木犀のにほひは茂し
むせ返るほど濃い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。甘ったるいこの匂いを思いっきり嗅ぐことのできる時期は一年の中で一週間にも満たない短い時間だけだ。
私は金木犀が大好きである。ずっとあの匂いに浸っていたいと常に思っている。作り物のような質感の小さな橙色の花からあんなに濃厚な香りがすることに神秘すら感じる。
私は今行きつけの喫茶店へ向けて歩いているところだ。下宿から歩いて15分。花の匂いを楽しむには少し短めである気もする。下宿の前にある小さな橋を渡り公園(金木犀がたくさん植わっている!)を横切り、お気に入りのマフラーを翻してずんずん道を進んでゆく。
車通りの少ない街道を渡ったさきの小高い丘の上にその喫茶店はある。カフェはいから、それが私が贔屓にしている喫茶店の名前である。
年季の入ったドアを押すとドアについた鈴が心地よい音を立てる。入り口を背にして左側の窓際の席私の特等席だ。
席に着くと何も言わずとも紅茶が一杯席に運ばれてくる。この店ではその紅茶しか飲むことはできない。紅茶以外用意されていないのだ。
紅茶の暖かい香りが満ちたこの空間が私は大好きだ。金木犀に負けず劣らずである。
私は畳んだマフラーを膝の上に置いて一息ついた。外はあいにくの曇りだが、金木犀の香りは曇りの日の方が強い気がする。きっと雲が金木犀の香りが空に逃げないようにしているからなのだろう。
紅茶を飲んで帰ろうとした時、レジスターの脇に見慣れないものが置いてあることに気づいた。店オリジナルの茶葉である。
「あの、これ、」
バイトの女の子が首をかしげる。
「あの、これ、ここのお茶っぱなんですか?」
『あなた好みの幸せのかほり カフェはいから』
と、紙袋が主張している。
「これ、1ついただけますか?」
1000円渡すと500円お釣りがきた。
帰り道、急に雨が降ってきた。まだ寒くなる前とはいえ濡れると流石に寒い。
慌てて帰ってお風呂に入った。風呂上がりにお湯を沸かして、買ってきたお茶を淹れてみた。茶葉がガラスのポットの中を浮いたり沈んだりしながらお湯をお茶にするのを待つ間、ぼんやりと外を眺めていると虹が見えた。
小学生の頃画用紙いっぱいに描いた絵のような虹だった。最後に虹を見たのはいつだったかなどと思いながら紅茶をカップに注いで湯気を隔てて虹を眺めた。
紅茶からはほんのり金木犀の香りがした。
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