第4話


 幽閉なう。

 携帯持ってたら、多分SNSでそう呟く。

 貴重な経験やんな。こんなことって。多分予備校に通ってる友達も誰もこんなこと経験ないんちゃうかな。絵里ちゃんも、優子ちゃんも。ははは。まったく。

 しかし私が入れられた牢屋はあまり牢屋っぽくない牢屋やった。幽閉とか言うから便宜的に私も牢屋とか言ってるけど、ここほんまに牢屋なんやろうか? 鉄格子とかないし。入り口普通のドアやし。窓も別に普通で、部屋の中には簡素なベッドとテーブルと椅子があるだけ。テーブルの上にはかなぜか犬のぬいぐるみが置いてあり、私はその横に桃ジュースを置いた。

 そんな感じやから別に幽閉感もないし、携帯も何も持ってないからやることもないし暇で、ベッドに寝転がってごろごろしていた。お腹すいたー。

 何でこんなことになったんやろ。

 私は星屑鉄道に乗っていて、気づいたら誰もいないから馬鹿みたいに重いドアを何枚も開けて人を探して、トロッコ列車みたいな車両で飛び跳ねる魚を見て、コックさんと会って桃を食べさせてもらって、寝ちゃって、やっと駅に着いたと思ったら不法入国とか言われて幽閉されて。思い返せばおかしなことばっかやん。何かおかしいなー。

 私は思う。

 考える。

 てかやっぱりお腹すいた。ほんまに。駅に着いた時からお腹が鳴るくらいすいてたのに、あれからもう何時間も経ってる。飲み物ならコックさんからもらった桃ジュースがあるけど、とにかく今は何か食べたかったから飲む気になれなかった。

 お腹がすきすぎてだんだん腹が立ってきた。だって、私別に何も悪いことしてないやん。なのになんでこんな目に合わなあかんの。何かが間違ってる。絶対間違ってる。

 私はベッドから起き上がり、鍵のかかったドアを思い切り叩いた。

 反応はない。

 私はなおもドアを叩いた。ドンドンドンドン。何度も。するとドアが開き、いかにもお城の牢屋の見張り番みたいな格好をしたいかつい顔の男が現れた。鋭い槍を持っている。

「おい。うるさいぞ。どうしたんだ?」

「お腹すいた」

 私はキッと見張り番の男を睨む。

「罪人の食事の時間は決まっている。朝の八時、昼の一時、夜の七時だ。今はまだ十一時半だからあと一時間半我慢しろ」

「やだ。待てない」

「何だと?」

「だから待てないって! お腹すいたの! 何か食べるもの出して。今すぐ!」

 私はそう言って見張り番の胸ぐらを掴んだ。見張り番はけっこうな大男だ。でも私は全然怖くなかった。それが伝わったのか、見張り番は自分より三十センチ近く小さな私に少したじろいだ。

「ぐう……何て女だ」

「だいたいねぇ。おかしいのよいろんなことが。だんだん私も分かってきたわよ。ねぇ、もしかしてこれは全部私のゆ……」

「おいおい。待て待て。待てって。」

 そう言って見張り番は大きな手で私の口を塞いだ。

「何を言うんだ。お前、滅多なこと口にするなよ。ほんと常識のない女だな」

「何すんのよ!」

 私は見張り番の手を振り払い、がら空きの足を思い切り蹴ってやった。丸太みたいに太い足で、蹴った足が痛かった。うー、蹴るんじゃなかったなぁ、ってちょっと後悔した。

「まったく、怖いなぁ。最近の若い女はみんなこうなのか? あ、お前あれか? いわゆるメンヘラってやつか?」

「うるさいわねぇ。あのね、女の子は誰でもちょっとはメンヘラなのよ。覚えといて!」

「え、そうなのか」

「そうや」

「そ、そうか」

「ねぇ、お腹すいた。どうにかしてよ」

 今や見張り番は完全に私を怖がっていた。

「どうにかって言われても……食事の時間は決まってるし」

「そんなん知らないわよ。適当になんか厨房から持ってきてよ。この際何でもいいからさ」

 見張り番は少し考えた後で、

「うーん、分かったよ」

 と言ってしょんぼりして外に出て行った。

 勝った。

 私はそう思った。

 言いたいことを言ったらすっきりしたー。てかあの見張り番、鍵かけ忘れて行ってるやん。今なら多分逃げられる。でもやめとこう。ここで待っていたら見張り番がご飯を持って来てくれるし、それ食べてから考えよう。

