暴走する時間
大学で朝一に行われる発声練習中に、パピコが倒れた。
パピコが目を開けたときには、自分の部屋のベッドで横になっていた。
「サリー、どうしたの?」
朦朧とした意識の中でも、サリーの様子がおかしいことは、パピコの耳が聞き逃さなかった。
いつもはシンバルを叩くように洗濯物をはたくサリーが、まるで何かのおしおきでもしているかのように、ベランダで洗濯物をはたく音を立てていたのだ。
「サリー、だいじょうぶ?」
パピコはさっきよりも大きな声で声をかける。起き上がってみたが、頭が重い。
パピコの声に気づいたサリーが険しい顔で中に入ってくる。そしてベッドの脇に来て、鬼気迫る表情でパピコに迫った。
「パピコにとって、俺ってなに?」
世界一愛おしいヒモ。だけど、美しく例えるならば、
「メトロノームよ」
サリーは細い腕でギュッとパピコを抱きしめた。トリルを弾くように細かく震えているのがパピコに伝わってくる。
「役立たずのメトロノームだよ。とっくに止まってた」
「後ろ向いて」
パピコはサリーの背中でハンドルを回す仕草をする。
「これで大丈夫」
メトロノームを巻き終えると、メトロノームの背中をぽんと押した。
「パピコ・・・」
サリーは食事のリズムを、朝、昼、夜と炭水化物のリズムを整えてくれているのだが、今朝の朝食に炭水化物が入っていなかったらしい。それが原因で自分が倒れたことを、パピコは悟った。
高みを目指しているヒモが愛おしくなり、パピコは思わずサリーの髪を撫でていた。
サリーが目を伏せる。こんな角度で見せつけられると、長いまつ毛にも手を伸ばしてしまうでしょう?
「もう治ったんだから、昼ごはんにしよ?」
早く支度してくんなきゃ、このご自慢のまつ毛引っこ抜くよ! パピコはお腹がすいてくると、乱暴な顔を覗かせる。
「パピコを送ってきたやつ、ゆるさん」
サリーのまつげに触れたパピコの手が、ピクッと止まる。
「え?」
「あいつ、お前をお姫様だっこしてきやがった。数人がかりじゃなくて、たった一人で、たった二本の腕だけでお前を支えるのを見せつけてきたんだ。俺ができないことをあいつは・・・お前を最初にお姫様だっこするのは、俺だって決めてたのに!」
初めて聞くサリーの野望に、パピコはうっすら感動を覚えた。
「決めた」
「え?」
「俺、筋トレに生きる」
「そっか」
いいから早く飯を食わせろ!!!
サリーの野望を聞いたところでパピコの腹は膨れない。
感動を覚えてもそれとこれとは話が別だ。
だがサリーはまだいいたいことがあるようだった。
パピコは下を向いて空腹によるストレスを凌ぐ。
「パピコ?」
サリーがパピコの手を取る。
「大丈夫、続けて?」
「俺、筋トレに生きる」
うん、そこまでは聞いた。パピコは、サリーの手をぎゅっと握り返して、空腹で朦朧としてきた意識を保つ。
「だから、家事は頼む」
「へ?」
ふいをつかれ、パピコはサリーの手をパッと離してしまった。
「もちろん、協力してくれるよね?」
パピコはベッドに倒れこんだ。すると上からキスが降ってきた。
「腕枕も、俺が出来るようにがんばる」
遠のく意識の中で、サリーがパピコの耳元でそう囁くのが聞こえた。
腕枕はいつもパピコがする側だった。
ダンベルは持たなくていいから。
フライパンさえ握ってくれればいいの。
パピコは声にならない声で言う。
「サンキュー、パピコ」
応援されたと勘違いしているサリーの暴走を止めるには、炭水化物が足りなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます