第2話


 てかさ。やっぱ、スタバって神やんな。

 やばいやんな。マジで。

 クリームのたくさんのったやつ。キャラメル仕立てのやつ。好き。ほんま好き。あー、好き。愛愛愛愛愛してる。

 なんて幸せそうな顔してストローを咥えてたら絵里ちゃんが、

「薫、顔昇天しちゃってんじゃん」

 なんて言って笑うから、優子ちゃんも笑った。

「だって美味しいんやもーん」

「そんな幸せそうにスタバ飲む人初めて見た」

 優子ちゃんがツボに入ったみたいでげらげら笑う。

 終業式の後、スタバ。いつもの三人で。

 今日で私の高二が終わった。

 思っていたよりずっと呆気なく。

 さよなら私の高二。

 さよなら窓際の特等席。

 桜、間に合わなかったね。

「ね、二人は進路もう決めた?」

 絵里ちゃんが机に落ちた水滴を紙ナプキンで拭きながら聞く。

「私、全然決めてない。優子ちゃんは?」

「私は一応国立狙ってみるつもり。春休みからさっそく予備校通いが始まるのよぉ」

 優子ちゃんは項垂れるジェスチャーをする。

「うそ、そうなん? もう、いきなり受験生モードやん」

「うーん。うち、お母さんがね、けっこううるさくて。私に何も言わずに勝手に予備校申し込んでたのよ。どう思う? ひどくない?」

「うわー、気合い入ってるわね」

「まぁ、私は絵里ちゃんや薫ちゃんみたいに頭良くないからね」

 そう言って優子ちゃんはフラペチーノの生クリームをスプーンですくって食べた。

 まぁ確かに優子ちゃんは私と絵里ちゃんに比べると少し成績は下やけど、決して悪い成績ではない。全体的に見ると良い方やと思うけどなぁ。てか、予備校通いかー。辛いなー。大変そー。何てめちゃ他人事な感想を抱いた私、受験生失格。

 優子ちゃんは派手さは無いが大人しく、可愛らしい女の子。ショートヘアで、真面目で、一年の時から厚生委員とかやってて、ベルマークとか集めたりしてた。知る人ぞ知るやけど、実は同じクラスの佐々木君と付き合ってる。もう一年くらい前から。佐々木君はテニス部やけどあんまり運動ができるようには見えなくて、私はそんなに話したこと無いんやけど、何だか優しそうな人。

 同じクラスに彼氏がいるなんて何か羨ましいなー。だって楽しそうやん。みんないるけど、二人だけの世界もそこにあって。放課後は練習があるから朝は一緒に登校しよっ、的な、なんて。やばーい。マジ青春やん。

 私だってサリと付き合う前、少ないけどちょっと別の人と付き合ってたこともある。二人ね。正確に言うと。二人とも割とすぐ別れちゃったけど。

 最初に付き合ったのは中学の時で、相手は小学校が同じだった男の子。私は地元の公立中学に進学したんやけど、彼は隣町にある私立の中学に進学してて、あんまり覚えて無いけど、何か地元メンバーで久しぶりに遊んだ時に急接近して付き合うことになった。頭の良い子で、まぁ頭が良いから私立の進学校に行ったんやけど、中学生やのに何だか妙に理屈っぽくて、私が疲れて嫌になった。で、別れよ、て言ったらめっちゃ泣かれた。

 二人目は高一の初めくらい、バイト先の先輩で、この人はまぁ、けっこう好きやった。あんまり意識したこと無いけど、私、もしかして年上の方が好みなんかなぁ。バイトって言うのが今も続けてるコンビニのバイトで、先輩はいつも、ちょっとオシャレな小型バイクに乗ってバイト先まで来てた。背は低かったけどなかなかの美男子で、隣の高校に通ってた。一人目の人とは逆にこの人には私がフラれた。多分一カ月くらいしか付き合ってない。フラれたのはショックやったけど、別れてしばらくしたあと、先輩が違う学校の女の子とバイク押して歩いてるの見て冷めた。急激に。あー、もういいやって思った。

 って話が逸れた。

 何が言いたかったかって、私はクラスメイトとか、そういうスクールラブ的なのを経験したことが無いってこと! 憧れを抱いてるってこと!

