エレインの休日 4/4
(作者注:今回も落雷被害と治癒の描写があります。90%以上作者の妄想ですので科学的・医学的なツッコミは以下同文)
* * *
新月が過ぎ、月が再び光を取り戻すと共にエレインの魔力は戻り、傷も回復した。
オーリのほうが症状は重い。皮膚表面の火傷だけではなく、身体の何箇所かは一時的に麻痺していたし、筋肉を傷めたらしく数日は熱を出した。
落雷の直後、伯母だという大柄な魔女がやってきて、オーリをやかましく叱りながら治癒魔法を施していったのだが、それがなければ傷はもっとひどいことになっていたかもしれない。
魔法使いといえども生身の人間だ。治癒魔法をもってしても、深刻なダメージから回復するのは容易ではないのだな、とステファンは痛感せざるを得ない。
救いなのは、エレインが憎まれ口を叩きながらもつきっきりでオーリの看病をしていることだ。 ステファンやマーシャが時々交替するものの、ほとんどオーリから離れようとしない。なんだかんだいってやっぱり仲がいいんじゃないか、とステファンを安心させるには充分な出来事だった。
だが熱が下がってベッドに起き上がれるようになると、またしてもオーリの悪い癖が出始めた。
「ふむ、なかなかいいデザインだ」
オーリは自分の身体に残った電紋を興味深々でスケッチしている。
「なーにやってんのよ」
エレインが呆れるのをよそに、オーリは講釈を垂れる。
「この樹形なんて凄く繊細だと思わないか? 電流が身体の表面を駆け抜けただけでこれだけの紋様が残る。あの時は湖に潜ったせいでずぶぬれだったが、もっと電気抵抗の大きい状態ならどうだろう? エレイン、君の手足の紋様も美しいが、カミナリの造形もまた……」
「あーっもうバカバカしい!」
エレインはスケッチブックを取り上げ、
「オーリ、これ」
と、黒こげになった金属の固まりを差し出した。
「あの時、ローブのポケットに入ったままだったでしょう。 丁度これがあった真下の皮膚を火傷したんだけど……」
「ああ、これね。やっぱり壊れたか。参ったな」
オーリは黒こげの懐中時計を手に取った。
「オーリありがと。わざとでしょう?」
エレインは神妙な顔をした。
「あの時、あたしは“
「さあ、どうだったかな。ポケットに忘れてただけかもしれないよ」
時計の蓋を開け、内側の文字を懐かしそうに眺めながらオーリはつぶやいた。
「僕が独り立ちする時、師匠からもらった時計だ。ずっとローブと一緒に持ち歩いてきたんだったな」
「そんな大事なものなのに……」
「エレイン、物の価値なんてその時その時で変わる。 杖も、ローブも、そしてこの時計も、今回のことでみんなダメにしてしまったけど、それは修理するなり買い換えるなりすればいい。 だけど、代替の利かないものもあるからね」
オーリは手を伸ばして、エレインの顔にかかる赤い巻き毛をかき上げた。
「先生、なんとかして!」
隣のアトリエからステファンが飛び込んできた。
「羽根ペンが暴れて、ぼくを刺して来るんだ」
「ううう。空気を読まないやつめ」
オーリは顔をしかめた。
「はいはい、ステフ。生きて勝手に飛び回るペンなんてね、こうすりゃいいのよ」
エレインはアトリエに向かい、ドアを閉めると同時になにかを叩き落すような派手な音を立て始めた。
「おーいエレイン、ペン軸だけは折らないでくれよ……」
こうなったら意地でも早く回復して、壊されないうちに羽根ペンたちを避難させなければ、とオーリはため息をついた。
* * *
――後日譚:ボリスの午後――
湖の番人ボリスは、その日もお気に入りのポイントで釣り糸を垂れていた。
今日は訪れる者もなし、天気も上々。釣りにはもってこいの静かな午後だ。
先日修理してやったばかりの革張りの小舟は、なぜか湖の対岸を漂っていた。
依頼主はいなかったが、魔法使いなどという者は、まあ気まぐれだし。気にすることもなかろう。小舟は陸に引き上げ、適当に油でも引いて保管しておく。
浮きが派手に動いた。もしやと思いつつ竿を上げてみると、暗緑色の蛙顔の水魔が一匹。誰かが落としたらしい小さなナイフを抱いて引っかかってきた。
「よう、番人」
「またこの顔か、水魔め」
ボリスはうんざりして針を外した。これで今日は何匹釣り上げたかしれない。魚はいないのか魚は。
湖岸に放り投げられた水魔どもは、びちゃびちゃと歩きながら互いを指差す。
「魚が逃げたのはこいつのせいだヴォジャノーイ」
「何を言う、おまいが喰ってばかりで狩りもせぬからぢゃないかヴォジャノーイ」
「こんな刃は食えぬ、食えるものを拾うてこいヴォジャノーイ」
「また嫁は来ぬかのう、あれは惜しかったぞヴォジャノーイ」
「おいらぁ嫌だよ、あんな暴れ竜が好きなんかよヴォジャノーイ」
「ああうるっせえ! お前ら同じ名で言い合いするんじゃねえ!」
熊のような髭面をしかめてボリスは吠えた。
個別の名を持たない水魔たちはどいつもこいつも「ヴォジャノーイ」だ。しかも似たような蛙顔だし、見分けもつかないのに同じ名で罵り合っていたら世話はない。
「ときに、なあ番人よ。嫁御というのはもっと可愛らしいものと聞いておったが。それともみんなああいう風に暴れるものかえ」
「知らん。相手によるだろうさ」
破天荒な赤毛の竜人娘を思い浮かべながら、ボリスは頭を振った。あんなのはごめんだ、独り身でいるほうがよっぽど人生を平和に過ごせる。
「
「まだ諦めておらんのか、暴れ竜人は魔法使いとでも添うとれば良いんぢゃ」
「雷使いに雷竜の娘か、そら似合いぢゃ」
「怖や怖やぁ。似合いぢゃのう」
「こわやこわーや」
「ホイこわやこわーや」
「こわやこわーやぁ」
水魔ヴォジャノーイたちはてんでに水面を叩いて歌いはじめた。
「だからうるせえって! もう帰れよおまえら!」
ボリスは釣り竿を引き上げた。ついでに水魔が拾ってきたナイフも預かっておく。いずれあの破天荒な二人組は、また「散歩」に来るのだろうし。その日まであの小舟の手入れでもしているほうがましだ。
湖の番人が静かな午後を過ごせる日は、なかなかに遠い。
(了)
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