 しばらくして見張り番が帰ってきた。

 白いビニール袋を私に差し出す。

「ほら」

「ありがとう。何? もしかしてわざわざ買ってきてくれたん?」

「ああ。厨房に忍び込むなんて一見張り番の俺にはできない」

「ありがとう。ごめんな」

 自分で買ってきてくれたとなると急に悪い気がした。これじゃヤンキーがパシリの後輩に「おい。お前パン買ってこいよ」なんて言うアレやん。そう思ってビニール袋から中身を取り出すとパンやった。パンっていうかクラブサンド。駅前で見たやつだった。

「これって駅に売ってるやつ?」

「そう」

「わー、これ食べたかったの。でも私財布持ってなかったから買えなくて」

「財布も持たずに不法入国って、お前何がしたかったんだよ」

「だから何かの間違いなんやって。私、気づいたらあの星屑鉄道に乗ってたの」

「ふぅん。よく分からんけど。まぁ食べろよ。冷めないうちに」

「ありがとう」

 そう言って包みから取り出したクラブサンドを一口食べる。うん、美味しーい。やっと少し満たされた。

 そう思って顔を上げると見張り番はクラブサンドを食べてる私のことをじっと見ていた。

「見られてると食べにくいんやけど」

「いや、でもお前逃げるかもしれないし」

「逃げないわよ。食事中なんやから」

「そうか? まぁでも一応」

「大丈夫やって。じゃ鍵かけて外で見張っとけばいいやん」

「ん、まぁそれはそうだけど」

 その時、見張り番のお腹が鳴った。くぅーって。大きな身体やのに、お腹の鳴り方は私とおんなじやった。

「何? あなたもお腹すいてんの?」

「うっ、その、今朝、遅刻しそうで朝食を抜いてしまったのだ」

 めっちゃ気まずそう。

「じゃ半分食べる?」

「え、いいのか?」

「いいも何もあなたが買ってきてくれたんやん」

「まぁ、そうだが」

「その槍、綺麗なん?」

「これか? まぁ、綺麗だ。物騒な事件もないから使ったことはないし、一応毎日綺麗に拭いてる」

「じゃそれでスパッと切ってよ。私持っとくから」

 そう言って私は両手でクラブサンドを持って顔の前に出した。

「お前、すごいな」

「何がよ?」

「だって槍だぞ。普通、そんなやり方提案しないだろ。怖くないのか? 俺がミスったらお前怪我するんだぞ」

「だって仕方ないやん。手では千切れないし。刃物で切るしかないやん。てか、間違ってもミスんないでね。ミスったら許さないから。私、嫁入り前の女子高生なんやから」

「どんな神経してんだよ。オーケー。ちゃんと持っとけよ」

「うん」

 それで、身構えた次の瞬間、ヒュッという鮮やかな音とともにクラブサンドは真っ二つになっていた。

「お見事! さすがやなぁ」

 そう言って見張り番を見ると、めっちゃ安心した顔してた。

 え、何? まさか自信なかったん?

