心の温度

2045年、AIが人間の知能を上回りどんどん人間の仕事を奪い始めた年だ。そして僕が生まれた年だ。

AIが発達しても出来ないことがひとつだけあった。AIのプログラミングだ。

どうやら彼らはすでにあるものを発展させることは得意だがゼロからイチを作り出すことが苦手らしく、いろんな仕事がなくなってもプログラマーの仕事はなくならなず、相対的にプログラマーの社会的地位が上がって行った。

僕が生まれたのは代々プログラマーをしてきた家で、僕で三代目だった。僕は一流のプログラマーになるべく英才教育を受け、育てられた。

小さな頃から友達と遊ばずにひたすらプログラムの勉強をした。

テレビやスマートフォンは与えられず、学校の時間と食事、睡眠、入浴の時間以外は全て勉強させられていた。そんな僕の唯一の楽しみが、食事の時間にのみ許されるラジオだった。祖父の骨ばった指が古いラジオのつまみを繊細に回して、雑音の中から番組を見つけ出す工程が好きだった。昔はラジオが一番の情報源だったらしいが今はもう民間の放送は全て終わり、国営の番組のみが残っている。


ラジオから流れるクラシックの美しい旋律は画面上のコードだけの味気ない日々に華をくれた。クラシック音楽だけが僕が生きている実感をくれた。


親に許された相手以外とは人付き合いすらせず、ひたすら画面と向き合い続けただけあって、僕は世界でも有数のIT企業に就職した。その会社に入社して半年経った頃、上司から声をかけられた。


「ちょっと君、話があるんだけど」


「はぁ」


「君はいつも死んだような目をしているな。せっかくこんなに優秀なんだからもっと自分に自信を持ったらどうだ。…そんなことより君には明日からうちの会社が社運をかけて行う一大プロジェクトに参加してもらう」


思わぬことであったのと同時に生まれてからの努力が認められたような気がして少しホッとした。


「ま、そういうわけだから。頑張ってね」


次の日から参加したプロジェクトの現場は思った以上に過酷だった。

世界中に張り巡らされたインターネットをより一層快適に、そして安全にするというシステムセキュリティの根幹を作るという、プロジェクトのために会社は有能な社員を使い潰すつもりのようだった。

どうやら納期が近いらしく各部署の社員を使っては首を切りを繰り返しているようでプロジェクトの人数は減らなかったが、プロジェクトに参加した者は皆ある日突然来なくなるか、机に突っ伏して動かなくなった。


ある日の朝オフィスの机で目を覚ました。

もう一週間ほど家に帰っていない。朝食でも買いに行こうと泥のような体を引きずって、オフィスからコンビニへ向かう道の途中、自分の中で何かが焼き切れた音がした。

家の英才教育や、さっきまでいた大きな会社のオフィスや、お見合いで家のために婚約した女の顔が、走馬灯のように頭を駆けた。


もうたくさんだ。誰かに与えられて指図されて、機械のように冷たい心を抱いて暮らしていくのはもう限界だ。そう思った。カバンも持たずに各駅停車に乗り込んで、泣いた。

家には少量の缶詰とパソコン、そして祖父が遺した古いラジオだけがある。鍵も閉めずにラジオの前にへたり込むとラジオの電源を入れた。祖父がやっていたようにつまみを丁寧に回す。ゆっくりとゆっくりと…すると雑音が収束してディスクジョッキーの落ち着いた声が聞こえてくる。


あぁ、この声だ。いつ聞いてもこの声は落ち着く。また美しい旋律を僕に与えてくれる…そんな僕の甘い気持ちを打ち破るかのように、ラジオから流れてきたのはヘビィメタルの音楽だった。

乱暴な打楽器とまくしたてるような弦楽器の音、そして怒鳴るような下品なボーカルの叫び声。全てが僕にとって初めてのことだった。生まれてこのかた一度も暖かく感じたことのなかった胸が熱くなる。

心拍数がどんどん上がっていくのが自分でわかった。思わずラジオにしがみついてスピーカーに耳を近づけて曲を聴いた。この空気の震え全てを取りこぼすなと細胞が訴えかけてきている。


こんなにジャンキーで中毒性のある音楽がこの世にあったとは!変わりばえしない退屈な日々を鼻息ひとつでで吹き飛ばしてしまった。まるでモンスターのようだ!ラジオからボーカルが僕に叫んでくる。



感情のコントロールなんて捨てろ!気が狂いそうな退屈な毎日をぶち壊せ!お前がやらないならこの世界はこのままだ!



ラジオのスピーカーからショッキングピンクの魔物が這い出てくるのが見えた。ティラノサウルスのような形をしたソレは僕の常識や抱えたものを跡形もなく破壊した。

気づけば曲は終わり、何事もなかったかのようにディスクジョッキーの話し声がラジオから流れている。

たった数分間曲を聞いただけのはずなのに、何時間も魔物と睨み合っていたかのように身体が震えていた。メタルが心に火をつけた。僕は生まれて初めて自分のためにコードを書き始めた。




ウイルスは一週間ほどで完成した。

インターネットに放たれれば、手当たり次第にデータを破壊する代物である。

感染力、破壊力は僕が務めていた会社で作られているセキュリティソフト程度では全く歯が立たない、最強のウイルスだ。

これでインターネットに浸りきりの世の中をぶち壊す。僕には現実で何かをする力も権力もない。それにコンピュータの上のことしか僕は知らない。だから僕を縛ってきたコンピュータ越しに世の中を壊す。

AIの箱庭の中で飼いならされている今の世界を打ち壊して新しい世界を作る。憂鬱な狭くなった世界を打ち壊してくれよ、僕のモンスター。


あの日、ロックを聞いてから僕の世界は変わった。汚れたレンズのメガネを外してクリアな視界を得たような、ショッキングピンクのあのモンスターの肩に跨って走り回っているような、そんなさっぱりとした世界に。

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