娘が可愛すぎて親バカにならざるを得ない

カカオ

第1話


「グゥ……オオォォ!」


 地の底から響いてくるような低く暗い怨嗟の声を上げてそいつは崩れ落ちた。

 かくいう私も満身創痍で、肩で息をし、剣を杖にして何とか立っている。

 片目が潰れ視界の半分は黒く埋まり、銀色の髪は浴びた血が乾いたか乾いていないか、それだけの違いで赤と黒に染まっている。体中のあちこちに大小さまざまな傷を負っている。とどめは腹部に空いた穴だろう。戦い中、隙を見て治癒魔法を一瞬だけ掛けたが、その後傷が開いて止まる事なく血を失い続けている。


「クク、グハハハハハ!」


 魔王と呼ばれるそいつは足元から粒子となって消えて行く。自慢の捻れた四つの角は折れ、大人の体躯程ある腕の肉は抉られている。鋼のように硬い黒い体からは人と同じ色の赤い血が止まることなく流れ、倒れているその場に血溜まりを生む。


 腰の下まで粒子となって消えているのに、魔王は赤い目を細め、折れた牙を剥き出しにして愉快そうに笑った。


 それは負け惜しみのような意地の張った笑みでは無く、自分こそが勝者だと確信し、敗者を嘲ける笑みだ。


 その笑みに殺意が湧く。叶う事なら魔王の元へ行き、粒子となって消え去る前にその喉を貫いてぐちゃぐちゃに掻き回してやりたい。

 だが、それが私には出来ない。魔力も体力も底をつき、毒も体に巡っている。仮に毒がなくても確実に私は死ぬのだが。


 他者から見たらこの結果は相討ちだろう。勇者である私の命と引き換えに魔王は封印されたのだから。むしろ魔王という脅威が去ったのだから今を生きる人類にとっては勝利とも言える。


「くそったれが」


 クソだ。クソみたいな話だ。何故私が人類の為に命と引き換えに魔王を封印しなければならない。

 この戦いは、今まで私が魔王と戦ってきたのは人類の存続の為なんかではない!


 旅の途中で逃げていった奴らの卑屈な笑顔が頭をよぎる。勝手について来て、私を恐れて逃げていった剣聖と聖女と賢者の顔を魔王の代わりに頭の中でぐちゃぐちゃにしてやる。

 それ以外にも出会った街の奴ら、助けた筈の奴ら、私を今世で育てた親とも呼びたくない奴ら。全員が私を恐れ不気味がり、そのくせ世界を託したとか綺麗事を言う。


 世界なんてどうでもいい。人類の存続なんてどうなったって構いはしない。私が魔王と戦う理由は私の為だけだ。



「また、我の勝ちだな、勇者よ」


 片方しかない目でありったけの憎しみをこめて睨む。

 魔王の言う通りだ。殺せずに封印せざるを得なかったということは私の敗北を意味する。今まで何度も続き、何度も自分の命と引き換えに封印して来た。


 今回も私は負けたんだ。


「次は、どうなるだろうな。お前に我と対等に戦える力があるだろうか」


 もう痛みも何も感じていないのか、首だけになった魔王は流暢に喋る。

 その言葉と嘲笑に私は何も返すことが出来ず魔王が完全に消えるのと同時に生き絶えた。

 そして人類は私の死と引き換えに暫くの平和を手に入れた。










 沈んでいた意識が覚醒し、目を開ける。何度目にもなる何処までも続いてるような白い空間に大した感情も抱かず、すぐに視線は自分の体へと移る。

 薄っすらと光り輝く体には傷痕も血の痕跡すらもない。肌は荒れや老いなどを知らぬとばかりに白く瑞々しさを保っていて、目にかかる銀色の髪は魔物を狩る時についた血の跡や、何本にも分かれた枝毛など最初から存在しなかったかのように輝いている。

 頭の天辺から足の爪先まで汚れ一つ知らない無垢な姿になっている。


「目覚めたのですね」


 私以外何もないこの場所で私以外の声が響き渡る。そして目の前に光の粒が発生し、集まり人の形を成して行く。少しすると光りは完全に人の形になり、この白い空間を更に白の光りで一瞬照らしたあと、女性となった。

 金糸の髪は一本一本が輝いているかのように見え、深い空を移した瞳は心の底までも見られていると錯覚してしまう。陶器のような白く滑らかな肌。そして生前どこぞの酒場で酔っ払いの男が女の胸には愛と夢が詰め込まれていると言っていた。その通りなら目の前の女は想像できないくらいに詰め込まれているのだろう。私とは比較にならないくらいの大きさだ。


 見られていることに気づいたのか形の良い桜色の唇を少し突き出して目の前の女は困ったような口調で言う。


「あの、どこを見てるんですか」


「お前の胸には愛と夢が沢山詰まってるんだろうなと馬鹿なことを考えていた」


「何ですかそれは。まぁ女神ですから愛には溢れてますけどね。それとこれとは関係ないですよ。貴女も小さいって程ではないでしょう」


 言われて自分の胸を見てみる。決して大きいとは言えないが、小さいわけではない。

 ああ、なるほど。元々信じていたわけではないが確かに胸の大きさが愛と夢で決まるのなら私は絶壁だろう。凹んでいても不思議はない。

 この話は終わりだ。実りもないしどうでも良すぎる。少し生前の記憶に引っ張られすぎた。


「あれから何年たった」

「……100年です」

「……そう」


 たったの100年か。


 魔王が封印されて復活しそうなくらいの力を得たのなら、封印に使っていた力が押し退けられて私に返ってくる。そうして私がこの場所で目を覚ましたということは、魔王が封印を破る日が近くなっていると言うことだ。