 でもサリがもしクラスメイトやったら、それはそれでどうなんやろう。あんまり想像つかないなぁ。てかそれは何か違うな。サリはサリのまま、三つ上の美大生でいてほしい。

「私も国立目指そうと思ってるの」

 絵里ちゃんもフラペチーノのクリームをスプーンですくって食べながら言う。みんな生クリームだけ食べるのが好きなのかなぁ。私はあまりやらないけど。

「まぁ、絵里ちゃんはねぇ」

 私は生クリームをかき混ぜながら言った。

「絵里ちゃんくらい成績良かったらどこでも行けるよ」

 絵里ちゃんは頭が良い。テストの成績はいつも学年でトップテンには入るし。縁のある眼鏡かけてるし。細っそりしてて黒髪のロングやし。美人やし。如何にも秀才って感じ。でも、それは成績だけの話じゃなくて、普通に話してたりしても理路整然としてて、あぁこの人頭良いんやなぁ、って思う。

 それでも全然嫌味っぽくなくて、普通にあー、彼氏欲しいー、とか言うし。あ、私達三人の中で唯一絵里ちゃんだけ彼氏いないの。てか、今まで一度も男の子と付き合ったこと無いらしい。美人なのに意外ーって私は思う。多分みんなも思ってる。そんな才女、絵里ちゃん。

「そんなこと無いわよ。ちょっと背伸びした志望校を考えてるから。私も頑張って勉強しないと」

「絵里ちゃんが背伸びってどんなレベルなのよー。てか、もう志望校とか決まってるんや。じゃ絵里ちゃんも予備校行くの?」

「うん。春休みから」

「うへー、みんな予備校かぁ」

 あれ?

 ちょっと待って。

 私だけやん、何も考えてないの。

「薫はどうするのよ。そろそろ真剣に考えないと」

「うーん。まぁね。まぁ大学に行くつもりはしてるよ」

「そりゃそうでしょ」

 私達の通う高校はものすごく進学校ってわけではないけど馬鹿でもなくて、ちょっとだけ頭良いって感じで、だいたい九割は大学に進学する。

「薫ちゃん、頭良いんやから勉強頑張れば良いとこ行けるって」

「うーん。と言うか、私、何のために大学行くんやろ?」

「え?」

「てか私はこれからどんな大人になってくんやろ。どんなふうに歳取って行くんやろ」

「何? 何? 何の話?」

「全然変われる気がしないのよねぇー。十年後も二十年後も私は私で、好きなものも嫌いなものも今のまんまで。価値観とか変わる気しなくて。私は私でもう完成してる気がして。そう考えるとわざわざ大学に何しに行くのかなって思って。特に勉強したいことも無いし」

 私がそんなことを言うと、二人は不思議そうな顔をした。

「どうしたの? 薫、何か悩んでるの?」

「いやいや、そういうわけじゃないよ」

 慌てて否定する。でもそれが逆効果になったみたいで、二人はぐっと私に詰め寄る。

「薫ちゃん、まさかまた彼氏と何かあった?」

「うん、私もそれ思った」

「いやいや、無いって何も。大丈夫よ」

「そんなこと言って、前に彼氏から二週間連絡なかった時も大丈夫、大丈夫とか言ってめちゃくちゃ悩んでたじゃない」

「あー、あれね」

 半年くらい前、サリから二週間くらい連絡がない時があった。連絡しても返って来ないし。うん、あの時はけっこう悩んでた。大丈夫とか言ってけっこうヘコんでた。けっきょくサリが携帯無くしちゃってただけで、その後、新しい携帯やっと買えた、とか言って普通に連絡来たんやけど。

「また連絡ないの? 彼氏」

「いやいや、そんなことないよ」

 まぁ、今もまた二日連絡ないけど。それくらいは日常茶飯事だ。

「悩んでることあったらいつでも言いなよー。友達なんだからさ」

 あ、優子ちゃん、そのセリフすっごい優しい。優子ちゃんぽい。あと、青春ぽい。

 でも私、そんな心配させるようなこと言ったかな?

