見習い天使キューの日記

もとめ

第1話 キューとクピド

色とりどりの美しい花が一面に咲き誇る大きな花畑。

 その先にひときわ大きな白い建物が見える。

薄紫の三角屋根が特徴の神殿のような建物だ。

「うわー、緊張してきた」

 建物が近づくにつれ、胸の鼓動も大きくなってきた……。

 今日は最終試験の日。あの建物で、課題が出されることになっているんだ。

 あたしはまだ見習い天使。

 今日出される課題をパスできれば、あたしもりっぱな天使の仲間入りなんだけどな。でも、試験課題は難しいって話……、なんだよね。

 花畑を抜けて建物の前に到着!

 他の見習い天使はいないみたい。今日試験を受けるのは、あたしだけなのかな?

 建物の大きな扉の前に立つ。

 大きく深呼吸して、そして軽く扉をノックする。

 コンコン。

「失礼します。見習い天使ナンバー2万100番、キューです」

 扉を引き開けて中に入ると、穏やかな光が射した静かな空間が広がっていた。

 誰もいない。

 あたしの声だけ響いてる感じ……。

 場所、間違えたかな?

 いぁ、そんなはずはない。

 気を取り直してもう一度声をかけてみる。

「すみませーん。見習い天使のキューです。どなたかいませんかー?」

 耳をすませて、広いエントランスを見回す。

 天井は高く、明るい日差しがたくさんの窓から降り注いでいる。正面に見える階段は、一階と二階の中ほどに丸く膨らんだ踊り場があり、そこで左右に分かれ二階へとつながっている。その踊り場には、大天使ミカエル様の彫像が置かれているのが見える。

 上を見ると、ドーム型の天井は美しいステンドグラスになっていた。

「すっごいなぁ……」

 広く透き通った空間と、あたたかい光の射すエントランスは、まさに天使の空間、といった感じだ。

 それにしても、誰も出てくる気配がないのはなぜ?

 おかしいなぁ……。

 あたしはミカエル様の像をながめて、もう少し待ってみることにした。

 階段を数段駆け上がる。白くきれいなミカエル様の像は、窓からの日差しが降り注いでキラキラ光って見える。大きな羽は何もかも、すべてを包んでくれそうだ。

「きれいだなぁ」

 あまりの美しさに、思わず手を触れてみたくなった。

 像にそっと手を伸ばす。その瞬間、一階左奥の通路から話し声が聞こえてきた。

「うわ、誰か来た……」

 慌てて階段をかけ下りる。

「おや?どなたですか?」

 亜麻色の髪の長いスマートな男の天使が、クピドと一緒に現れた。

「は、はいっ。見習い天使のキューです。試験を受けに来ました」

 勝手に部屋をウロウロしてたのは、まずかったかなぁ……。

 でも、この人はそれに気づいていない感じ。良かったぁ。

「これは、これは。もうお着きでしたか。お待たせして申し訳ありませんでしたね。私が課題監督のイザエルです」

 ああ、この方が課題監督のイザエル様でしたか!涼しげな眼もとがとても素敵な印象。噂に聞いていた通りだ。見習い天使の間では、イザエル様はやさしくってカッコ良いって人気なんだよね。でも、その横にいる、ちびっこクピドは一体?

 というか、なんでイザエル様と一緒にいるんだろ?

「あ、このクピド君ですか?」

 イザエル様は、あたしの視線がクピドに移っていたのに気付いたみたい。

「彼はあなたのパートナーです」

「はぁっ???」

 思わず驚いて、減点されそうな返事をしてしまった。

 でも、どういうこと?最終試験は?パートナーって一体……。

 いきなり何が何だかわからないよぉー。

 そしてそのクピドは、なんだかモジモジしている。

「よ、よろすく……おねげーしますだ」

「……」

 このさい、変なしゃべり方なのは置いておくとして、

「あ、あの……イザエル様、パートナーというのは……。あたしの最終試験はどうなったのでしょうか?」

 イザエル様をじーっと見つめて答えを待つ。

「うん、キュー君。君にはアモル様の課題をやってもらおうと思ってね。内容は簡単。このクピドの課題を無事に完了させること。それが君の最終試験だ」

 イザエル様は笑顔で、何か難しいことをいっているぞ。

 ようするに、このクピドの課題をあたしが手伝うってことかな?