 最初に封印を破るのにかかった年月は500年くらいだった。私の力が魔王を少し上回っていたのに油断をして負けてしまった時。

 あれから魔王は時を重ねる度に強くなっている。

 一応私も転生する度にその時代の強者の元で力をつけてはいるが、魔王の成長速度に追いつけていなかった。


 魔王が最後に言った言葉が頭をよぎる。私は勝てるのだろうか。たったの100年で力の大半を取り戻したあいつに。もうあと何年かで更に強くなって復活するあいつに、私は本当に対等に戦うことすらも出来ないのかも知れない。


 けれど、それでも私は──。


「ねえ、スクルト」


「その呼び方はやめろ」


「だけど、前回の親がつけてくれた名前じゃない」


 私を恐れ遠ざけ、挙句には金に目が眩んで教会に売った男のことを親と言うのだろうか。金が沢山入った布袋を手に持ち、恐れや嫌悪感がありありと浮かんだ目で私を見て、そのくせ世界の為に戦えとか、お前は私の誇りだとか偉そうにのたまう男がつけた名前で呼ばれたくなんてない。


 前回の男だけではない。今まで私を育てた人はみんなそうだった。だから今更親の愛なんてものを求めてないし、授かる名前なんてものは勇者と認知されるまでの識別番号みたいなものでしかない。


「勇者でいい。それ以外の呼び方なんて不要だ」


 ──私は勇者だ。魔王を倒す為だけに存在するモノだ。それ以外の何者でもない。魔王と同じ、化け物に名前など必要ない。


「……わかりました。貴女は勇者であり続けるのですね」


 当たり前のことだ。私は勇者でしかないのに。そう言った女神の表情は少し悲しそうだった。

 女神の言葉もその表情の意味もわかりたくないから私はさっさと話を続ける。いつも通り既に選別は済ませてくれているはず。


「今回の候補は4人です。大魔導の称号を持つ男、バルバロッサ。王国騎士団団長で、剣聖不在の今次期剣聖と噂されるモロー。その団長と数度戦い引き分けている大海賊アネッサ」


 女神は候補を紹介しながら空中に光球を出して行く。揺ら揺らと霞む3つの球体には先の三人の戦闘する姿が映し出されている。


 大規模な火炎魔法で、オークの群れを燃やし尽くしている髭を蓄えた壮年の男の姿。


 自身の身の丈と同じくらいある大剣を構え、部下達に指示を出しながらワイバーンを追い詰めて行く男の姿。


 さっきの騎士団と同じ紋章がついた船に一番に乗り込み、そこにいる兵士を切り捨てて行く女の姿。


 余裕、真剣、楽しそうな表情が映し出されていた。その実力は見るからに高く、今まで私が転生先に選んだ者達よりも頭一つ抜きん出ている。


 まだ私は強くなれそうだと、安心して不安が少しだけ薄まった。


 小さく息を吐いて、体の力を抜いたあともう一度3人の動きを見る。先ずは目で覚える。魔力の動き、剣の太刀筋、足場が不安定な筈の揺れる船上での足捌き。


「気にいる者はいましたか」


 その言葉で私は光球から目を離し女神を睨む。

 集中している私を見て、誰を選ぶのか決めたと勘違いしたのか知らないが、まだ最後の1人を見ていないのに決めるも何もないだろう。


「まだ1人いるだろ。それを見てから決める」


「……わかりました」


 少し躊躇いながらも女神は光球を出した。そしてそこに映っていたものに私は呼吸を忘れるくらいに目が離せなくなった。


「彼は死神と呼ばれています。B級冒険者ですが、実力は先程の3人とそう変わりはしません。ただ人間性が……」


 女神の言葉が右から左へと流れて行く。ただただ私はその男が魔物を狩る姿を見ていた。

 夜の闇に溶け込むような黒の髪に黒の外套。戦っている魔物はゴブリンの群れだった。

 急所への斬撃による一撃で倒しているのにも関わらず彼の目からは、圧倒的な実力差による余裕も、戦いにかける真剣さも、蹂躙とも思えるその状況にたいする楽しさも見出せない。


 どろどろと蠢く憎しみを。感情の見えない無機質な黒の奥に狂いそうな程の憎しみを。目の前の魔物が何匹死のうが決して薄れる事のない憎しみを。

 彼の目は、全身は、まるでこの世の全てに対する憎悪で溢れていた。


 初めて目にした私と同じ人間。この男のもとなら私は魔王を倒せる力を身につけられる。


「この男にする」


 確信に似た直感に一瞬も逆らう事なくこの男に決めた。


「……本当に彼でいいのですか」


「ああ。この男がいい」


 この男なら間違いなく私を魔物を狩る武器として育ててくれるだろう。そこには紙のような薄っぺらい愛なんて入る余地がないだろう。どこまでも非情に、壊れたら使い捨てればいい武器として私を利用する。


「……わかりました。では彼のもとへと貴女を送ります」


 私の周囲に小さな光の粒が現れ、それに呼応するように私の体も光り輝く。もう見慣れたその眩しさにそれでも私は祈るように目を瞑る。今度こそ、と。




 ――目を開けた時私は四匹の狼に囲まれていた。





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