天使×アンダーグラウンド

りす

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 ここは地獄か?


 衝突する人々。飛び交う叫び。

 滲む血、ほとばしる汗、そして涙。


 本当に、こんなところが………人間界?


 いやいやいや。おかしいだろ。

 特に此処『日本』は戦争のない平和な地域だと、『人間現代史』の教科書にばっちり書かれているではないか。

 何なんだ、この『お客様』などという輩どもは。どいつもこいつもハイエナのような目をしやがって。農耕民族なんだろ?


「いらっしゃいませ」

「ご進物ですね。熨斗のし紙はご入用ですか?」

「こちらのご進物を17点ですね。在庫を確認してまいります」

「申し訳ございません。ただいまご用意いたしますので」

「お決まりのご順番でお伺いしております。今しばらくお待ちくださいませ」

「お次にお待ちのお客様」―――…………


『販売員』が『お客様』の『要望』に応え『商品』を提供、『お客様』にご満足いただく、とか何とか言いながら結局は『売上』、金を得ることが最重要目的の『接客業』。

 そう聞いていた。

 要は、『金』だろ? 近頃の人間は金が大好きだもんな。要するに、売ればいいんだろ? 簡単じゃないか。そう思っていた。

 そりゃあ大変なこともあるだろうけどさ。仕事だろ、大好きな金をもらえるんだから、簡単に文句言うんじゃないよ。

 確かに、そう、思っていた、が!


「わたしが間違っていた」

 腰の角度は90度。両手をスラックスの縫い目に沿わせ、指先まで伸ばす。バックヤードではまず用いない、最敬礼である。

「なになに、どうしちゃったの?」

 ノリ、軽っ。しかも今ちょっと笑ったよな? 人が頭下げてんのがおかしいってか。人じゃないけど。ええい、この態勢やめ!

「彼らは簡単に文句を言っていたわけではない。相応の理由があったのだ」

 態度と姿勢を一変させることにした。背筋を正して両腕を組み、不機嫌丸出しの視線をくれてやる。こうすれば、座りながら話す兄貴はわたしに見下されるしかない。妹の訴えを笑った罰だ。ざまあみろ。

「だから、どうしたのさ。ジュリが反省するとこなんて初めて見るよ、おれ」

 あれ? まったく気にした様子がない。拍子抜けというか、敗北感。

「反省じゃない。分析だ」

「それはどっちでもいいけど、敬語使ってくんないかな〜。店では一応、上司と部下だし。店長にタメ口聞く新人なんて、他の子からの印象も悪いよ?」

「誰にどう思われようが構いません」

「文句言いながらきっちり敬語にしてくれるあたり、良い子良い子だけど。さすが、おれのジュリエットだ」

 ぐりぐりと頭を撫で回される。誰があんたのだよ。気色悪い。

「店長、『セクハラ』で訴えますよ」

「ひどいな。兄妹間のふれあいじゃん」

「ほざけ」

 上司と部下だとか言ったばっかだろが。


「だいたい何なんだここは! 地獄かよ!」

「人間界だよ」

「空が見えないぞ! 窓すらないし! 地下牢か! 幽閉されてんのか!」

「だから、デパ地下だってば。何回か言わなかったっけ」

 5回は聞いた。それでも納得できないから主張を続けているんじゃないか。

杏樹屋博臣あんじゅやひろおみ』――。

 創業300年の老舗和菓子店、。かつて都として栄えた『京都』が本拠地だが、近年は全国展開も積極的。現在の首都『東京』には3店ほど出店していて、その中の一つがここ。ボスはうちの変態兄貴。

 ここまでは下調べの段階で理解した。知識の準備は万全だった。しかし!

「わたしは天使だぞ。人間相手にへりくだる必要がどこにある」

「へりくだるわけじゃないよ。あと、天使とか人前では言わない方がいいと思うな。どうしても言うんだったらおれに一声かけてね。録画するから」

「は、録画? なんで」

「天使を自称するなんて、めちゃくちゃ痛い子じゃん。そんなジュリ見たすぎるじゃん」

「変態兄貴が……」

「シスコンって言ってよ」

 それでいいのか。蔑称に変わりないだろ。

「ほら、言うじゃん。郷に入りては郷に従え。この仕事はチームワークが命なんだからさ。頑張ってよ」

「ふん、知るか」

 人間のルールは人間が守ればいい。天界生まれ天界育ち、生粋の天使である私の知ったことじゃない。チームワーク? 誰が、人間なんかと。願い下げだ。

「でもさ、やりきらないと天界に帰れないだろ?」

「………………………」

「実技やらなきゃ、卒論も書けないもんな。それとも開校以来初の留年者になる?」

 それは絶対に従うべしと定められた、ルール。天使たるもの、天界のルールは守らなければならない。

 カレッジを卒業し、天使が天使たるための白くて神々しい翼を授かることは、世界の秩序と安寧を護る一人前の天使となるための基盤にして極めて重要な過程なのだ。

 なのだ、けれど。

「………だって……」

 もちろん頭ではわかっている。わかっているさ、嫌ってほどな!

 でも、理解しているのと行動に反映させられるのとは、時として全く別の話だ。


「だって人間とか、よくわからんもん……」


 絞り出すような声とはこのことか。しかも尻すぼみ。今のが自分が発したものだなんて、信じたくない……。

 あまりの情けなさに、わたしはがっくりと項垂れた。両手両膝を床について、四つん這いのように。それを引き金に、わたしへ向けて影が被さってくる。

「ジュリっっ!!!」

 細身ながらそこそこに鍛えられた身体で抱きつかれる。筋肉のせいで固いわ痛いわ、力の限りで容赦ないわで、いっそ拷問? 小さい頃じゃれあってたのとは一切合切勝手が違うのだと、何度言ったらわかるんだ。

「さっすが、おれの妹! ん〜、ジュリは本当に可愛いなぁ」

「やめろ、くっつくな気色悪い、この………シスコン兄貴ぃっ!!」

 くそ、迂闊。こいつを前に弱みを見せるなんてペガサスの顔面に人参ぶらさげてるようなものだというのに。

「永遠に、おれだけのジュリエットでいてくれな!」

「おまえだけのわたしだったことは、一瞬もないからなっ!」


 この日、わたしの人間界生活は幕を開けた。……不安しかない。

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