「彼の課題は、〝人間界に行って、ひと組のカップルを作る〟というものだ。愛天使を目指す君には、良い試験でしょ?」

 ……そうなの?良い試験なの?よくわからないなぁ。

 でも、恋愛を司ることのできる愛天使になれるんなら、とにかく試験をこなすのみ!

 あたしは心の中で気合いを入れた。……と同時に疑問も湧いてきたぞ。

「あの、イザエル様。あたしの試験は分かりましたが……、このクピドの課題はあたしが手伝うことになりますよね?それって大丈夫なのでしょうか?」

 クピドの課題を見習い天使が手伝っている、なんて聞いたことないよ。

「えぇ。アモル様の許可は得ております。存分に手伝ってあげて下さい。あなたの試験でもありますから。では、これを……」

 そういうと、イザエル様から青い表紙の課題書を手渡された。

「詳しい内容についてはその中に書いてあります。そして課題の進み具合を書き入れて下さい。期限はありませんから、焦らずにがんばってくださいね」

「はい!がんばります!」

 あたしは元気よく答えた。

 そしてイザエル様は、軽くうなずいて部屋の奥へ消えてしまった。

 残されたあたしとクピド……。

「……」

「……」

 はっきり言って、あたしはクピドのことを良く知らない。知っている事といえば、クピドは愛の神であるアモル様の管轄下にある、ということくらいだ……。

「ねぇ、あんた何て名前?あたしは見習い天使キュー。これから一緒に課題をこなすんだから、お互いがんばろうね!」

 とりあえず自己紹介と挨拶。

「……お、オレは、クピドのスタグ。よろすくデス」

 クピドはモジモジした様子で答える。

「でも、クピドの課題の達成が、あたしの試験になるなんてねぇ」

 あたしは腕組みをしてスタグの様子を窺った。

 白くて薄いハギレみたいな布を体に巻いて、それが服のようになっている。背中には小さな白い羽が生えて、矢筒を斜めにかけているねぇ。

 そういえば、クピドの矢に射られたモノは恋に目覚めるんだっけ?確かそんなはず。

 ひとまず、あたしとクピドはイザエル様の白い建物を後にした。

 どこまでも広がる花畑、クピドと二人ゆっくりと歩く。

「ねぇ、スタグ。他のクピドも見習い天使に手伝ってもらっているの?」

 疑問はたくさんあるけど、まずは一番気になってることを聞いてみた。

「いぇ……。オレだけです。他のクピドは二人一組で課題をやってマスが……。今回は人数が奇数だったので、オレだけ天使の方と組むことになりまスて……」

 またもやモジモジした様子で答える。

 クピドってみんなこうなのかな?

 それはさておき、これからどうしたらいいかなぁ。私の試験といっても、内容はスタグの手伝いだしなぁ。

 う~ん、まずはスタグに聞いてみることにしよう。

「ねぇ、これからどうする?」

「んじゃぁ、まんず展望台から人間界の様子ば観察しますか?……、えーっと。き……、ピー?さん」

 スタグ、あたしの名前間違ってるじゃんか!

「キューだよ!キュー」

 改めて言う。

「ス、すみません。キューさん。オ、オレ緊張スて、名前あやふやで覚えてたッス」

 やっぱりモジモジしてる。なんだか頼りなさそうだなぁ。

「キューさん、人間界には行ったことありまスか?」

「ないけど」

「そ、そうでスか、オレは何度かあるんす。案外怖い所デスよ」

「そうなの?」

 モジモジしながら話をするスタグを見てると、人間界が怖い所のようには聞こえないんだけどなぁ。

 だって、あたしが聞いた人間界の噂って、とーってもおもしろそうだったよ。みんなおしゃれな服を着ておしゃれな家に住んでるんでしょ?そしてアイスクリームがむちゃくちゃ美味しいって話だ。

 そんな人間界に行けるなんて、とってもワクワクしちゃうよ!

