猫の機長(猫短7)

NEO

巡航高度

「ポーレス管制、こちらシーエーティーエア1023。フォレス岬南西……」

 隣の副操縦士が地上とやり取りする声を聞きながら、猫はいつもの癖で計器板を診ていた。

 ……いや、計器板というよりは、ほぼディスプレイだ。

 この「プロウィング747-400」は通称、「テクノジャンボ」とも呼ばれるハイテク大形機で、旧態依然とした機械式の計器をほとんど駆逐してしまった。

 ……高度約一万メートル。各エンジン異常なし。燃料消費量異常なし。フライトプラン通りに飛行中。

「機長、今日は絶好の飛行日よりですね」

 すでに自動操縦に切り替えて久しい。副操縦士が和やかに言った。

「ああ。だが、油断するなよ。もう一時間もすれば『無着陸エリア』だ」

 猫が機長を務めるこの便は、アルファテ国際空港発、大洋を跨いで反対側のキリンジャー国際空港行きだった。飛行時間十八時間。そのうちほとんど大洋上だが、何かあっても即座に着陸出来ないエリアがあった。

 それを、パイロットたちは「無着陸エリア」と呼んでいた。

 ここに入ると、最短の空港まででも三~五時間は掛かるので、それなりに緊張するものだった。

 ここで、先に断っておく。この物語では、細かい航空用語や手順などは一切カットや簡略化する。解説がめんど……もとい、マニアックになりすぎるのでご了承願いたい。

 さて、猫の飛行機は順調に飛行を重ね、食事の時間となった。

「お前が先に食え。金印はくれてやる」

 猫はほんの軽く操縦桿に両手をあて、ヘッドセットのマイクを直した。

「では、お先に。私は銀印でいいですよ」

 副操縦士は、運ばれてきた猫好みの人肌に温められた猫缶を開けた。

 缶詰とはいえ、万一食中毒でどちらも操縦不能にならないように、必ず別の物を食べる規則になっている。

 コックピットに芳醇な香りが漂う中、猫は内心思っていた。腹減ったな。先に食っておけば良かったと……。


 飛行時間も八時間を越え、客室内の乗客はほとんどが寝静まっていた。

 そんな中、不穏な動きを見せる人間の男が八名。それぞれ、どうやって空港のセキュリティを抜けたのか、オート式の拳銃を持っていた。

 こんなものを機内でぶっ放して万一機体に穴でも開けば、気圧の関係で破裂した風船のような惨状になるが、それは男たちも分かっていた。

 拳銃に装填されているのは音だけの空砲だった。要するに、ハッタリである。

 それぞれやや離れた席に座っていた男たちは、それぞれ目配せして一斉に立ち上がった。その瞬間……。

「うごぉ!?」

 機体がいきなり激しい振動と共に急旋回し、不安定な体勢だった八人は見事に吹っ飛んだのだった。


「メーデーメーデー、シーエーティーエア1023。第一エンジン停止。火災発生!!」

 副操縦士に地上との交信を任せ、猫は操縦桿をしっかり掴んでいた。

 マニュアル通り、自動操縦装置から手動操縦へ。

「第一エンジン燃料系統カット。ダメだ。自動消火装置が作動しない。手動でいくぞ」

 あらゆるランプが点灯し、けたたましいアラームが鳴り響く中、猫の操作は的確だった。

 真っ赤な火の玉のようになった第一エンジンに、強力な窒息効果を持つハロンガスが叩き付けられるが、火勢の方がやや勝っていた。なかなか消えてくれない。

 そんな折、再びドンという振動が機体を揺さぶった。

 ディスプレには、『第二エンジン停止』と表示されている。

「機長、第二も止まりました。火災はありません。第三と第四も燃焼温度が安定していません。時間の問題です」

 状況のわりに落ち着いた副操縦士の声と共に、猫はため息をついた……。

 ……またか。

 実はこの猫、大ベテランといっていいキャリアの持ち主だが、この機種に転換してからというもの、定期便でまだ一度も目的地に辿り着いた事のない不運な男だった。

 必ず何らかのトラブルが発生し、目的外の場所に着陸するハメになる。

 但し、時として軽傷者程度は出すが、犠牲者を出した事はない。

 全く、運がいいのか悪いのか分からない猫だが、このお陰で彼とコンビを組みたがる者がいなくなり、もの好きのこの副操縦士が固定の相棒のような状態になっていた。

「……近くの着陸可能な空港は?」

 なんにせよ、この状況を打開せねばならない。

「ハイセルンなら六時間ですが……もたないと思います」

「……」

 動作が怪しいが、まだエンジンが二発残っている。飛べるだけ飛んで滑空すればあるいは届く距離だが、第一エンジンの火災が全く収まらない。このままでは、主翼がちぎれ飛ぶ。あるいは、最悪のパターンとして、翼内タンクの燃料に引火して爆発する。防爆装置はあるが、全く信用していない猫だった。

