少しばかり浮かれているようだった。


 そんな周りに比べるとまぁ、僕はなんとも冷めているのだろうか。


 特に代わり映えの無い学校生活に、あれほどまでに浮かれてしまってまぁ、と客観的目線で思いながら、その渦中の一端であるはずの僕は、我関せずといつものように鞄からハードカバーの単行本小説を取り出した。



 昨日購入した新人作家のデビュー作だが、もう既に残り五十ページをきっていた。


 春休みの宿題を早めに終わらせてしまった僕は、春休み中やることがなくて、古本屋で買い溜めていた文庫本を読み漁った。


 しかし昨日、最後の一冊も読了してしまったので本格的にやることがなく、家族のお使いついでに街の本屋へ繰り出してこの本と、普段愛読している作家の最新巻を購入した。


 楽しみは後にとっておく性分なので、先にこちらの方から手をつけたが、内容が中々面白かったのでついつい読みふけってしまった。


 物語に登場する主人公が、読書が好きで、しかも戯言を淡々と述べるドライな高校生であり、それが自分と重なりより面白く感じてしまった。


 どうやら新人作家の彼は、高校生の時からこの物語をWEBサイトで執筆していたようで、添削や修正を加えているとはいえ、僕にとっては圧巻だった。


 天才というものはどの世の中にも存在するものだ。


 こういう天才がいるからこそ、僕は本が好きでも「作家になろう」などという気持ちは微塵も湧いてこないのだと思う。


 読書をしながら人の波に任せて歩を進めていると、いつの間にやら校門の前に着いていた。


 小説などの持ち込みは特に校則上問題ないのだが、流石に登校しながら読んでいるところを見つかると注意されてしまうので、慌てて鞄にしまう。


 校門の内側に入ると、上下をジャージで身にまとったポニーテールの女性教師が、朝の挨拶をしながら生徒とともに風紀を取り締まっている。


 いつもの光景ではあるが、こうして教師までが出張るのは、取締り強化期間や、こういった休み明けだけである。


 休みが明けると、何故か風紀を乱して登校してくる輩が多いからだろう。


 しかしまぁ、僕にはその不良社会の風潮は理解できない。


 何故ならば彼らは、教師に注意されると必ず次の日には元に戻してくるからだ。


 彼らなりの意義や意味があるのだろうが、さっぱりわからない。


 ピアスの着用を注意されている生徒の横をすり抜けて、僕は「おはようございます」と、控えめに挨拶を済ませて教室に向かった。


 旧教室の中は既に騒然としている。

 この高校では、クラス替えの発表は始業式後になるので、それまでは昨年時のクラスとして行動する。


 女子生徒は、各派閥ごとに集まり談笑をしている。いつもの光景だ。


 男子も同様に談笑をしている。いつもの光景だ。


 そんな中、恐らくスクールカースト最底辺である僕は、自分の席については、誰とも会話をせず、机に突っ伏した。


――いつもの光景だ。

 僕は教室では本は読まない。


 騒然とした雑音は特に気にならないが、読書をしていると、話しかけてくる人間がいるからだ。


「何を読んでいるの?」とか「それ俺も読んでる」とか、そういう自分の価値観をアウトプットしようとしてくる事自体がなんとなく煩わしい。


 だから、僕の読書の時間は昼食時と放課後に決めている。


 数々の本をよんで来て、僕の様にスクールカースト最底辺で、読書が好きで、成績は中の上で、友達のいない主人公は沢山いたけど、その価値感に対する彼らの答えはなんとなく僕にとってはしっくりこなかった。


 僕はただ、面倒なだけだ。色んなことが。

 特に綺麗な理由も、それっぽい理由もない。


 別に人付き合いだけに限ったことではなく、なんとなくこの飽和したなんともいえない社会自体に面倒を感じている。


 友達を作りたくないわけでもなく、作れないわけでもなく、ただ作りたいわけでもないので、そういう面倒くさいことを避けて来たら、いつの間にかスクールカースト最底辺の「無関心」という称号を手に入れていた。


 そしてそれは、僕にとって思いの外都合が良かった。



 少しばかり微睡んで来た所で、騒然としていた教室が静まり返る気配を感じ取った。


 顔を上げると、どうやら校内放送が流れる様だった。


「皆さんおはようございます。始業式を開始しますので、体育館に集合してください」


 スピーカーの女性教師の声が静まると同時に、息を吹き返す様に教室内は騒然とし始める。


 そして、ひと組、またひと組と談笑を続けながら教室を後にしていく。


 僕はなんとなく全員が出ていくのを待ってから、教室を出て行った。




 全校生徒の集まる体育館は、先程の教室よりも増して騒然としている。


 メガホンの小さなハウリング音と一緒に、「始業式を始めるので静かにしなさい」と言う男性教師の声が聞こえた。


 それに伴い雑音達は少しずつボリュームを失っていき、およそ一分程で完全に静かになった。


 束の間の静寂を破るのは、毎度恒例の如く、さして有難くもない校長の演説である。


「皆さんおはようございます」と言う決まりきった決まり文句から放たれるお決まりのパターンで、その内容は中身のない中年の何のことはない説教混じりの世間話と、これまた相場が決まっている。


