番外編集:箒も空のにぎわい
いときね そろ(旧:まつか松果)
番外編
魅惑のテール・クラップ
年が明けて1953年。1月の最初の日曜日、ステファンは両親と一緒に隣町の映画館に出かけた。
父オスカーが帰ってきて両親が急に仲良くなったか? と問われれば「微妙」としか答えようがない。オスカーはこの世界から消えていた2年間を取り戻そうと躍起になっているようだが、母ミレイユは自分のペースを崩そうとしないし、かといって突き放すわけでもなし。弁護士が休暇で南の島にに出かけたまま帰ってこないのだから仕方ないわね、といって離婚の話は棚上げにしている。
相変わらず2人とも、結婚指輪は外そうとしない。女中のハナに言わせれば「いずれ収まるところに収まる」そうなので、両親の問題でくよくよ心配するのはもうやめにして、ステファンは残りの冬休みを楽しむことにした。
その日映画館に掛かっていたのは、昨年外国で評判を呼んだというミュージカル映画だ。土砂降りの雨の中で楽しげに踊る俳優のポスターが目についた。
映画館は不思議な場所だ。
重い二重ドアを抜けて劇場に入ると、ちょうど前の回が終わるところだった。すぐには座らずしばらく立ち見で待っていれば、目が暗闇に慣れてくる。日曜日のせいか親子連れが多い。エンドマークがスクリーンに浮かび、ジジ、という音と共に照明がつくと、退場する客が帽子を軽く上げて狭い通路ですれ違う。心なしか両親も余所行きの顔をしているように見える。この非日常の世界よ!
シートに座ると、ステファンはドキドキしながら背後を振り返った。後ろの壁の高い場所に小さな窓がある。映像はあの小さな窓から光の帯となって投影されるのだ。あの窓の向こうに映写技師がいるんだよ、とオスカーから聞いて以来、ステファンにとっては憧れの『魔法の窓』でもあった。
小さなころ、両親と初めて見た映画は確か総天然色の漫画映画だったと思う。人間になりたいと願った木の人形の話だったと思うが、ミレイユが期待した教訓などより、主人公がクジラに飲まれるシーンが怖かったことしか覚えてない。途中でフィルムが切れた時には、まさか自分の変な力が影響したのじゃないかと肝を冷やしたが。技師の操作がへっぽこなせいだと父から教えられ、ホッとしながらもあの『魔法の窓』の向こうが見たくてしょうがない気がしたものだ。いや、それは今でも変わらないけれど……
お行儀よくしなさい、と母にたしなめられてステファンが前を向くと、待っていたように開幕のブザーが鳴った。
場内の照明が落ちた。スクリーンに3、2、1と数字が踊り、やや
退屈な政治ニュースが終わると、字幕が変わって軽快な音楽が流れ始めた。若者たちが集う都会のダンスクラブの映像だ。客席から歓声が上がる。ステージで演奏するのは昨年からラジオでよく聴いたジョグ・ジャグ=ドラゴニーだ。ドラムやホーンなども加わってさらに洗練され、相変わらずの人気らしい。だが彼らと共にきらびやかな二人の女性が登場すると、客席はさらにどよめいた。
竜人ワチ族の舞姫『ガイアシスターズ』だ。
ガイア・エラとガイア・ノラの双子姉妹が、豊満な胸をぶるんぶるん揺らしながら、人間とは圧倒的に違う身体能力で踊りまくる。化粧映えのする大きな眼と大きな口、丸っこい頭に淡いラベンダー色の髪は、流行のカットが良く似合う。
昨年末に竜人管理区が突然廃止された事件はまだ記憶に新しい。自由を得た喜びを溢れさせるように、シスターズは肉付きが良すぎる全身を揺さぶって踊る。が、彼女らの最大の魅力は、その尻尾にある。
竜人の中でも尻尾を持つ種族は今や希少だ。
思えば竜人狩りの悲劇が始まった頃、真っ先に標的にされたのは尻尾を持つ種族だった。人間と似たような容姿でありながら竜のような尻尾を持つ、それだけで彼らは邪悪な存在として扱われたのだ。だが竜人の価値観では、より竜に近い容姿の者が美しいとされる。竜に似た尻尾と外皮を持つワチ族が、どれほど自分たちの特徴を誇りにしていたことか。
両手足と尻尾に網目模様の外皮を持つガイアシスターズは、ダンス用のドレスを着ると網タイツを履いているように見える。おまけにドレスの背中側ときたら、尾骨の上までスリットが入っているのだ。さすがにセクシーすぎるのではないか、とクレームも入ったようだが、興行側は「尻尾を出すためのデザインであって露出目的ではない」と一蹴したという。
現在、ダンスクラブでパワフルに踊る彼女らの尻尾を忌み嫌うのは、頭の固い年寄りくらいだろう。若者たちはとっくに魅入られている、とアナウンサーは早口で語つている。
カメラがぐっと引いた。シスターズはステージの左右に分かれ、鞭のようにしなやかな尻尾で床をストンプ。曲に合わせて腰をひねり、リズミカルに床を叩く音は聴くものを痺れさせた。さらに、姉妹がときに尻尾どうしを打ち合わせる音はテール・クラップと呼ばれ、誰も真似できない技として人気を呼んでいるらしい。
ニュースはさらに語る。竜人のダンスなど下品だとか騒々しいとか悪く言う人間も、いまだにいるのは否定できない。だがこうして国内じゅうに映像が流れるような時代になったのだ。リズム感の塊のような彼女らと共演したがるバンドは多いし、流行に
映像は、シスターズが尻尾を軸にして驚異的なスピンをきめたところで終わった。
「おおっ」
オスカーは教育的配慮から手を伸ばして息子の視界を塞ごうとした。あれではスカートの中が丸見えではないか。が、ステファンはその手を押し退けて「かっこいい!」と小さく叫んでいた。
「なんとも……素敵に過激なダンスだな。この2年の間に流行も変わったもんだ」
オスカーはミレイユに気を使ったようだが、当のミレイユは感じ入ったように呟いていた。
「完璧だわ……」
「なんだって?」
「見たでしょう、舞台の左右に分かれて踊っていたのに、あの双子は鏡に映したようなタイミングで踊っていたわ。おお、完璧な
感動するのはそこか。
ステファンは父と目を見合わせ、やれやれというように肩をすくめた。
同じものを見ているのに、母と自分は心に響くポイントが違う。いや、父だって違う。もしかしたら、この場で同じ映像を見ている人全員が、それぞれ違う感覚を持っているのかもしれない。
だったらもう、自分が周りと「違う」ことを怖がらなくていいんじゃないか。
ステファンは劇場内を見回した。
まばゆいスクリーンとは対照的に、客席は闇の中だ。これは誰にも内緒だけど、ステファンの眼には観客の周囲に時々光の環が見える。ブルーだったり淡いピンクだったり、人によって実に様々だ。神々しい金色の時さえある。きっと心を動かされた時にそれらは光るのだろう。
さっきの映像ニュースでは、場内はチカチカと光る環がいっぱいに満ちていた。ということは、皆それぞれに驚いたり戸惑ったりはしたものの、誰一人として、竜人の尻尾にブーイングしたりしなかったわけだ。ステファンは手元でそっとガッツポーズをした。
冬休みが明けて、森の中の白い家――師匠のオーリや竜人のエレインが待つ魔法使いの家に戻ったら、このことを土産話にするのだ。喜んでくれるだろうか。
そうだ、自分には家以外にも戻る場所がある。そう思うと、ステファンの周りにも小さな光の環が踊る。
心の中では、さっき見たテール・クラップがいつまでも鳴り響いていた。
(了)
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