 それなら先に言ってよ。今更怖くなってきたやん。バカ。

 それで私達は二人、ベッドに並んで腰掛けてクラブサンドを食べた。見張り番は大きくて、ベッドの幅の三分の二くらいを使っていた。私は端にちょこんと座ってる。

「朝、弱いの?」

「ああ、弱い。週に一回は今日みたいに遅刻しそうになる。目が覚めてもなかなかベッドから出られないんだ」

「あー、なんか私と同じ匂いがする」

「お前も朝ダメなのか?」

「ダメ、ダメ。ほんとにダメ。週に一、二回は遅刻してる。あかんねんけどなー。無理なんよ。どうしても」

「遅刻してるって、お前それで何ともないのか?」

 見張り番はめっちゃ驚いた感じで言う。

「いや、そりゃ多少怒られはするよ」

「それだけ?」

「まぁ高校やからなぁ。え、見張り番は違うん?」

「違う。違う。城の職員は一回遅刻したらアウト。すぐにクビだよ」

「マジ? ちょっと厳し過ぎない?」

「だよなぁ。俺もそう思う」

「それ誰が決めたん?」

「この城の王様」

「ひどい奴ねぇ」

「あ、王様の悪口は言うなよ。あの人は素晴らしい人だ」

「へぇ。どんな人なん?」

「そりゃお前、頭が良くて、人望があって、優しくて、非の打ち所のない人だよ」

「ふぅん。何か素晴らし過ぎて想像がつかない」

「お前も会ってみたら分かる」

「このお城に住んでるの?」

「そうだ。すごいお城だろ?」

「うん。確かにすごい。でもこの部屋は全然牢屋っぽくないやんな。一応ここって牢屋なんやろ?」

「ああ。まぁ、この城が建ったのは五年前だからな。建て替えたんだよ。その時、牢屋も近代的にスタイリッシュにしたんだよ」

 スタイリッシュったってイメージってもんがあるやろ。と思ったけど何も言わなかった。

「しかし、お前。いいなぁ。朝遅刻してもクビにならないなんて」

「まぁ、学生やからな」

「お前今何歳なの?」

「十七」

「あー、じゃ俺の二つ下だな」

「え、うそ。あなたまだ十九?」

 私は驚いた。だってどう見ても三十を越えてると思ってたから。

「あっ、失礼だな。これでもまだ未成年だよ。二年前まではお前と同じ高校生だったんだ」

「えー。見えない」

「はっきり言うなよ」

「ごめん、ごめん。じゃ高校出てすぐお城に就職したんや。大学は行く気なかったん?」

「ああ、家が貧乏だったからな。働くしかなかった」

「そうなんや」

 そういう場合もあるよなぁ。

 そう考えると私なんて恵まれてる。進路で悩める余裕があるんやから。余裕、なんて思ったの初めてやけど。ありがとう。お父さん、お母さん。

「でもなんで見張り番なん?」

「それはたまたま配属先がそうだっただけ。本当は兵隊の部署に行きたかったんだけどな。ほら、あそこはやっぱり体大卒とかスポーツ特待生とかが優遇されるから」

「へぇ、そういうもんなんや」

「うん。残念だけど。学歴社会だからなぁ」

 そう言った見張り番はめっちゃ悲しそうな顔をした。

「でも、ずるいよなぁ。あいつら別に体大で真面目に勉強してたわけじゃないんだぜ。スポーツ特待生だって怪しいもんだ。なのにその肩書きだけで自分の欲しいものを手に入れちまう」

「うーん。でも一応、大学入る時やスポーツで頑張ったから肩書きがあるんじゃないん?」

「まぁ、そりゃ一瞬は頑張っただろうけど。俺なんて頑張れる機会すら与えられなかったんだぜ」

「でもだからってこれから一生見張り番ってことはないやろ? これからその、兵隊になれる可能性やってあるんやろ?」

「まぁ、それは努力次第だろうな」

「じゃ今から頑張らないと」

 すると見張り番はクラブサンドの最後の一口を口に放り込んで、

「お前、いいこと言うね」

 なんて言って口をもぐもぐしていた。私はまだ食べきらないクラブサンドを齧りながら頷いた。

「お前、まだ十七なんだもんな。俺もまだ十九だけど」

「そうだよ」

「これから何にだってなれる」

 確かに。

 まだ何にでもなれる感じ。それはある。確かにある。

「あなたもいいこと言うやん」

「そうか?」

「うん。人生は輝いてる」

「お! いいな。万歳! 人生、万歳!」

「うん。人生、万歳! 私、万歳!」

 なぜか二人変なテンションになった。初対面やのに。囚人と見張り番やのに。

 私もクラブサンドを食べ終わり、喉が渇いたのでテーブルの上に置いていた桃ジュースを飲む。

 わっ、美味し。何だこのジュースは。桃の優しい果汁と風味のある微炭酸がほどよく混ざり合ってる。上品な味わいやないか。やはりあのコックさんはすごい。

「この桃ジュース、ここに来る途中、星屑鉄道で会ったコックさんにもらったの」

「そうか」

「めっちゃ美味しいわ。ね、ちょっと飲んでみる?」

「あ、うん」

 そう言って瓶を受け取る。

 でも見張り番は何故かぎこちない手付きで、それを見て私は思った。あ、こいつもしや間接キスを気にしてるな。

 ふぅー。まったく、近頃の女の子は誰もそんなん気にしてないのに。ウブやねんな。多分。彼女とかいなさそうやもんなぁ、また失礼やけど。

 見張り番はちょっと頬を赤くして桃ジュースを飲む。身体が大きいから瓶がだいぶ小さく見えた。

「美味い」

「ね、美味しいやろ」

「うん。俺、桃好き」

「その身体で桃好きって」

 私は笑うと、

「うるさい。バカにするな」

 なんてちょっと怒った。

「ごめん、ごめん。私も桃好きよ」

「そうか。てかお前、これからどうする気なんだ?」

「どうするって。そりゃ帰るわよ。お母さん心配してるやろし。お父さんやって怒ったら怖いのよぉ。滅多に怒らないけど、今回は無断外泊やからなぁ。さすがに怒るかも」

「そうか」

「それに帰って彼氏にも会いたいしね」

「彼氏がいるのか?」

「うん」

 見張り番は少し傷ついた顔をした。

 あ、さっきの間接キスでちょっとその気になってた?

 ごめん。私そういうの鈍感で。でもね、女の子はみんなけっこう意識せずそういうことしちゃうのよ。言わないけどさ、何も。

「あなたより一つ年上。私の三つ上やねん」

「そうか」

 歳上ってことでまた少しヘコんでる。何か劣等感を感じたんやろう。私、別に悪気なく言ったんやけど。

「会いたいか? 彼氏」

「うん、会いたい」

「分かった。じゃもういいよ。ここからお前を逃がす」

「えっ、いいん?」

「良くはないけど。もういい。お前いい奴だし。不法入国なんてしなさそうだし。ちゃんと家に帰った方がいい」

 見張り番は私の目を見ないでそう言った。

「ありがとう」

「じゃ行くか」

「えっ、いきなり?」

「何だよ。早く帰りたくないんじゃないのか?」

「そりゃそうやけど。大丈夫なん?」

「ああ、今ちょうど職員は昼の休憩に入る時間だからみんな食堂に集まる。逃げるなら今だ」

 見張り番はそう言って私に腕時計の時間を見せた。十二時十二分やった。

「そっか。よし、じゃ行こう」

 私達は辺りを気にしながら牢屋を出た。

「こっちだ」

 私は頷き、見張り番の背中を追った。

 同じような牢屋、外から見たら普通の部屋に見えるけど、が並んでいるところを抜けると大きな長い廊下に出た。両サイドには槍と盾を持った甲冑がいくつも並んでいて、その後ろはステンドグラスやった。いかにも中世のお城って感じ。とても築五年とは思えない。てか、ここはこんな感じなんやな。スタイリッシュとか気にせずに。

 昼休みだからかほんとに誰もいない。こんな広いお城に誰も人がいないというのは不思議な光景で、私は何だかゲームの世界に迷い込んだような気持ちになった。FFみたいな。

 FF。懐かしー。昔よくやったなぁ。でも私めっちゃ下手で、下手っていうか根気がないのか、一つも全クリできなかった。ⅦからⅩまで全部やったけど全部挫折した。Ⅶなんて酷くて、最初のディスクでやめてしまった。何故だか分からないが、どこに行けばいいのか分からなくなって迷子になってしまったのだ。で、やめた。あれはけっきょく務が全クリしたんかな? 務は意外とそういうの真面目にやるタイプやったし。まだ家にあるんかな? 帰ったら久しぶりにやってみようかな。今度は投げ出さないで最後までやるぞ、なんて思ってた。

 長い廊下を抜けると分かれ道があった。

「ここを左に曲がってまっすぐ行けばすぐに裏口に出る。もう少しだ」

 けっこう走ったから見張り番は少し息を切らしていた。私はそうでもなかったんやけど。てか見張り番は「もう少しだ頑張れ」的なニュアンスで話すけど、私的には「あ、もう着くんだ」という感じやった。星屑鉄道のドアの方がずっとキツかった。