 そしてやはり今回のそれも、例に漏れることはなかった。


 全校生徒が集まる体育館の中で、欠伸の声や咳払い、鼻をすする音などの雑音をBGMにして校長の話は淡々と進んでいく。


 この何の面白みもない中年の演説をこの先の長い人生の中で記憶している人間は、これだけの人数がいる中でも恐らくは一人としていないだろうと言うのはまぁ傑作だと思う。


 そうこうしているうちに校長の演説は終わり、学年主任や生徒会からの連絡事項があった後、新任教師の紹介がなされる。


 その後、各学年の担任教師を紹介していき、それが終わればクラスの振り分け発表のため、各学年から退館していくと言う、どこの学校とも同じような用意された流れで始業式は終了した。




 教室に戻ると、黒板に先程まではなかった一枚のプリントが貼ってあった。


 皆が一目散に黒板の前に集まって行く様子を見ると、どうやら昨年同様にあれはクラス替えのプリントであるようだった。


 クラスメイトは騒然としながら黒板の前で一喜一憂している。


(ひと段落着いてから確認するか……)


 どうせ、クラス替えの為に設けられている休み時間はまだまだある。


 早々に新クラスへ移動したところで、再び騒がしいクラスメイトの雑音が蔓延する中一人で狸寝入りをする羽目になるだけだろう。


 僕はそう考えて身を翻し、売店の前の自動販売機に向かうことにした。





 他の生徒はクラス替え後のクラスメイトとの一悶着に忙しいようで、基本的に休み時間はまばらに人が往来するはずの売店前も今は一人たりとも見当たらない。


 そんな自販機で、僕は財布から百二十円を取り出してホットコーヒーを一つ購入する。


 売店の入口に設置してある時計に目をやると、時刻はまだ九時五十五分だった。


 クラス替えが完全に完了して、教員から連絡事項聞くまではまだ二十分強ありそうだ。




 自販機の横のベンチに座ってコーヒーを飲みながら時間を潰そうと決め、僕は腰を落とした。


 やはり静かな場所が好きだ。


 こう言うぼうっと過ぎて行く時間は、無駄な気もするが何者にも代えがたい。


 社会に出れば否が応でも人との繋がりの中に身を落とさねばならないことを考えると、僕のような人間は今の内にこの一人の空間を貪る必要があるのだ、というのは少し言い訳かもしれないが……悪くない気持ちだ。




 ふぅっ、と溜息をついてコーヒーを飲み干すと、パタパタと廊下にスリッパを打ち付ける音が近づいてきた。


 音の先に目をやると、近づいているのはどうやら女子生徒のようだ。


 ブレザーのネクタイの色から判別するに、同学年のようである。


 皆はクラスメイトの答え合わせで忙しいと言うのに、僕のようにそれに興味すらない生徒が他にいようとは思わなかったが、もしかしたら彼女はその作業を既に終えて喉が渇いたからふと立ち寄ったのかもしれない。


 ともすれば、そろそろ他にもポツポツとここに人が集まってくるのかもしれないので、ここいらで僕も立退くことにしよう。


 そう思い、自動販売機に背を向けて教室の方へと向かった。


 すると二、三歩くらい進んだところで、後ろから声が聞こえた。




「おい、君」


 振り返ると、先程の女子生徒が僕に声をかけてきていた。


 彼女は何故か、左頬に綿紗ガーゼを当てているので、怪我をしているようだ。


 長い髪はボサボサで、寝起きそのまま登校してきた様子に見えるが、違う理由なのであればなんとなく穏やかではなさそうだ。


 はっきり言って関わりたくない要素をはらんでいる。


「なんだろう。僕はまだ今年度の配属先のクラスも確認していないから、教室に戻って確認するところなんだけれど」


 第一印象で警戒を覚えた僕の言葉は、自然と棘を帯びていたが、彼女はそれに気づいたのか少しバツの悪そうな顔で答えた。


「いや、すまない。別に君に絡むつもりはないのだけど、なんだ。君、お釣りを忘れているようだったから」


「お釣り?」


 何の話かわからなかったが、彼女は僕の手を取って、その上に十円玉を乗せた。


 今気づいたが、彼女は右手に包帯も巻いている。


「今年度から缶コーヒーは百十円に値下げされてるようだ。私も引っかかってしまった。私は百二十円しか入れてないから、二枚のうち一枚はきっと君の物だろう」


 そう言うと彼女は少しだけ笑った。


「律儀な奴だな。十円くらい、大体のやつなら気にせずポケットにしまってしまうものだと思うけど」


「何を言う。一円に泣くものは何だと言う言葉があるくらいだ。親から金を貰っているうちは、例え一円でも大切にするのが道理だ」


 少しだけ怒った顔をする彼女を見て、僕は本当に律儀な奴だ、と少し呆れて溜息をついた。


「成程、正論だよ。ありがとう、恩にきるよ」


 そう言うと、僕は再び向き直って教室に戻った。

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