 とりあえず私は「うん、うん」なんて言ってちょっと苦笑いする。

 その後も何だかんだといろいろ話した。

 でも二人とも予備校が始まるなら、高三になるとこういうのも減っちゃうんやろうなぁ、と思うとちょっと寂しい。

 次学校へ行く時は私は高三やし、そう考えると時間ってやっぱ流れてるんやなぁ、って。普段は何も感じないんやけど、今何か感じた。空っぽのフラペチーノの容器に紙ナプキンを突っ込みながら感じた。

 外に出るともう夕方やった。

 シャープさを極限まで上げたみたいに艶やかな信号機の向こう、群青色に暮れていく空が見える。落日。

 それでバイバイした。



 とりあえず春休みになって、学校に行かなくてもいい日々が始まった。

 で、私はというと、けっこう暇してた。

 絵里ちゃんと優子ちゃんは予備校が始まるって言ってたから何だか声を掛けづらくて、じゃ久しぶりに務とウィーでもやろうか、マリオカートでも、って思ったけど、あいつは毎日部活の練習で全然家にいない。夕方帰って来ても何だか疲れ果てていて、とてもマリオカートって感じじゃないし。声をかけづらい。お父さんは相変わらず仕事やし、お母さんもパートとかで意外と家にいなくて、私はバイト以外、ほとんど家で一人、ごろごろしてた。

 暇やった。

 外は暖かくなってきたし、散歩に出たりもするんやけど、ただ歩いてるだけじゃつまらなくて、だいたいツタヤまで歩いてDVDをレンタルして帰ってくる。で、またごろごろする。

 最近、ゴジラシリーズをめっちゃ観てる。

 と、言うのも、春休みに入ってすぐ、何となくシンゴジラを借りて観たんやけど、これがどうにも面白くって、ハマっちゃって、そこから昔のやつ、キングギドラとかデストロイアとかビオランテとか立て続けにどんどん借りて観た。昔のは何だかほんと、いかにも特撮って感じで、古き良き時代の映画って感じで面白かった。それで私、けっこう興奮しちゃって、ウィキペディアで映画の背景を調べたり、バイトの後輩にその魅力を熱く語ったりしてた。しかし、けっこうな頻度でゴジラシリーズを借りに来る女子高生、私。ツタヤの店員さん、どう思ってるやろ。でもそんなん知らなーい。だって面白いんやもん。

 って、違うやろ、私。

 いや、いや、いやー。

 進路は?

 進路の話はどうなったん?

 そろそろ考えないとヤバいんちゃうの?

 と、思ったのは今朝で、一応午前中、真面目に進路のことを考えていた。

 机に向かって学校でもらった大学のパンフレットを見てた。

 なんか、どの学校も楽しそうやなぁ。校舎も綺麗やし、明るいし、写ってる在学生、みんな笑ってるし。希望に溢れてるって感じ。夢のキャンパスライフ。素晴らしい学生生活。

 そういう意味ではどの大学も良いなぁ。

 ただ、決め手がないのよねー。って言うのは私に特別やりたいことが無いからなんやけど。どうせ大学行くなら将来役に立つことしたいよなー。せっかくお父さんとお母さんがお金払ってくれるんやし。え? 払ってくれるよね? 特別そんな話、したこと無いけど。

 まぁしかし勉強のことはさて置き、確かに大学は楽しそう。高校とは違うなぁ。煩わしい校則とか無いし。自由って言うか。あ、サークル活動とか。良いなぁ。しちゃう? しちゃう? 軽音サークルとか。いいなぁ。バンド。東京事変とかコピーしちゃって。私、楽器はできないけど歌うから。あ、でも事変のコピーはギターが難しいって聞いたなぁ。浮雲さん。あー、じゃギター上手な人と組まないと。探さないと。サリはギターとか弾けないのかな? サリがギターとかめっちゃ絵になるんやけど。

 進学なぁ。

 あえてサリの行ってる美大とかは?