「分かった。行こう」

 私がそう言った時、急に見張り番の顔が曇った。私の後ろ、走ってきた方向を見ている。

 振り向くと鎧を着た細長い男がにやにや笑って立っていた。剣を持っている。抜いている。

 蛇みたいな男やった。私の大嫌いな蛇。

 私は一目でその男に恐怖を抱いた。

「ねぇ、何あいつ?」

「最悪なやつに会ってしまったな」

「何? 何なの?」

 蛇男はどんどん近づいてくる。

 見張り番は私を自分の後ろにやった。

「何の用だ?」

「何の用やと? こっちの台詞やボケ。お前、その罪人をどうする気やねん?」

 蛇男は剣を床に擦ってぎりぎり言わせながら近づいてくる。

 てか、え、蛇男めっちゃ関西弁やん。同郷かよ。

「お前には関係ないだろ」

「大ありやね。お前の行為は職務違反やろ?」

 そう言って蛇男は見張り番と私に剣を向けた。

「ね、何あいつ? なんかヤバそうやん」

「あいつは守護兵隊だよ。俺と同期なんだ。体大卒のエリートだ。まずい奴に見つかった」

「マジで? ね、走って逃げようよ」

「無理だな。逃げたってすぐに追いつかれる」

「でも、じゃどうすんのよ?」

 見張り番の額から汗が流れてる。ほんまにヤバい奴なんやろう。

「職務違反にはお仕置きが必要やなぁ」

 蛇男はにやにやしながら近づいてくる。剣を床に擦る音が耳障りで、ぞっとした。

「闘うしかないな。お前は一人で逃げろ」

「え、大丈夫なん? 勝てんの?」

「分からない。でも助かる方法はそれしかない」

「一緒に逃げようよ。もしかしたら逃げ切れるかもしれないやん」

「無理だ。お前を守りながら闘って勝てる相手じゃない。行け」

「何ごちゃごちゃ話してんねん!」

 きぃぃぃん!

 蛇男が切り掛かってきた。見張り番の槍がそれを受ける。

 蛇男はそんなに体格がいいわけでもないのに大男の見張り番と力で渡り合ってる。こいつ、強い。

「早く行け!」

「でも……」

「今しかないぞ! 家に帰りたいんだろ? 行け! ここは俺がどうにかする!」

 声を張り上げる見張り番の向こうから蛇男の爬虫類のような視線が私に纏わりつく。私はそれを睨む。そして覚悟を決めた。

「ありがとう! 絶対負けないで!」

「おう! 任せとけ!」

 それで私は走った。

 一度も振り向かずに走った。

 頑張れ。見張り番。

 頑張れ。蛇男なんかに負けるな。

 そして頑張れ。私。

 うん、頑張ってる。けっこう頑張ってるよ。体育の授業でだってこんな真剣に走ったことない。

 廊下はさっきよりは狭く、窓から星屑鉄道の大きな駅が見えた。広場の噴水が見えた。

 途中、何人かの使用人とすれ違った。でもこの人達は蛇男みたいに凶悪な人ではなくて、走ってる私のことを不思議そうな目で見るだけやった。

 しかし、随分走ってる。

 あれ? 確か見張り番は「すぐに裏口がある」って言ってなかったっけ?

 そこで私はハッとした。

 見張り番の言葉を思い出す。「すぐに裏口がある」の少し前。うーん。「ここを左に曲がってまっすぐ行けば」って言ってた。うん、確かに言ってた。ってちょっと待って。分かれ道、私が走ってきたのは……

 右だ。

 私はぞっとした。焦って間違えたのだ。最悪。最悪過ぎる。これは。いやいや、どうすんのよ。今から戻って左に行く? いやー、キツいキツい。あの二人まだ闘ってるやろし。そんなとこにひょっこり戻れるわけがない。うわー、どないしよー。そんなことを考えながらも仕方がないから走ってる。

 だいたい昔から私にはそういうそそっかしいところがある。テストの時、時間が足りなくなりそうで焦って簡単な計算を間違えたりとか、よく確認しないで体操服裏向きに着ちゃったりとか。

 そんなんやからFFもクリアできないのよ。

 そんなこと言ったって仕方ないやん。殺されるかもしれなかったんやから。

 それにしても右と左を間違えないやろ、普通。見張り番に謝りなさいよ。死んで詫びなさい。

 何よ、そこまで言わなくてもいいやん。バカ。

 なんて意味不明の自分同士内面喧嘩をしていたら、大きく立派な扉が目の前に現れた。廊下はここで終わってる。

 うわー。完全にやらかした。

 ここ、絶対裏口ちゃうやん。

 裏口って言ったら普通木造造りのちゃちな扉やと思うんやけど、それ私のイメージやけど、今私の目の前にある扉はそんなんじゃなくて両開きで、何だか高価そうな装飾が施してある。ドアの取っ手のとこ、ライオンやし。これが裏口やったら私、マジで設計した人のセンスを疑うわー。まぁ、でもここが裏口な可能性は万に一つもない。だって私が走ったのは他でもない右やから。

 しかしどうしよう。

 考えたけど、どうしようもこうしようもどうしようもない。

 てか私、もう詰んでるくない?