 あぁ、なんだかそう考えたら、いてもたってもいられない。

「ね、スタグ。今すぐ人間界に行ってみようよ!」

「えぇーっ!」

 オーバーなリアクションで数歩後ろにたじろぐスタグ。

「そ、そんなに驚かなくてもいいじゃないかー」

 スタグのあまりの驚き具合に、こっちが驚いたよ。

「す、すみません。唐突な話だったモンで……。でも、キューさん、人間界に行くにはいろいろ準備が必要ダス。なんたって、この格好じゃ目立つモンで……」

「準備?」

「はい」

 それもそうか。課題をこなさなければならないんだもんね。

「じゃあ、準備ができたら行こ!すぐに準備できるの?」

「ま、まぁ……。できることはできるんだスが、その……。本当に今すぐ行くんデスか?」

「もちろんだよ!だって課題は人間界に行って、ひと組のカップルを作らなきゃならないんでしょ?ここにいたってしょうがないじゃん」

 あたしがそう言うと、スタグは少し考えている様子だ。

「……う~ん。わかりまスた。じゃぁ一旦アモル様のところさ戻って、変身道具を取って準備してくるんで」

 そういうと、スタグはアモル様の神殿がある方向を指差した。

「キューさんも、……その、人間に変身スて下さいね。その格好じゃ目立つっスから……」

「そうなの?……んー、わかったよ。じゃ、準備ができたら、花畑の砂時計前に来てね。待ってるから」

「わかったッス」

 スタグは軽く頷くと、いま指差した方向へと走って行った。

 でも、なんで人間に変身?天使やクピドの姿は普通の人間には見えないはずでは?

「うーん」

 ま、ここで考えていてもしょうがないか。人間界に行ったらわかることだしね。楽しみ!

「……と、その前に準備準備!」

 あたしは、見習い天使が住んでいる天使宿舎へと急いで戻った。

 そして自分の部屋のタンスをひっかきまわす。

「確か、あれがあったはず。ん~、どこにしまったけっかなぁ?」

 前に友達の天使に貰ったやつなんだけど、良い感じの服があったんだよねー。

「こっちかな?」

タンスの次は、クロ―ゼット、そしてまたタンスと、あたしがしまいそうな場所を探す。

「おっ!」

 あった!これこれ~。

 さっそく人間に変身すると、あたしはその服を着てみた。

白のブラウスにノースリーブのニットベスト、ひざ丈ほどの長さのエンジ色のチェック柄スカートに、濃紺のハイソックス。

「サイズぴったりじゃん!」

 鏡でちゃんと人間に見えているか、姿も確認。

「うん、羽根は消えてるし、頭の上の輪っかも見えてないね!」

 そして簡単な着替えと課題書を肩掛けの青いカバンに入れると、すぐに砂時計へ向かった。

 砂時計は花畑の真ん中にあって、あたしの背の高さの3倍はある大きなものだ。よほど遠くにいない限りは、この花畑のどこからでも見える。

 砂時計前の広場に着くと、そこには他の天使が何人かいた。

 みんな待ち合わせかな……。

 砂時計前は待ち合わせの定番になっている。天使の休日ともなると、とても混み合う場所の一つだ。

 あたしは、砂時計から数歩下がった所でスタグを待つことにした。

 穏やかな光が真上から降り注ぐ。

 砂時計の影はとても短い。そして静かだ。

 サラサラと流れ落ちる砂の音が微かに聞こえる。

 ここからアモル様の神殿までは少し距離がある。

 スタグはまだ来ないだろう。

 なんとなく周りの様子を窺う。

 1、2、3……、うーん。だいたい7人ってところか。知らない天使ばっかりだ。

 砂時計前で誰かを待っている天使はみんな無言で、相手が来ると、ひと言ふた言、言葉を交わし、そしてすぐにどこかへ行ってしまう。

 その経過を3、4組見送った。

 まだかなぁ……。

 ふと顔を上げて見た先に、遠くからこちらに向かって走って来る少年の姿があった。

 あ!変身したスタグだ。

「スタグ、こっちこっちー」

 あたしは、手を振ってスタグに合図を送った。

「△み□×ん~、ぉそくなったっス~」

 最初の方が何を言ってるのか聞き取れない。

 そしてスタグはすぐに近くまでやってきた。意外に足が速い。

「お待たせしたッス。準備に時間がかかってスまって……」

 そう言うと、気まずそうに照れ笑いをしている。

 そのスタグの服装はというと、チェックのシャツを濃紺のジーンズの中にいれて、そして大きなリュックを背負っているねぇ。これがスタグの人間のイメージなのかな。

「この格好、ヘンでスかね……?」

「いやぁ、そう言うわけじゃないんだけど……。でも、何かこう、しっくりこないというか……」

 あたしのセンスとは違う感じなんだよね。

「前に人間界に行った時、こんな格好をしてた人間が多かったんです。それを参考にしたんスが……」

 少年姿のスタグがモジモジしながら言う。

「まぁ、いいんじゃない?それより、あたしはどう?人間のイメージ、こんな感じなんだけど……」

 実はこれ、前に友達の愛天使が人間界に行ったときに買ってきたお土産なんだよね。その名も「女子高生変身セット!」。お土産といっても、しっかりした縫製のもので、生地もなかなか上質なものが使われてるんだ。

