驚異の部屋 収蔵品目録

笛吹ヒサコ

目録番号001 ピエロのお面

 ボクの人生は、ひどく単調で無味乾燥だ。

 見えるものすべてが精彩を欠いていて、肌で感じるものすべてが冷たい無機質――なんて書けば、とても文学的で詩的な表現力豊かなやつだと、思われるかもしれない。

 実際には、色彩も、臭いも、味も、音も、ヒトのぬくもりも、すべて正常に感じることができる。

 ただし、ボクのイレモノが感じるだけで、ボクのナカミは正常に感じてくれない。

 なにも感じないとか、厨二臭い話ではなく、すべて憂鬱でよそよそしくも鬱陶しいと感じてしまう。

 もちろん、生まれつきじゃない。

 もし、他のポジティブな感情を体験していなければ、憂鬱とか感じることもなかったかもしれない。

 人並みに、楽しいとか、嬉しいとか、幸せだと、最後に感じたのは、そう、あの日の遊園地だ。


 まだ、パパやママ――大人たちと手をつないでいた幼いボクにとって、遊園地はまさに夢の国だった。


 初めはおっかなびっくり真上に伸びる手綱にしがみついていた青い目の白馬は、柵の向こうで手を振るママを見つけた時には、ボクは小さな白馬の王子さまになっていた。

 大きなポットの周りを、グルグルと回る大きなコーヒーカップは、目が回ったけど、それが楽しかった。パパの笑い声が、していたからかもしれない。

 笑いながら悲鳴を上げている人たちを乗せた鋼鉄のドラゴンは、ボクにはまだ早いとパパに言われてしまったけど、すぐに花の味がするソフトクリームをママがくれたから、残念がる暇もなかった。


 ボクにとって、遊園地はまさに夢の国だった。

 そう、あいつに会うまでは。


    どうしても、思い出せない愛称も、ふうせんもらっておいで」


 デブのピエロが持っている大量の風船を物欲しそうに見ていたボクに、そう言って背中を押してくれたのは、パパだったのかママだったのか、もう思い出せない。

 ボクは、絵本から飛び出したような色とりどりの風船の塊が欲しくて、デブのピエロに駆け寄った。


「ふうせんちょうだい」


 デブのピエロの元から笑っている真っ赤な大きな唇が、さらにニッコリと――どこか滑稽に笑った。

 怖くなった。

 けど、それはほんの一瞬のことで、デブのピエロはたくさんの風船を全部ボクにくれた。

 ボクの体よりも大きな風船の塊を手にできるなんて、まさに夢のような出来事だった。




 だから、




 だから、ボクが――幼くて素直で正直なボクが、歓声を上げたのは、ごく自然なことだったと思う。


「うわぁ、ゆめみたい」


 風船をボクに手放したデブのピエロが、滑稽なお辞儀をする。


「これは、夢だよ」


 聞いたこともないほど単調で抑揚のない声に、ボクは風船を繋ぎとめていた紐を手放してしまった。


「あっ……」


 と、こぼれたボクの声も、驚くほど感情がこもってなかった。


『これは、夢だよ』


 ボクを王子さまにしてくれた白馬も、ボクたちを回してくれただけのコーヒーカップも、いつか乗ってやると心に誓った鋼鉄のドラゴンも、全部よそよそしくなってしまった。


『これは、夢だよ』


 パパとママが、すぐ近くからボクを呼ぶ声も、愛情が感じられない。


 目の前にいたはずのデブのピエロは、いつの間にか影も形もない。


 そんなことはどうでもいいくらい、ボクのナカミはどうかしてしまった。


『これは、夢だよ』


 ああ、そう。ボクの喜びは、マガイモノだったのだと、言葉にはできなくても、理解してしまった。


『これは、マガイモノだよ』




 あの日から、ボクの人生は、ひどく単調で無味乾燥だ。

 そんなこと、知られてしまったら、パパやママを困らせてしまう。

 だから、ボクは周囲のヒトを手本に、仮面表情を作る。

 それだけで、ボクは人生を何一つ問題なくやり過ごしていく。


 今も、可愛いと噂されていたカノジョと、あの日の遊園地でデートしながら、ボクはただカノジョが望むカレシを演じている。


「ホント、楽しいねぇ」


 興奮しているカノジョにふさわしい仮面をかぶろうとして、やめた。





「これは、夢だよ」

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