第一九話 遊びに来たヨ!
1
俺はコンビニの帰り、公園の中を通った。
単に、近道だったからだ。
夜風がちょっと、気持ち良かった。
ずっとゲームをやりっぱなしだったので、外出するのは久しぶりになる。約1週間、コンビニで買ったカップラーメンとパンだけを食べて生活していたのだ。
俺は、ベンチに腰かける。
家で飲もうと思っていた、缶ビールを開けた。
そうして飲んでいると、頭上で何かが光った。
流れ星か?
いや、違う。
それは、だんだん大きくなる。
それは人だった。
大きなスプーンに乗った、可愛い女の子だった。
俺は、それが誰だか、すぐにわかった。
その子のポスターを、部屋の一番いい所に貼っていたからだ。
「こんばんワ! まことさン!」
その声にも、聞き覚えがあった。アニメはブルーレイで全巻揃えていたし、キャラソンもコンプリートしていたからだ。ラジオだって、ラジコ版をMP3ですべて録音している。
彼女は、目の前に着地した。
呆然としている、俺を見て言う。
「どうしたのかナ? あたしに、会いたかったんじゃないのかナ?」
彼女は、俺の顔を覗き込む。
間違いなかった。
彼女は、アニメ『魔法少女シャイニー☆アップル』のりんごちゃんだった。
「き、君は、りんごちゃんだよね?」
「うン、青ノ森りんごだヨ! 今は変身しているから、アップルだけどネ」
しまった。俺としたことが。
青ノ森りんごは、この地上世界で中学生をしている時の名前で、魔法世界アオレンにいる時と、変身した時は、ジョナ・ゴールド・アップルなのだ。
「ア、アップルちゃんは何しに、俺なんかの所に来たの?」
「うン、あたしはネ!」
アップルちゃんは、俺の腕の中に飛び込んで来た。
「まことくんの所にネ、遊びに来たヨ!」
2
あたしたちの息子、真は、ニートです。
引きこもりだったのですが、これではいけないと思い、今はアパートで、一人暮らしをさせています。
会うのは月に一度、生活費を渡すために、そのアパートに行った時だけです。
その時に、ついでに掃除もして来ます。
真は、いわゆるアニメおたくです。
部屋中に、半裸の女の子のポスターを貼っています。
小さなお人形、フィギュアと言うんだそうですが、それも部屋に並んでいます。
その真から、電話がありました。
「俺、彼女ができたよ」
びっくりしました。アパートに引きこもっている真に、彼女ができるなんて!
「俺、彼女のために働くよ。いや、働かなきゃいけない」
ますます、びっくりしました。嬉しくて、思わず涙がこぼれました。
今まで、あたしたちがいくら言い聞かせても働かなかった真が、そんなことを言うなんて!
「そう。それは良かったわね。彼女の名前は、何て言うの?」
「りんご、だよ」
真は言いました。
「青ノ森りんご、って言うんだ」
3
月末に、真から電話がありました。
「実は、体調を崩してしまったんだ」
「うん」
「バイトを探してはいるんだけど、来月は働くのは無理みたい。ずっと寝ているんだ。申し訳ないけど、もう来月だけ、仕送りしてくれないか」
あたしは、わかったわ、と言いました。体調を崩したなら、仕方がないことでしょう。
「母さん、お金を持って行くわ。お見舞いの品は、何がいい?」
「うーん、仕送りは、振り込みにしてくれないかな」
「そうなの?」
「ああ。お見舞いもいい。りんごが、世話してくれてるから」
何て素敵な彼女ができたのでしょう!
あたしは、本当に嬉しくなりました。
4
それでも、真のことが心配でした。
りんごさんにも興味があります。
あたしは、叱られることを覚悟で、真のアパートに行きました。
チャイムを鳴らしましたが、出て来ません。
あら?
不思議に思いました。
体調を崩して、寝ていると思ったのに。
あたしは「入るわよ」と言ってから、合鍵でドアを開けました。
「!」
驚きました。
中は、相変わらずの、ゴミの山だったのです。
まさか、こんな部屋に、彼女を呼んでいるのではないでしょうね?
彼女だって、こんな部屋は嫌でしょうに。
部屋に入って見ると、また驚くことがありました。
あれだけ大事にしていたアニメのポスター、フィギュアが、なくなっていたのです。
たった一枚の、ポスターを残して。
ぞくり、としました。
そのポスターには、落書きがしてあったのです。
そんなことをするなんて、真らしくありません。
その落書きは、赤いマジックで書かれていました。
額には角(つの)、口には長い牙、両爪は驚くほどの長さ。
鬼。
それは、どう見ても鬼だったのです。
5
部屋をいつものように片付けていると、真が帰って来ました。両手には、コンビニ袋をぶら下げています。
「な、なに勝手に部屋に入ってるんだよ!」
真は、凄い剣幕で怒鳴りました。
それでも、母親のあたしにはわかります。顔色がやはり良くありません。体調が悪いのは、本当なのでしょう。
あたしは、真にさんざん謝って、ようやく落ち着いたように見えてから、尋ねました。
「やはり、体調は悪いの?」
「ああ」
「りんごさんが、看病してくれてたのよね」
まあ、彼女だって学生なら学校があるでしょうし、社会人なら仕事があるのでしょう。24時間、真の看病だって、できるはずがありません。
「でも、部屋は片付けてくれなかったの? 代わりに買い物は、してくれなかったの? 何だかちょっと、残念な彼女だわ」
「やめろよ!」
また凄い剣幕で怒鳴るのです。
「りんごの目の前だぞ! 彼女が傷付くじゃないか!」
え?
