満月の時間

 外食前にお腹を空かせるために、愛のキャッチボールでもしないかとサリーが言ってきた。

 このサリーの粋な提案にも、あわよくばボイトレでカロリー消費を狙いたかったパピコは難色を示したが、夜ということもあって、しぶしぶそれで手を打つことにした。

 サリーがふいに往復ビンタをしてきたので、理由を言えとパピコが噛みつくと、顔を正そうと思って、と涼しい顔で言われた。彼にとっては蚊を叩いたのと変わらないらしい。


 家から公園までの夜道、サリーがさらっとパピコの手を繋いできた。

 パピコは久しぶりにきゅんとした。


 秋の初めを感じさせる空気も、アパートの前を通ったとき、カレーの匂いがしたことも、二人でしかわからない独特な表現で確かめあった。


 公園のベンチに腰かける。


「パピコ」


 大好きな人が、いとおしそうに自分の名前を呼んでくれることに、パピコは幸せを感じた。


「ん?」


 上目遣いという女の武器を使って、パピコは物欲しげに愛しい人を見上げる。


 これはチューの展開か!?


 しかし、サリーの行動はパピコの想像を超えてきた。


 目を薄めて時を待っていたパピコの目には、何やら力み始めているサリーが飛び込んできた。


「どうしたの?」


 体調でも悪くなったのかと、パピコが思わずサリーの体に触れると、ものすごい勢いで振り払われた。その力は野獣そのものだった。


「なになになに? 怖い怖い怖い!」


 まさかと思い空を見上げると、満月だった。


「そんな、嘘でしょう?」


 パピコはひどく狼狽した。

 愛しいマッチョの正体が狼だったなんて。

 サリーと出会った頃から今のマッチョに至るまでが走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

 サリーが同じ人間だと勝手に思い込んでいたぶん、違ったのはショックだったが、彼が狼に完全変異した時は、「きれい・・・」と言おうと、力むサリーを見てパピコは決心した。


 サリーは初めてパピコに会った瞬間から、「なんて可愛いんだ!」と温かい言葉のシャワーを浴びせてくれた。

 こんなに脂肪を蓄えてしまった、醜い私に。

 彼は初めて、私にホットな言葉をかけてくれた。

 今度は私が返す番だ。彼がどんな姿になろうとも、温かい言葉のシャワーをかけてやるんだ。

 パピコは出産に立ち会っているかのように、固唾をのんで見守った。


 だが、待てど暮らせどサリーは変身しない。

 短気なパピコは、つい、「まだ?」と聞いてしまった。

 掟破りだろうけど、許されるだろうと思えた。

 体内時計ではすでに30分はたっているように思えたからだ。


「だめか」


 サリーが疲れきった表情で呟く。パピコはハンカチで汗を拭いてやる。


「失敗したの?」


 パピコはドキドキしながら聞く。


「今日は調子が悪いみたい。昨日はできたのに」


「昨日できたの!? いつの間に」


「お前がバイトの間、練習してた」 


 なるほど、狼に変身するには練習がいるのか。

 ということは、サリーもまだ慣れてないのかもしれない。

 だが練習さえ重ねれば、満月でなくとも変身することができるようになるらしい。パピコは頭の中を整理する。30分前よりは、冷静に考えることができる。


「これ、無駄になっちまったな」


 サリーはリュックの中のポロシャツを取り出した。着替えらしい。


「キャッチボールしよっか?」


「もういいや」


「そうだね」


 二人は公園を後にする。

 パピコはサリーの手を握る。

 大丈夫、私はこの人が大好き。この人の正体が何であれ、世界一愛しいパートナーであることには変わらない。


 でも、できればチワワよりの可愛い狼希望!!!!


 パピコは横目でチラチラサリーを伺いながら、そう願わずにはいられなかった。そうにちがいないと信じて、キスも受け入れた。




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