「これなら、天使には見えないでしょ?」

「うん、とっても良いっス。その格好なら人間界さ行っても天使だってわからないデス。それになかなか似合ってますよ」

 にこにこしながらスタグが答える。

「あ、そだ。キューさん、人間界は初めてでスたよね?」

「そうだけど」

「これを……」

 そう言うと、スタグはリュックの中に何かを探り取り出した。

「ん?何?」

「携帯電話っス」

「けいたい、でんわ?」

「だっス」

 手のひらに収まる大きさの四角い箱……というより、少し厚みのあるカードといった感じかな。

「へー、これがそうなんだ。聞いたことはあるけど、見るの初めてだよ~」

「ピンクと白の2つあるんで、キューさん、どっちの色が良いデスか?」

「へ?貰えるの?」

「いぁいぁ、レンタルっス」

 驚くあたしに即答するスタグ。

「レンタル!?」

 レンタルにしろ何にしろ、クピドが携帯を持っていること自体に驚きだ。

「課題で人間界さ下りるときは、いつもこれをアモル様から借りるんスよ」

「えぇ!?何で?天使でさえ携帯を持ってるなんて聞いたことがないのにー」

 クピドだけずるい、と思いつつ、ピンク色の携帯電話を手に取った。

「普通は天使も僕らクピドも、人間には姿は見えないんス。けんど、クピドは人間界に降りる課題の時だけは負荷をかけられてしまうんデス」

「ふ、負荷!?」

「っス。人間に姿が見えてしまうんス。なので、人間社会さ溶け込まないとならないんデス。〝人間の事をよく知れ〟ってことなんでしょうね。この携帯電話があれば、通信はもちろん買い物もできるし、電車さも乗ることができるんスよ~。他の天使のことはよくわからないっスが、オレと一緒に課題をこなすんで、たぶんキューさんも人間に姿が見えてしまうと思うっス」

「ふむふむ。そういうことか」

 なるほど……。姿が見えてしまう負荷ねぇ。携帯電話はその代償といったところなのかな。

 理由はわかったけど、なんとなく、課題の時だけとはいえやっぱり……。

 クピドだけ携帯電話が使えるのはズルイ~!

「んじゃ、行きますか」

 そう言うと、スタグは人間界へ通じる穴がある方へ歩き出した。

 あたしも、いま手にした携帯を観察しながらスタグに並んで歩く。

 なかなかの高性能そうだ。

これから憧れの人間界に行くのかぁ。

 楽しみだなぁ。

 やっぱりアイスクリームは食べておかないとね!それから、流行の洋服を見たり、髪飾りなんかも気になるなぁ。この携帯も使いこなしたいし、それからそれから……。

 胸は期待と不安で高揚しつつある。

「んぁあ!緊張してきた」

こぶしをぎゅっと握ってそう言ったら、思ったより大きな声が出てしまった。

「大丈夫デスよ。人間界は怖いところっスが、課題はうまくいけばひと月とかからずに終わりますし。そうなれば、キューさんも、はれて愛天使っスね」

「ん!」

 そうだった!試験課題のために人間界に行くんだった。

「どうしたッスか?」

「い、いぁ」

 ひぇ~、あぶないあぶない。試験のことなんか、早くも頭から抜けてたよ。

 いくらなんでも、すでに当初の目的を忘れてたなんて、スタグに気付かれたら笑われちゃうね。

 あたしは、それを悟られないようにカバンから課題書を取り出し開いた。

「え……っと、課題の経過を課題書に書かなきゃ、だよね」

 まったく自分としたことが、恥ずかしいったらありゃしない。

 ……、どうやらスタグにはそれを気づかれなかったみたいだね。ふぅー。

「まずは、〝人間に変身してマルクトの穴から人間界へ〟っと」

 課題書に付いていた青いペンで最初のページのメモ欄にそう書き込んだ。

「デスね。それと、携帯電話についても書いていたら良いと思うっスよ。人間社会の一面っスから」

「ふむふむ。なるほど~」

 スタグ、なかなか賢いかも。思ってたより頼りになるかも?これは、案外ラク~に課題達成出来そうな予感がするよ!ラッキー!