 来ちゃった、的な?

 えっ、何それ。

 いやいやキモいキモい。マジで。一瞬でもそんなことを考えた自分が恥ずかしい。

 てか志望校うんぬん言う前に勉強しないとよね。絵里ちゃんレベルでも予備校行くくらいなんやから。ちゃんとやらないと。やっぱ私も予備校かなー。それならまずはお母さんに相談しないと。あ、でも何の教科を勉強すればええんやろ? いや、てかよく考えたらそれは志望校と志望学部が決まって見えてくるとこちゃうの。

 あれ? けっきょく降り出しに戻った?

 あー、もう。なんてパンフレットを放り出してベッドに倒れ込んだら急にドアが開いて、お母さんが立ってた。

「な、何よ。年頃の娘の部屋なんやからノックくらいしてよ」

「あ、ごめん」

「てかお母さんいたんだ。パート行ってるのかと思ってた」

「今日は休みなのよ。ね、たまには外にご飯食べに行こうよ」

「今から?」

「そうよ。お昼ご飯。何か予定あった?」

「いや、別に無いけど」

「じゃ行こうよ」

「うん」

 私は部屋着の上にアディダスのジャージを羽織って家を出た。財布は持たず、携帯だけポケットに入れて。

 風の気持ち良い春の陽だった。

 お母さんと並んで歩く。

 あ、しまった。外出るんやったら観終わったDVD持ってくればよかった。ゴジラ対ビオランテ。まぁ、いっか。取りに帰るのめんどくさいし。返却期限明日やし。

 家から徒歩五分くらいのところにあるうどん屋さんに入る。昼なのにあまり混んでない。いつ来てもすぐ入れるところがこの店の良いところだ。

「何でも好きなもの食べな」

 そう言ってお母さんがメニューをくれる。

「ありがと」

 と、言いつつも、何でもって言ったってうどんやん。せいぜい素うどん~天ぷらうどんくらいの振れ幅やん。なんて思った。可愛くない娘、私。

「私はワカメうどんにするよ。ヘルシーそうやし、美容にも良さそうやから」

 そう言ってお母さんにメニューを返す。

「あ、そう。ヘルシーなんええな。ほな私もワカメうどんにする。ね、ちょっと天ぷらも食べへん?」

「いいよ」

 でも天ぷら頼んだらけっきょくヘルシー意味ないやん。まぁ、いいけどさ。天ぷらちょっと食べたいし。

 お冷を持ってきてくれた店員さんに注文した。

 そしたら何となく二人沈黙したので、

「お母さーん。私、もうすぐ高三よ。受験生よ」

 言ってみた。

「そうやんねぇ。何か考えてんの?」

「漠然と予備校行かなヤバいかなぁって思ってる」

「予備校ね」

「うん。絵里ちゃんも優子ちゃんも春休みから行くみたいよ」

「そうなの。ね、私よく知らないんやけど、予備校って勉強するとこよね?」

「は? 当たり前じゃない」

 私はちょっと呆れた。

「仕方ないじゃない。お母さんそんなとこ行ったことないんやから。ね、予備校って塾と何が違うん?」

「え?」

「いや、予備校と塾の違いって何なん?」

「そんなの知らない」

「あ、そう」

「何が違うんやろ?」

「何なんやろね。まぁ、薫も予備校行きたいなら別に行っても構わんよ」

「うん」

 それで何となくこの話は終わった。

 この緊張感の無さ、怖い。

 お母さんとしては私が、とりあえず毎日元気に生きてさえいればそれでオーケーなんやろう。危ない夜にふらふらと出歩いたりしなければ、それでいいのだ。

 まぁ、そういうのも愛かなぁ。確かに。


「付き合ってる彼はどんな人なん?」

 急にそんなことを聞かれたのはワカメうどんを食べてる最中。箸が止まる。

「どんな人って」

 お母さんにそんなことを聞かれたのは初めてで、私はキョトンとしてしまった。