 後には戻れないし、廊下に窓はあるけど、外はまだビル四階分くらいの高さがあって、落ちたら確実に死ぬ。逃げられそうにない。残る選択肢はこのドアを開けることしかなかった。

 でもさぁ。こんな立派な扉、多分偉い人の部屋よね。広そうやし。ううっ、生きて帰れる気がしない。どんよりした気持ちになる。

 見張り番、ありがとう。あんためっちゃ良い奴やった。ごめんね。原因は百パーセント私にあるわ。私が右と左を間違えるようなバカだったから。ほんとごめん。

 扉の取っ手に手をかけるも、なかなか開ける決意が固まらない。緊張感が半端ない。蛇男の顔が頭から消えない。あの男を見てしまったばっかりに、城への恐怖が以前より増してる。

 しかし、いつまでもこんなところで立ち止まっていても仕方がない。えーい。女は度胸。なるようになれ、と思い、私は扉を開けた。

 すると、予想通りの広い部屋。ペルシャ絨毯が全面に引かれ、木漏れ日でカーテンの高そうなレースがきらきら綺麗やった。奥にはベールのかかった大きなベッドが一つあり、その前に女が二人立っていた。

 私は目を疑った。

「絵里ちゃんと優子ちゃん?」

 そこにいるのは紛れもなく絵里ちゃんと優子ちゃんだった。世界史の教科書で見たみたいな民族衣装を着ている。

 見慣れた顔を見て私は安心した。

「なんだー。二人もこのお城に来てたんや。良かった良かった。大変やったんやで、私。幽閉されたりして。二人が来てるんやったら連絡すれば良かった。あ、でも私携帯持ってないんやった。ははは」

 なんて笑ってみるも、二人とも怖いくらい無表情やった。さすがの私も違和感を感じる。

「な、何か言ってよ……」

 私が弱々しく言う。すると、絵里ちゃんが怖い顔をしてこっちに歩いてくる。

「誰だお前は? ここで何をしてる?」

「誰って私よ。薫よ。何言ってるのよ、絵里ちゃん」

「お前のような女、私は知らん。何者だ? 返答によってはただでは済まさぬぞ」

 そう言って絵里ちゃんは民族衣装の中から仕込みナイフを素早く取り出して私に向けた。

「ちょっと、ちょっと待ってよ! どうしちゃったのよ? ね、優子ちゃんからも言ってやってよ。絵里ちゃん何かおかしいって」

 優子ちゃんは大きなベッドの側に立って、焦っている私を冷めた目で見てた。

「私もお前なんて知らん。静かにしろ。ここを何処だと心得る」

「優子ちゃん……」

 声は紛れもなく優子ちゃんなんやけど、口調がいつもと違った。「マジ薫ちゃんって天然やね」とか「薫ちゃん明日は遅刻したらあかんよ」とか言ってちょっとだけ笑う優子ちゃん。その名の通り優しい子、優子ちゃん。しかし今目の前にいる優子ちゃんはキッとした目で私を睨んでいる。怖い。

「もう一度聞く」

 絵里ちゃんがそう言ってナイフを突きつけたまま私に近づいてくる。絵里ちゃんはもともとちょっとキツめの顔やから、優子ちゃん以上に迫力があった。

「ここで何をしている?」

「知らないわよ。やめてよ」

 私はそう言って後ろに下がるが、絵里ちゃんは私との間を離さず詰め寄ってきて、じりじりと私を壁に追いやってくる。

「知らないわけがないだろ。嘘をつくな」

 ナイフの切っ先が鋭い。絵里ちゃん、私のことほんとに刺すつもりなんかな。あんなに仲良かったのに。スタバとかマクドとか、めっちゃ行ったのに。なんで。なんでよ。首筋から背中にブラジャーのホックのあたりをかすめて冷たい汗が流れていく。壁が後ろに迫っている。絵里ちゃんとナイフも迫ってくる。私は恐怖で声が出なくなった。

 その時だった。

「やめとけよ」

 その声を聞いて絵里ちゃんのナイフがピタっと止まる。私は最初、その声がどこから聞こえたのか分からなかった。

「そいつは悪い奴じゃないよ」

 今度ははっきりと分かった。声はベールに包まれたベッドの中からだった。絵里ちゃんと優子ちゃんもベッドの方を見る。

「しかし、王様……」

 優子ちゃんがベッドの中に向けて言う。

「王様?」

 王様ってこの城の王様? 多分そうなんやろう。別の城の王様がベッドで寝てるなんておかしい。王様。あの遅刻を許さない王様。頭が良くて、人望があって、優しくて、非の打ち所のない王様。が、ベッドの中にいる。そして何故か私を助けてくれている。

