現代では「あはれ」も「おかし」もまったく違う意味なのと、文化的なものが違うのでしょうがないのかもしれません。
しかし、その上でも一人の女性の立場で紫式部先生は書かれたのではないでしょうか?世情というのとも、様式美というのとも違う、世の儚さ、理不尽さを踏まえ、こうした表現をされたのではないか?
そして、そんな意を汲み取り、後世の人が哀れ、憐れという意味を置き換えたのではないか?と勝手に想像してしまうほど、あわれなお話だと思います。
作者からの返信
この『哀れ』な物語を女性の紫式部センセイが書いていらっしゃるということですよね。
メインテーマとしては仏教思想に基づく「世の無常」や「世の儚さ」と言いますが、「女性の哀しみ」も物語の根底にずっと流れている伏線ですよね。
そうですね、叶さんがおっしゃるように、時代を経て「あはれ」な出来事を「あわれ」に想うようになり「哀れ」「憐れ」という意味に派生したのかもしれませんよね。
お気の毒でなりません。
源氏物語を読んでいて時々思い浮かべるのは、キルギスなどでいまだに残っていると言われている『誘拐婚』です。
前もってお互いの気持ちを確かめ合って、儀式としてする場合もありますが、男性側の一方的な気持ちで本当に『誘拐』されてしまう女性も多いようです。
しかも男性側は家族、友人で話し合って計画を立てて『誘拐』をゲームのように楽しみ、周りで見ている人たちも誘拐婚なら仕方ないか、って誰も助けてくれないようです。
もう女性にとったら恐ろしい風習ですよね。
他に付き合ってる人がいようと、婚約者がいようと誘拐したもの勝ちみたいな感じだそうです。
そして男性たちは悪いと思ってないのですよね。
罪悪感がないというのが一番恐ろしい。
「あはれ」で済ましてもらっては困りますよね。ほんとに。
作者からの返信
『誘拐婚』初めて聞きました。
まだまだ女性の尊厳が顧みられない社会もあるのですね。
『誘拐』がゲームなら略奪成功の時点でゲームオーバーなのでしょうか?
その後は結婚生活は続くのかしら?
男子は一応好意を持っている女性を『誘拐』しようとするのでしょうか?
その後、彼女を責任もって幸せにするのでしょうか?
なんとも滅入ってしまう風習ですね。
「罪悪感がない」
本当ですね。
女性は人形ではなく、心を持った人間なのに。
自分の方を向いてほしいのなら、心を砕いて自分を理解してもらって相手を想いやってあげないと。
相手からも「心から」好きになってもらわないと。
となると、あの手この手で女子を口説きまくった源ちゃんがまだマトモに思えてきました……。あれ??
髭黒や柏木やにおちゃんはアウトです。
ライオンちゃん、とっても「あはれ(感慨深い)」なコメントをありがとうございます。教えてくれてありがとう。
こんな「哀れ」な社会制度が早くなくなってほしいですね……。
当時は女性が、本当に肩身の狭い思いをしていたのでしょうね。今はそんなことない……とはいえ、中にはまだ男の方が上位なんて思っている、前時代的考え方の人も少なからずいるのですよね。古い考えは、早いとこ改めた方がいいですね。
におちゃん、「なんとあはれな」って言ってる場合じゃないよ。これが現代だったら、ネットで叩かれて脅迫文が届くよ(-_-;)
作者からの返信
逆に女性優位で男子の立場やメンツがズタズタなんてこともありますけれどね💦
どちらが上ということでなく、そして同性同士でも、家族や友人同士でも「人」という字のようにお互いが同じくらいの比重でもたれかかり支え合う関係が理想かなと思います。
におちゃん、現代ならネット炎上で記者会見ものですよね。
脅迫文だってカミソリ入りレターだって届くでしょうね(;^_^A
こんばんはです(´▽`*)♪
背ご用意させていただいたハリセンを、出動させていただいてもよろしいでしょうか。問答無用でパシパシパシパシとっ。
作者からの返信
なんでもかんでも「あはれ」で片付けるなーー‼️(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
スペアのハリセン1ダースほどご用意いたしております。
どうぞお心ゆくままにブンブンなさってくださいませ(^_−)−☆