「何よ。そんな顔せんでもええやん」

「だって何か意外やったから」

「私やって娘がどんな人と付き合ってるかくらい気にするわよー」

「てか彼氏いること気づいてたんや」

「そりゃ気づいてるわよ。こそこそと夜に家を抜け出したりして」

「うそ、それも気づいてたん?」

「当たり前じゃない。あんたのやることなんてバレバレよ」

「そっかー。バレてないと思ってたんやけどなぁ」

「甘い」

「でも気づいてたのに何も言わなかったんや」

「まぁ彼氏が一緒ならね。一人じゃないし。それにあんた、注意したってどうせ行くやろ」

「行く」

 私は笑った。

「ちゃんと家まで送ってもらってるんやろ?」

「うん」

「どんな人なん? 同じ高校の人?」

「ううん。違う。大学生よ。三つ歳上」

「へぇ」

「めっちゃカッコ良いねん」

「ふぅん」

 お母さんはそう言って海老の天ぷらを一口かじった。

「何よ、そのリアクション。自分で聞いといて」

「いや、まぁ、ちゃんと送ってくれるような人ならとりあえず安心したのよ。あんたまだ十七やし、たくさん恋しなさい」

「たくさんって何よ。私はずっとサリと付き合ってくつもりよ。あ、サリって彼氏の名前ね」

 私はちょっとムキになって言ったんやけど、お母さんは少し笑って、「そう」って言っただけやった。

 ワカメうどん、美味しかった。

 てか、けっこうボリュームがあってお腹いっぱい。全然ヘルシーちゃうやん。

 支払いはお母さんがしてくれた。まぁハナからそのつもりで私、財布持ってきてなかったんやけど。

「お母さん、ありがとう」

「うん、コーヒーでも飲んで帰る?」

「や、私お腹いっぱい」

「実は私も。なかなかの量やったやんな」

 お母さんが笑う。

 笑った目尻が私によく似てる。

 でもちょっと歳を取ったな。お母さんも。

 あ、やっぱ時間は流れている。

 それって、怖くもあるなぁ。

 例えば、小学校の時の楽しかった記憶。私は日々あれから離れていっている。そしていつかは見えなくなるくらい遠くまでいってしまうんやろう。

 三十歳くらいになったら、今進路のこと考えてることとか、絵里ちゃん達との女子トークとか、そういうこと、ずっと遠い昔のことのように思い出すんかなぁ。うーん、でもまぁ、多分そうなんやろなぁ。

 でもその時、サリはいてほしいなぁ。隣に。彼氏やから。好きやから。単純やけど、何か文句ある?

「お母さん」

「何?」

「私が大学入ったらディズニーランドでも行こうよ。一緒に」

「ディズニーランド? 何よ急に」

 お母さんはちょっと嬉しそうに笑う。

「いや、何となく。行きたいなぁって。行きたくない?」

「そりゃー行きたいわよ」

「務とお父さんは置いてって、女二人旅で」

「いいわね」

「きっと行こうね」

「そうやね。ほな、あんた受験頑張らな」

「あ、そうだ」

「そうよ」

「頑張ろー」

「うん。あ、薫、それと夜遊びはほどほどにしなさいよ。私、別に許したわけちゃうからね」

「分かってます」

 二人ともお腹いっぱいやから、大人しく家路を辿る。あー、何か春休みっぽいなぁ。今のこの感じ。陽気とか。お腹いっぱいな感じとか。

 帰ったらもう一回ゴジラ対ビオランテ観よ。

 ほんで夜になったら久しぶりに勉強しよ。



 春休みも中盤に差し掛かってきた。

 その日、バイトが終わったらもう夕方で、コンビニを出ると夕日がすごく赤くて、あー、また一日が終わっていくーって感じ満載やった。それはまるでメルトダウンしていくように、心に赤が染みてく。街は普通に機能してるけど、みんなこれ見て何も思わんのかなぁ。