 王様なんて言うからもっとおじさんなのかと思ってたけど、意外と声が若い。てかこの声、どっかで聞いたことがあるような気が。

「構わない。私は何も問題ないよ」

 そう言って王様がベールをかき分けてベッドから出てくる。

 その姿を見て私は驚いた。

 長めのウエーブした髪。すらっとした長身。

「サリ……」

 王様と呼ばれるその男はサリやった。

 古代ローマみたいな、ヘラクレス的な服を着ていた。それがまた天パの髪型とマッチしていて妙にそれっぽかった。

「サリ!」

 私はもう一度呼んだ。

 するといきなり絵里ちゃんが私の胸ぐらを掴んだ。

「貴様! 王様に向かって失礼だぞ!」

 これには私も腹が立った。

「うるさいわね! 王様だかなんだか知らないけど、私の彼氏なんやから何て呼ぼうか私の勝手でしょ!」

 絵里ちゃんの腕を無理やり振りほどいた。そしたら絵里ちゃんは華奢で、後ろに転んであっさり尻餅をついてしまった。強がってるけど、やっぱり私の知ってる絵里ちゃんなのだ。

「あ、ごめん」

「貴様!」

 転んでしまった絵里ちゃんを起こそうとしたら、今度は優子ちゃんが怒った。民族衣装から何かを取り出そうとしたけど、サリがそっとそれを止めた。

「大丈夫だ。二人ともそう怒るな。こいつは悪い奴じゃない」

 こいつ。

 こいつやって。そんなふうに呼ばれたことないのに。いや、まぁでも悪くないかも。「こいつ、俺の彼女」的な。大学の友達とかに紹介してもらったりして。

 絵里ちゃんはまだ納得のいかないようで、私が差し出した手を乱暴に振り払った。

「お前達二人、そろそろ予備校の時間だろ? もう下がっていいぞ」

「でも、王様」

「私は少しこいつと話がしたい」

「いけません! こんな得体の知れない女を王様と二人になんてできません!」

 優子ちゃんが大きな声を出す。多分私が今まで聞いた優子ちゃんの声の中で一番大きな声やった。

「大丈夫だ。下がってくれ」

 そう言ってサリは優子ちゃんの頭を優しく撫でた。それで優子ちゃんはちょっとしゅんとした顔をして、まだ怒りの収まらない絵里ちゃんと一緒に部屋を出て行った。

 いやいや、ちょっと待て。

 突っ込みどころが多過ぎる。

 まず二人ともやっぱり予備校行ってるんかーい。こんな異国で予備校って何? 河合塾? 駿台? 東進ハイスクール? てか場所的に何校よ? まぁ、それはいいとして、得体の知れないって何よ。私はエイリアンか! 怪獣か! ビオランテか! いや、それより何よりサリ、なんで優子ちゃんの頭撫でてんのよ。信じらんない。それは私の、彼女だけの特権やろ? バカ。マジでバカ。嫉妬だよ、これ。悪いかバカ。

 二人が出て行き、部屋には私とサリ二人だけになった。広い部屋。壁が厚いのか、外の音も全然聞こえなくて静かやった。

「さて」

「何よ?」

 私は苛立ちを隠さない声を出した。

「お前はさっきから私をサリと呼ぶが、いったいサリとは何なんだ?」

「あなたの名前よ。あなたはサリでしょ。私の彼氏。なのに優子ちゃんの頭撫でたりして」

「彼氏?」

「そうよ。恋人じゃない」

 そう言うとサリは少しキョトンとした顔をして、

「そっか」

 と笑った。

 何だ。やっぱりサリやん。

「何よ王様って」

「王様は王様だよ。俺はこの国の王様だ」

「わけ分かんない」

「だろうな。よくここまで来たな。いろいろ大変だっただろ?」

「大変だったよー。てか、何? 私がいろいろ大変だったこと知ってるの?」

「うん、全部知ってるよ」

「いつから?」

「星屑鉄道からかな」

「何よ。知ってたんなら助けてよ。ほんまに大変やってんから」

 私は膨れた。

「ごめんな。でも助けることはできなかったんだ。許してくれ」

「まぁ、今となってはもういいけどさ。ね、サリ。私家に帰りたい」

「うん」

「夢なんでしょ。これは全部」

 そう言うとサリが一瞬ハッとした顔をした。でもすぐ元に戻って少し笑った。

「うん、そうだ。これは全部夢だよ」

「やっぱそうか。おかしいと思ったのよねー。途中から何となくそうかなって思ってたんやけど、自信が持てなくて。たとえ夢でも死ぬのは怖いし、無断外泊で怒られるのも怖い。それに夢でも友達にナイフを突きつけられたのはショックやったよ」