「不時着水。機内にも知らせろ」

 猫の決断は早かった。その頃、客室乗務員が、粘着テープだの何だので、寄ってたかってハイジャック未遂犯を拘束していたとは知らずに……。


「知ってます? このプロウィング747って不時着水に成功した例がないんですって」

 どこかお気楽に副操縦士が言った。

「……お前は、要らん事を」

 猫は慎重に機体の高度を下げながら、インカムのチャンネルを「機内」に切り替えた。

「機長だ。ただならぬ事になっている事は、もう分かっているだろう。悪いが地面に下ろしてやれん。隣のバカが言うには、この機体は不時着水の成功例がないらしい。俺もこの機体ではやったことはないが、他の機体でなら飽きるほど練習した。だからといって、大丈夫なんて気休めは言わん。保証はしないがやるだけやってみよう。不安なら飛び降りてもいいぞ。以上」

 猫はインカムのチャンネルを切り替えた。

「ナイススピーチです」

 やれやれといった調子で、副操縦士がいった。

「間抜け面晒していないで、予定着水地点の割り出しと救助隊の要請をしておけ」

「もう終わってます。ここ……北に百七十キロ。キラス島近辺です。あそこにはファダ王国海軍基地があります」

 さすが相棒。かなわんな。猫は胸中でつぶやいた。

「さて、ショータイムだ。いくぞ」

 猫の操縦に従い、機体は海面目がけて接近していった。

 ここに来て、ドンという衝撃が機体を揺さぶり、第三エンジンが火を吹いた。

「第三エンジン火災。消火システム故障。手動でも作動しません!!」

「どこのバカだ。こいつを整備したのは!!」

 目標エリアよりは手前だったが、こんなボロ機体ではいつ吹っ飛ぶか分かったものではない。

「おい、救助隊をこっちに呼べ。ここに降りる!!」

 海面までの高さは約五百メートル。少々無茶な操縦ではあったが、猫は機種を少し上げてエンジンパワーを落とし始めた。

 機種を少しでも深く海面に突っ込めば前転、バランスを崩して主翼から突っ込もうなら横転。いずれにせよ大惨事必至だった。

 そして……。


 通常ではあり得ない衝撃の後、コックピットのガラスを海水が洗った。

「よし、脱出だ!!」

「はい!!」

 シートベルトを放り出し、猫と副操縦士は客室に向かった。

 すでに客室乗務員による脱出誘導は開始されており、猫と副操縦士は手分けして「取りこぼし」の確認を終えた。

「……ところで、この粘着テープ巻きのゴミみたいなのはなんだ?」

 ハイジャック未遂犯八名がモゴモゴなにか言う。

「ゴミです。お気になさらず」

 笑顔でチーフ・パーサに言われ、猫はうなずいた。

「そうか。取りこぼしはない。この機体が浮いていられるのは十二分が限界だ。急いで離れよう」

「はい」

 もうゴミは眼中になくなった猫は、残った乗員全員に声を掛け、着水時は筏になる「非常用滑り台」に乗り込んだのだった。


「成功例一号ですね。こうして見ると乾かせば飛べそうです」

 筏をせっせと漕ぎながら、半分沈み掛かった巨体を眺め、副操縦士が猫に言った。

「また事故調の取り調べか。やれやれだな……」

 後の調査で、乗員乗客五百二十三人中、擦り傷程度が百名ほど出たが、規模を考えれば奇跡だろう。なお、搭乗者リストに載っていなかった乗客が数名いたようだが、これは不明とされた。


 シーエーティー航空の名物猫。腕はいいが運は悪いのかいいのか。

 運がいいのか悪いのか、乗り合わせてしまったら、ぜひ腹を括られたい。


『シーエーティ2023。ウィンド040アット10 ランウェイ32L クリヤード フォー テイクオフ』

「ラジャー。シーエーティー2023 ウィンド040アット10 ランウェイ32L クリヤード フォー テイクオフ」


「機長、どうしたんですか。その山盛りのお守り?」

「……祟られたくなかったら、ちゃんと速度読み上げろ!!」

「分かってますよ……V1、VR!!」

 そして、今日も猫は空を飛ぶ。

 お守りの効果があったかどうかそれは……。



「本日13時40分頃、シーエーティー航空2023便 アルファテ発、キリンジャー行き、プロウィング747型機がエンジントラブルのため、ポート・フォーレス国際空港に緊急着陸しました。その際、滑走路をオーバーランし……」


(完)

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