 やっぱりモジモジしてる。なんだか頼りなさそうだなぁ。

「キューさん、人間界には行ったことありまスか?」

「ないけど」

「そ、そうでスか、オレは何度かあるんす。案外怖い所デスよ」

「そうなの?」

 モジモジしながら話をするスタグを見てると、人間界が怖い所のようには聞こえないんだけどなぁ。

 だって、あたしが聞いた人間界の噂って、とーってもおもしろそうだったよ。みんなおしゃれな服を着ておしゃれな家に住んでるんでしょ?そしてアイスクリームがむちゃくちゃ美味しいって話だ。

 そんな人間界に行けるなんて、とってもワクワクしちゃうよ!

 あぁ、なんだかそう考えたら、いてもたってもいられない。

「ね、スタグ。今すぐ人間界に行ってみようよ!」

「えぇーっ!」

 オーバーなリアクションで数歩後ろにたじろぐスタグ。

「そ、そんなに驚かなくてもいいじゃないかー」

 スタグのあまりの驚き具合に、こっちが驚いたよ。

「す、すみません。唐突な話だったモンで……。でも、キューさん、人間界に行くにはいろいろ準備が必要ダス。なんたって、この格好じゃ目立つモンで……」

「準備?」

「はい」

 それもそうか。課題をこなさなければならないんだもんね。

「じゃあ、準備ができたら行こ!すぐに準備できるの?」

「ま、まぁ……。できることはできるんだスが、その……。本当に今すぐ行くんデスか?」

「もちろんだよ!だって課題は人間界に行って、ひと組のカップルを作らなきゃならないんでしょ?ここにいたってしょうがないじゃん」

 あたしがそう言うと、スタグは少し考えている様子だ。

「……う~ん。わかりまスた。じゃぁ一旦アモル様のところさ戻って、変身道具を取って準備してくるんで」

 そういうと、スタグはアモル様の神殿がある方向を指差した。

「キューさんも、……その、人間に変身スて下さいね。その格好じゃ目立つっスから……」

「そうなの?……んー、わかったよ。じゃ、準備ができたら、花畑の砂時計前に来てね。待ってるから」

「わかったッス」

 スタグは軽く頷くと、いま指差した方向へと走って行った。

 でも、なんで人間に変身?天使やクピドの姿は普通の人間には見えないはずでは?

「うーん」

 ま、ここで考えていてもしょうがないか。人間界に行ったらわかることだしね。楽しみ!

