第18話 霊に依って霊のごとく

 戻ってきたクフ王が、台所から持ってきたタマネギやニンニクで八柱神をサポートします。

 これらの野菜には聖なる力が宿っているので、悪い霊を追い払う効果がある……はず……

 なのですが、八柱神はこれらをただのつけあわせとして、生霊と一緒においしくいただきました。


 あっという間に室内の生霊は食べ尽くされて、これでとりあえずは安心です。

 アイ王は先ほども今も、何事もなかったかのように、書類を読んだり書き込んだりを続けています。


「それにしても、何でこんなことに……」

「生霊の言い分、聞いてみるけろ~ん?」

 八柱神の提案に、ツタンカーメンは一瞬だけたじろいで、それから力強くうなずきました。




 八柱神がパカッと口を開けます。

 喉の奥から、神々のものではない、おどろおどろしい声が漏れてきました。


『恨めしい恨めしい恨めしいッ!』


 ツタンカーメンはビクリと体を震わせました。


『おのれアイめッ!』


 本当を言うと、聴きたくないです。

 だけど聴かなければ。

 アイに王位を託したのは、他ならぬ自分なのだから。


『俺サマがせっかく用意した賄賂をつき返し、挙句に俺サマを牢屋にぶち込みやがってッ!!』


 ………………。


「ほへ?」

「あー、こりゃ、完全に逆恨みじゃのう」

 クフ王がぽりぽりと頭を掻きます。


 八柱神は、こういうタイプの霊ほどおいしいよねー、と、グルメ談義に花を咲かせました。




「でもでも、真剣に陳情に来た人たちも居るみたいだけろ~ん」

 もう一度、神々が口をパカッとします。


『うちの町は人が多い分、困っている人の数も多いのだから優先的に支援するべき』


『うちの村は人が少ないからこそたくさんの支援が必要』


『うちが最優先じゃないなんて許せない』


『他を削ってうちへ回すべき』



 若いツタンカーメンはポカーン。

 でも経験豊富なクフ王には、予想ができていたようです。


「やれやれ。時代が変わってもこういうところだけは一向に変わらんのう」

「少なくとも本人たちは真摯な陳情のつもりらしいにょろ~ん」

 八柱神は、もともとの構造的に大きな口を、さらに大きく開けてケラケラと笑いました。




「ざっと聴いた限りでは、アイとやらは実にバランスの良い王じゃな」


 クフ王の言葉に、ツタンカーメンの顔がパッと輝きます。

 けれどクフ王は難しい顔をしていました。


「バランスが良すぎる。半分を助けるために残りの半分を犠牲にすれば、見捨てた半分からは恨まれても、助けた半分は味方になってくれるもんじゃ。しかしアイは全員を平等に扱おうとしておるせいで、全員から平等に恨まれておる」


 クフ王はやれやれと首を振りました。


「アイの名は、歴史には残らんかもしれん。残ったとしても悪者としてじゃろう。次のファラオはアイを見とるぶん、強引な政を敷くかもしれんのう」

「そんな……」


 アイ王は内政でも外交でも苦労しているようでした。

 人は、自分がほんの少し損をするかもという話には、まるで太陽が失われるみたいに大騒ぎします。

 それでいて他の人が人生が狂うレベルで苦しんでいるという話をすれば、砂まじりの風に吹かれたみたいに顔を背けるのです。



 ツタンカーメンのお父さん、アクエンアテンは、そんな世界を変えようとして、大きな改革を行って、失敗しました。


 アクエンアテンはツタンカーメンが幼い頃に亡くなって、アイはツタンカーメンを支えながら、アクエンアテンが残してしまった混乱の処理に追われ……

 ツタンカーメンが若くしてこの世を立ってからも、アクエンアテン王の失敗の後処理は続いているのです。



「何、そう不安がることもあるまい。ワシらは未来でラムセス二世の神殿を見てきたじゃろう? これからのエジプトは、今よりもっと栄えるぞい」

 クフ王はツタンカーメンの肩を優しくたたきました。



「ごちそうさまだけろ~ん」

「とってもおいしかったにょろ~ん」

「何じゃ、もうお帰りかの?」


「もうお腹いっぱいだけろ~ん」

「後はお前らで何とかするにょろ~ん」

「……そういうことになりそうじゃのう」

 八柱神はぴょこぴょこにょろにょろ去っていきました。



 窓から風が吹き込みました。

 日除けの布が舞い上がって、もとに戻って、だけど不自然に薄暗くなって……

 アイ王は少しだけ顔を上げて、書類に目を戻しました。


 あしのペンが古代の紙パピルスの上を滑る音だけが響きます。

 異様な、静けさ。

 クフ王は、今までに見せたことのないいかめしい顔で窓を睨みました。


「先輩……?」

「身構えよ、ツタンカーメン。悪霊の親玉のお出ましじゃ」


 風に運ばれた砂粒が、渦を巻き、人の形を作っていきます。

 いえ、体は人ですが、頭はツチブタに似た幻獣です。


「邪神セト……」

 つぶやくツタンカーメンの声に緊張が滲みます。



「させぬ!」

 クフ王が両腕を振り上げました。

「オシリス神よ、我に力を! オシリスの星々よ、輝きたまえ! 闇を払いたまえ!」

 

 先ほどの生霊との戦いの中でそれとなく床に配置されていたタマネギやニンニクが光を放ちます。

「クフ先輩!? これってオシリス座!?」

「やっと気づきおったか」


 中央に三つのベルト。

 そこから手足を伸ばしたような位置にも並ぶ星々。

 地中海を越えたギリシャではオリオン座と呼ばれる光が、邪神を包みます。


 ザザザザザザザザ……ッ!!


 邪神になりかけていた砂は、悔しげな表情だけをさらして、ただの砂に返って床に落ちました。




「……クフ先輩……あの話、本当なんですか? ……ギザの三つのピラミッドが星座になぞらえて建てられてるってやつ……」

「若僧よ、古の叡智えいちにたやすく触れられると思うでないぞ」

「オシリス神がおれをクフ先輩に引き合わせたのも、こうなるってわかってて?」

 問われてもクフ王はニヤリと笑っただけでした。

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