「うん」

「まぁ、何にせよサリに会えて良かった」

「そっか」

 そこでまた「そっか」かよー。なんて思ったその時、パァンと、突然扉が乱雑に開いた。

「あ……」

 そこにいたのはあの蛇男やった。

 こっちを見てにやにやと笑ってる。

「追いついたでぇ。まさかこんなとこに逃げこんでたとはな」

 恐怖が身体を縛った。動けなかった。

 まさか追いかけてくるなんて。ヤバい。こいつはやっぱりヤバい。

 でも待って、じゃ見張り番は?

 あいつと闘ってたはずじゃない。

「あ、あんた、見張り番をどうしたのよ!」

 私は震える声で叫んだ。

「あぁ、あいつか」

 そう言って蛇男は片手に持っていた槍を私の前に放り投げた。見張り番の槍だった。クラブサンドを切ってくれた槍。切っ先が欠けて、全体が少し曲がっていた。

「ほんまバカな奴やで。見張り番のくせに情に流されやがって。普通に働いてたらええのに。生意気やねん」

「まさか……殺したの?」

「安心せえや。お前もすぐ向こうに送ったる」

「ふざけんなっ!」

 私は怒鳴った。

 蛇男はにやにやしながら剣を床に擦って近づいてくる。

 いつの間にか恐怖は消え、身体の中は怒りでいっぱいになっていた。許せない。絶対許せない。でも私では蛇男には勝てない。あんな大きな見張り番を倒すくらいの奴なんやから。と、いうことは現実的に私もここで蛇男に殺されるということになる。それがたまらなく悔しかった。

 泣きそうやった。てかちょっとだけ泣いてた。

 すると、

「大丈夫だよ」

 と言ってサリが私の肩に手を置いた。

 私はハッとした。

「あいつを憎め。お前が嫌いなものなんて、とことん憎んでしまえばいい。お前は自由だ。どこにだって行けるし何だってできる。正直に生きればいい」

「サリ……」

 振り向くとサリは優しく笑っていた。

 そして私はにやにやと歩み寄る蛇男を睨んだ。キッと。憎しみを目一杯込めて。

 すると突然大きな地震が起きた。いや、地震とは少し違う。私自身は何も揺れを感じなかった。周りの世界だけが揺れていた。部屋に飾ってあった甲冑が倒れ、窓ガラスが割れた。

「な、なんやねん。これ」

 蛇男は激しい揺れに立っていられないようで、膝をついてしまっていた。

 それでも私はなおも蛇男憎む。

 揺れはどんどん激しくなった。壁がはがれ落ち、ランプが音を立てて砕ける。

 床が裂け、その間に蛇男が落ちた。蛇男は断崖に手を掛けたけど、激しい揺れに身体を支えていられなくなり、やがて不気味な絶叫とともに床の裂け目へ落ちていった。

 蛇男がいなくなってもなおも揺れはおさまらない。お城が崩れていく。世界が壊れていく。

「サリ、これって……」

「うん。どうやらお別れが近いようだな」

「え? そうなん?」

「夢の中でこれは夢だって口に出してしまうと世界は壊れてしまうんだ」

「マジで?」

 だからあの時、見張り番は私の口を塞いだのか。

「てか壊れるって、サリはどうなるの?」

「俺は大丈夫だよ。お前に愛されてるから消えない」

 自分で言うな。バカ。

「絵里ちゃんも優子ちゃんも消えない。多分見張り番も、大丈夫なはずだ」

「良かった」

 いつの間にかお城は完全に崩れていた。崩れた残骸はすぐに煙になって消え、星屑鉄道の駅もなくなっていた。残ったのはただ真っ白な世界やった。そこにサリと私だけがいる。

「てか、よく頑張ったなー」

「ほんまやで」

「現実でもこれくらい頑張らないと」

「確かに」

 そう言って笑った時、サリの色が少しずつ薄くなっているのに気づいた。

「サリ、消えちゃうん?」

「だから俺は大丈夫だって」

「でも色が薄くなってる」

「ちょっと眠るだけだよ」

「何それ。よく分かんない」

「また会おう」

「え、絶対やで」

「当たり前だろ」

「うん」

「じゃあな、薫」

「うん、バイバイ」

 手を振った。

 てかやっと最後、私のこと薫って呼んだなー。

 そんなこと思っている間に世界は消えた。

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