「……と、その前に準備準備!」

 あたしは、見習い天使が住んでいる天使宿舎へと急いで戻った。

 そして自分の部屋のタンスをひっかきまわす。

「確か、あれがあったはず。ん~、どこにしまったけっかなぁ?」

 前に友達の天使に貰ったやつなんだけど、良い感じの服があったんだよねー。

「こっちかな?」

タンスの次は、クロ―ゼット、そしてまたタンスと、あたしがしまいそうな場所を探す。

「おっ!」

 あった!これこれ~。

 さっそく人間に変身すると、あたしはその服を着てみた。

白のブラウスにノースリーブのニットベスト、ひざ丈ほどの長さのエンジ色のチェック柄スカートに、濃紺のハイソックス。

「サイズぴったりじゃん!」

 鏡でちゃんと人間に見えているか、姿も確認。

「うん、羽根は消えてるし、頭の上の輪っかも見えてないね!」

 そして簡単な着替えと課題書を肩掛けの青いカバンに入れると、すぐに砂時計へ向かった。

 砂時計は花畑の真ん中にあって、あたしの背の高さの3倍はある大きなものだ。よほど遠くにいない限りは、この花畑のどこからでも見える。

 砂時計前の広場に着くと、そこには他の天使が何人かいた。

 みんな待ち合わせかな……。

 砂時計前は待ち合わせの定番になっている。天使の休日ともなると、とても混み合う場所の一つだ。

 あたしは、砂時計から数歩下がった所でスタグを待つことにした。

 穏やかな光が真上から降り注ぐ。

 砂時計の影はとても短い。そして静かだ。

 サラサラと流れ落ちる砂の音が微かに聞こえる。

 ここからアモル様の神殿までは少し距離がある。

 スタグはまだ来ないだろう。

 なんとなく周りの様子を窺う。

 1、2、3……、うーん。だいたい7人ってところか。知らない天使ばっかりだ。

 砂時計前で誰かを待っている天使はみんな無言で、相手が来ると、ひと言ふた言、言葉を交わし、そしてすぐにどこかへ行ってしまう。

 その経過を3、4組見送った。

 まだかなぁ……。

 ふと顔を上げて見た先に、遠くからこちらに向かって走って来る少年の姿があった。

 あ!変身したスタグだ。

「スタグ、こっちこっちー」

 あたしは、手を振ってスタグに合図を送った。

「△み□×ん~、ぉそくなったっス~」

 最初の方が何を言ってるのか聞き取れない。

 そしてスタグはすぐに近くまでやってきた。意外に足が速い。

「お待たせしたッス。準備に時間がかかってスまって……」

 そう言うと、気まずそうに照れ笑いをしている。

 そのスタグの服装はというと、チェックのシャツを濃紺のジーンズの中にいれて、そして大きなリュックを背負っているねぇ。これがスタグの人間のイメージなのかな。

「この格好、ヘンでスかね……?」

「いやぁ、そう言うわけじゃないんだけど……。でも、何かこう、しっくりこないというか……」

 あたしのセンスとは違う感じなんだよね。

「前に人間界に行った時、こんな格好をしてた人間が多かったんです。それを参考にしたんスが……」

 少年姿のスタグがモジモジしながら言う。

「まぁ、いいんじゃない?それより、あたしはどう?人間のイメージ、こんな感じなんだけど……」

 実はこれ、前に友達の愛天使が人間界に行ったときに買ってきたお土産なんだよね。その名も「女子高生変身セット!」。お土産といっても、しっかりした縫製のもので、生地もなかなか上質なものが使われてるんだ。

「これなら、天使には見えないでしょ?」

「うん、とっても良いっス。その格好なら人間界さ行っても天使だってわからないデス。それになかなか似合ってますよ」

 にこにこしながらスタグが答える。

「あ、そだ。キューさん、人間界は初めてでスたよね?」

「そうだけど」

「これを……」

 そう言うと、スタグはリュックの中に何かを探り取り出した。

「ん?何?」

「携帯電話っス」

「けいたい、でんわ?」

「だっス」

 手のひらに収まる大きさの四角い箱……というより、少し厚みのあるカードといった感じかな。

「へー、これがそうなんだ。聞いたことはあるけど、見るの初めてだよ~」

「ピンクと白の2つあるんで、キューさん、どっちの色が良いデスか?」

「へ?貰えるの?」

「いぁいぁ、レンタルっス」

 驚くあたしに即答するスタグ。

「レンタル!?」

 レンタルにしろ何にしろ、クピドが携帯を持っていること自体に驚きだ。

「課題で人間界さ下りるときは、いつもこれをアモル様から借りるんスよ」

「えぇ!?何で?天使でさえ携帯を持ってるなんて聞いたことがないのにー」

 クピドだけずるい、と思いつつ、ピンク色の携帯電話を手に取った。

「普通は天使も僕らクピドも、人間には姿は見えないんス。けんど、クピドは人間界に降りる課題の時だけは負荷をかけられてしまうんデス」

「ふ、負荷!?」

「っス。人間に姿が見えてしまうんス。なので、人間社会さ溶け込まないとならないんデス。〝人間の事をよく知れ〟ってことなんでしょうね。この携帯電話があれば、通信はもちろん買い物もできるし、電車さも乗ることができるんスよ~。他の天使のことはよくわからないっスが、オレと一緒に課題をこなすんで、たぶんキューさんも人間に姿が見えてしまうと思うっス」

「ふむふむ。そういうことか」

 なるほど……。姿が見えてしまう負荷ねぇ。携帯電話はその代償といったところなのかな。

 理由はわかったけど、なんとなく、課題の時だけとはいえやっぱり……。

 クピドだけ携帯電話が使えるのはズルイ~!