 それで自分の部屋に戻ってきたら急にどっと疲れが出た。

 今日はそこまで忙しかったわけではないんやけど、何しろ勤務時間が長かった。春休みやから最近は一日中シフトに入ってることが多いのだ。

 どかっ、と大袈裟にベッドに倒れ込む。

 あー。

 お腹すいたなぁ。

 でも下までご飯食べに行くのめんどくさい。さっきリビングの横通った時気付いたんやけど、今日の夕飯、肉じゃがっぽいし。私、あんまりあれ好きくないねん。変に甘いし。

 テレビ見たいなぁ。

 でもコントローラーまで手を伸ばすのめんどくさい。てか、こんな夕方に面白い番組やってんの? ニュースとかばっかちゃうの? それか子供向けのアニメとかさ。チャンネル全部チェックしたのに面白そうな番組一つもなかった時ってけっこうヘコむやんな。悔しいやんな。そういうのって嫌やんな。

 携帯がうるさい。

 さっきからブーブーとうるさい。うるさい。うるさい。うるさい。疲れてるんだってー。私。

 ブーブー。

 携帯?

 ブーブーて。

 あ、鳴ってんのか。

 目覚ましのアラームとは違う鳴り方。そもそもこんな夕方にアラームなんてセットしないし。この鳴り方は電話だ。

 羽織ったまま倒れてるから、ロングコートのポケットから携帯が上手く取り出せなくて、もぞもぞしてたらじきに電話は切れた。

 やっとこさ携帯を取り出す。

 着信あり。一件。

 誰だ。絵里ちゃん? いやー、この時間、どうせ一階のお母さんからやろ。ご飯できてるよって。わざわざ階段を上がってきて伝えるのがめんどくさいから電話やメールで済ますのだ。たまにそういうことがある。

 って、え。

 着信。

 サリからやん。

 お母さんちゃうやん。

 私は疲れなんか飛んじゃって、ベッドの上に座り直し、すぐに折り返した。そしたら意外とワンコールでサリが出た。

「もしもし」

「あ、もしもし。今電話もらった? よね」

「うん。した」

「どしたん? てか久しぶりやん」

 三日ぶりの連絡だった。そしてまた一週間くらい会ってない。

「久しぶり。あー、いや、特に用事があったわけじゃないんだけど」

「声が聞きたかった的な?」

「まぁ、そんな感じかな」

 わっ、何それ。嬉しい。

「それで今から会いたい的な?」

「いや、今からバイト」

 何だよ。ちげーのかよ。

「薫は何してた?」

「私は逆にバイト終わって帰ってきたとこだよー」

「お疲れ様。毎日何してんの?」

「んー、レンタルDVD観たりバイトしたり。勉強もちょっとはしてるよ」

「そっか」

「サリは? サリも春休みやろ? バイトばっか?」

「そうだなぁ。大学の課題もちょっとあるけど、基本的にバイトかな。うちのバイト、四回生の人が多かったから、その人達が一気に就職で辞めて今人手不足で」

「そっか」

 そう言った時、サリの口癖「そっか」が私にもうつってることに気づいた。あらら。好きじゃなかったのになぁ、これ。影響されてる。いつの間にか。自分でも気づかないところまで。

「うん、だからしばらくはバイト漬け。まだしばらく会いに行けそうにない」

「そっか」

 この「そっか」はわざとやった。

「ごめん」

「ううん。仕方ないよ」

「ちょっとだけど声が聞けて良かった」

「うん、私も」

「また連絡する」

「うん、頑張って」

 そう言って電話を切ると、身体中の力が抜けた。再びベッドに倒れこむ。

 まだしばらくは会えないって。何よ。こっちはもう限界だっつーの。もうすでに一週間会ってないんやから。

 ほんでも声が聞きたかったなんて言われたのは嬉しかったけど。複雑やなぁ。ここで会いたいとか言ってゴネたら子供なんは私やし。てかサリは平気なん? 私に会えんくても平気なん?

 そんなこと聞く勇気はないよー。

 そっか、何て簡単な言葉で済ませないで。

 もっと考えてよ。

 何を思えば、何を話せば、あなたの心に染みていけるのか。いけますように。私はいつも考えてる。祈ってる。祈ってるんだよ。バーカ。

 いつの間にか真っ暗で、電話の切れた携帯の画面だけが部屋の中を照らしていた。

 魔法みたいに。

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