もちろん部屋には、あたしと真しかいません。りんごさんは、いないのです。
「やあねえ、真ったら。りんごさんは一体、どこにいるって言うの?」
「そこにいるだろ!」
真は、部屋のポスターを指差しました。
「彼女が、青ノ森りんご。俺の彼女だよ」
6
あたしは、その話を、白銀町にある『 可否屋 葡瑠満(コーヒーヤ ブルマン)』で、彼に話しました。
まったくの余談になりますが、弘前で一番「値段が高く」、一番「美味しい」コーヒーを出すと、この店は謳っています。
彼は言いました。
「なるほど。それは、鬼ですねえ。体調を崩しているのも、鬼に取り憑かれているからなのです」
彼とは、伊吹冷泉さんです。恐ろしく綺麗な二十歳ぐらいのその人は、黒髪を腰まで伸ばしていました。
上下とも、白いスーツを着ています。鮮やかな、青いネクタイを締めていました。白いソフト帽を、隣の席に乗せています。
「やはり鬼なのですね。あたしたち夫婦は、お医者様に相談するべきなのかとも思ったのですが」
「まあ、お医者様には相談するべきなのかもしれませんが」
え?
「とりあえずは、僕の出番のようです」
伊吹さんは、この都市(まち)で、鬼退治を専門にしているのでした。
「お礼は、幾らほどになるのでしょうか」
うーん、と彼は唸りました。
「今回は、成功報酬と致しましょう。その、鬼は退治できる、いや必ずしますが、それでは納得できないような気がするんです」
「はあ」
あたしは、真の住所を教えると、店を出ました。
7
二人でご飯を食べていると、りんごが言った。
「あいつが来るワ。怖イ! あたし、怖いノ!」
「誰だい? あいつって誰だい?」
「魔導師ワームなのヨ!」
魔導師ワームは、魔法少女シャイニー☆アップルの両親を石にして、魔法世界アオレンを永遠の夜にした、恐ろしい魔導師だった。
ちなみに、両親が国王夫婦であることは、第7話で明らかになる。
りんごは、立ち上がった。
「まことさン、あたしが変身するまデ、あたしを守っテ!」
「もちろんさ!」
俺は昔に趣味で買った、サバイバルナイフを取り出した。
8
魔導師ワームが部屋にやって来た。
「うおおおお!」
俺は両手でナイフを構え、突進する。
魔導師ワームは、その邪悪な杖でナイフを叩き落とすと、俺を強く打った。
あっけなく、俺は床に倒されてしまう。
「まことさン、しっかりしテ! 許さなイ! あたしのまことさんニ、乱暴するなんテ!」
りんごは変身の呪文を唱える。
「エリス・ルル・フォーテシマ・キセス・セノイフォン!」
眩い(まばゆい)光に包まれ、りんごは、魔法少女シャイニー☆アップルに変身した。
魔導師ワームは言う。
「真さんを、解放させて貰いますよ」
え?
「真さん、聞こえていますよね? 彼女は鬼なのです。恐ろしい鬼なのです」
魔導師ワームは、一体何を言ってるんだ?
「彼女、いえ『それ』には死んで貰います」
「魔導師ワーム、あたしは負けなイ!」
アップルは、魔法のスティックを構えた。
「アップル・サンシャイン!」
それは愛の力、ハートパワーのビームなのだ。
がんばれ、アップル!
俺のアップル!
だが、魔導師ワームが邪悪な杖を一閃すると。
「きゃあああア!」
アップルは床に倒れた。
そして、動かなくなった。両親のように、石になってしまったのだ!
魔導師ワームは言う。
「僕にできるのは、ここまでです。願わくば、一日も早く鬼の魔力から解放されて、正気に戻りますように」
魔導師ワームは、そう言い残すと、去って行った。
9
あたしと伊吹さんは、また『 葡瑠満』にいました。
伊吹さんは言います。
「確かに鬼は退治しました。問題は、鬼の魔力から、いつ解放されるのか、だと思うのです」
「はい」
「伊吹家に伝わる、『技』がないこともありません。荒療治になってしまいますが、どうしましょう?」
「荒療治なのですか?」
「はい」
伊吹さんは言いました。
「それは楽しい夢の世界から、無理矢理、叩き起こすようなものなのです。目覚めた後、夢の世界の方が良かった、こんな世界に戻りたくなかったと、夢の世界に固執する形になってしまうかもしれません」
気のせいかしら?
何だか、引きこもりの治療に、ちょっと話が似ている気がする。
治療と呼ぶのは、間違いなのかもしれませんが。
「僕は、自然に任せるのが良い気がします。長くかかりますが、きっと元に戻るでしょう。もっとも本人に、目覚める意思があればなのですが」
目覚める意思。
真に、それはあるのでしょうか。
今はただ、真を信じるしかなさそうです。
あたしは、お礼が入った封筒を、テーブルの上に差し出しました。
「ありがとうございました。鬼退治は、成功したのですよね?」
伊吹さんは、それを、そのまま押し返しました。
「はい。成功しました。ですが、どうにも気持ちがすっきりしないのです。真さんが鬼の魔力から自由になったら、それは頂くことにします」
伊吹さんは言いました。
「成功報酬とは、そういう意味なのですよ」
10
俺は、泣いて暮らしている。
アップルは、石になったままだ。
毎日、ハートパワーを送っているのに、石になったままなのだ。
アニメ第22話で、アップルはやはり石になる。
しかし、ライバルにして親友、魔法少女スウィート☆ストロベリーのハートパワーで復活するのだ。
それでストロベリーちゃん、中学生の時は栃ノ木いちごちゃん、は代わりに石になってしまうのだが、俺も石になっても良かった。
俺のアップル、俺のりんごが甦るなら。
そして甦り、魔導師ワームを、今度こそ倒すのだ。
頑張れ、魔法少女シャイニー☆アップル!
負けるな、俺の、シャイニー☆アップル!
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