「んじゃ、行きますか」

 そう言うと、スタグは人間界へ通じる穴がある方へ歩き出した。

 あたしも、いま手にした携帯を観察しながらスタグに並んで歩く。

 なかなかの高性能そうだ。

これから憧れの人間界に行くのかぁ。

 楽しみだなぁ。

 やっぱりアイスクリームは食べておかないとね!それから、流行の洋服を見たり、髪飾りなんかも気になるなぁ。この携帯も使いこなしたいし、それからそれから……。

 胸は期待と不安で高揚しつつある。

「んぁあ!緊張してきた」

こぶしをぎゅっと握ってそう言ったら、思ったより大きな声が出てしまった。

「大丈夫デスよ。人間界は怖いところっスが、課題はうまくいけばひと月とかからずに終わりますし。そうなれば、キューさんも、はれて愛天使っスね」

「ん!」

 そうだった!試験課題のために人間界に行くんだった。

「どうしたッスか?」

「い、いぁ」

 ひぇ~、あぶないあぶない。試験のことなんか、早くも頭から抜けてたよ。

 いくらなんでも、すでに当初の目的を忘れてたなんて、スタグに気付かれたら笑われちゃうね。

 あたしは、それを悟られないようにカバンから課題書を取り出し開いた。

「え……っと、課題の経過を課題書に書かなきゃ、だよね」

 まったく自分としたことが、恥ずかしいったらありゃしない。

 ……、どうやらスタグにはそれを気づかれなかったみたいだね。ふぅー。

「まずは、〝人間に変身してマルクトの穴から人間界へ〟っと」

 課題書に付いていた青いペンで最初のページのメモ欄にそう書き込んだ。

「デスね。それと、携帯電話についても書いていたら良いと思うっスよ。人間社会の一面っスから」

「ふむふむ。なるほど~」

 スタグ、なかなか賢いかも。思ってたより頼りになるかも?これは、案外ラク~に課題達成出来そうな予感がするよ!ラッキー!


 いよいよ、人間界へと通じるマルクトの穴のところへやって来た。

少し先に10メートルはあろうかという大きな穴が地面に口を開けているのが見える。そこから吹き出している涼しい風のせいか、辺りがひんやりとしている。実体の無い天使の状態じゃ、感じられない温度変化だ。

「では、降りる手続きしてきますんで、キューさんはそこで待っていて下さい」

 スタグはそう言うと、小走りに穴の近くにある番小屋へ向かった。

「手続きが必要なのか……」

 スタグを待つ間、あたしは穴の縁まで近づいてその中を覗き込んでみた。

「深そうだなぁ……」

 底は暗く見えない。下から吹き上げてくる冷たい風に、緊張を覚える。

 この〝マルクトの穴〟と呼ばれている大きな穴、どういう構造なのかよくわからないけど、天界からまっすぐに、人間界のどこにでも通じているっていう話だ。

 あたしはこれを見るの、今回が初めてなんだよね。ずっと天界にいるけど、このマルクトの穴の辺りって、用がないから来たことないんだよなぁ。

「お待たせっス」

 スタグが戻って来た。

「もう行けるの?」

「はい。出口の確認もちゃんとしましたし、すぐに降りられるっスよ」

「へ~。スタグ準備が良いねぇ」

「僕は何度か来てるっスから。キューさんも、もし次来る時は、そこの小屋で確認を取るといいっスよ。係の天使が教えてくれます」

 そういうと、空色の菱形をした、手のひらほどの大きさのクリスタルを穴の中へ投げ入れた。

「これで準備完了っス」

「うん?何?いまの…!?」

 スタグにそう問いかけた瞬間、クリスタルが消えて穴が青く光り出した。

「え?ぇぇえ?!」

 何が、起こるのー?

「さっきのが出口へのカギになってるんス。そこの小屋で手続きをすると目的にあった出口へ通じるクリスタルを貰えるんデスよ」

「うむ~。そうなのかぁ」

 天界もあたしの知らないことが多すぎるなぁ。驚くことばっかりだ。きっと人間界はもっと未知の世界なんだろうなぁ。

「さぁ、光が消えないうちに降りますよー」

 スタグはそう言うと、あたしの右手をつかんで穴の中へ飛び込んだ。

「えっ!?ひ、ひえー!こ、心の準備がぁぁぁ!」

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