第11話 中二病コンビの推察
「……面白い。不思議」
と、あまり感情を表に出さない椿が珍しく心底感心しているような表情を浮かべて呟いた。
国道を歩き始めてからすでに三体のゾンビと遭遇していたが、そのどれもが刺又の先端に貼り付けたドーマンを近づけるだけで離れていく。力ずくで刺又で押し返してやることもない。
姫は言葉少なにも魔除けの印の効果をしみじみと感じている椿を、勝ち誇ったように満面の笑みで見ていた。ただ別に彼女に謝罪を求めようとも、勝利の宣言をする気など微塵もない。ただ祖母が伝えてくれた魔除けの印が、こうして実際に効果があると第三者の手により客観的に改めて確認できたことが嬉しかった。
やがて二人の前に霧の中から現れたのはホームセンターの建物だった。
「あれ、もしかしてここってこの前のところ……?」
「そう」
「またここに入るの?」
「近くにはここしかないから。それに、もう一度見たかった……」
「見たかった? なにを?」
「店が焼け落ちてしまったのかどうか。この前火をつけたから……」
「はあ!? あ、あんたも無茶をするわねえ。でも、まあ、あの場合は仕方ないと思うけど……。けどあいつらがまだ居たらどうするのよ!?」
「……たぶん、もう居ない。大丈夫」
と、呟いて椿は入り口に向かってすたすたと歩いていくので、姫は仕方なしに後を追いかけた。
「たぶんってあんたねえ!」
椿はシャッターの影に身を隠して中を覗き込み、人の気配が無いのを確認すると、懐中電灯を手に薄暗い店内へ入っていった。姫がそろりそろりとリヤカーと一緒にそのあとに続く。
そして姫は店内に入ってすぐに床が水浸しになっていることに気付いた。
「床が水浸しになってるわ……」
「それはスプリンクラーの水。あの時はまだ照明も点いていたから、防火装置がきちんと作動したんだと思う……」
「まさかそこまで計算して火をつけた――て、わけないよね?」
姫のその質問に椿は答えず、とっとと前を歩いていく。そしてぐるりと店内を一周してリヤカーに載ったものと言えば、ハシゴ一つとジェットタイプのヘルメットが四つにロープ、あとは姫が始めて見るような工具や部品だけだった。時間にしてわずか十分ちょっと。
「へ? もう終わり?」
危険な目にあうのは勿論嫌だったが、せっかくここまで来た割には肩透かしもいいところだった。それに肝心のお風呂が解決していない。姫が不満そうにそのことを告げると、
「この間よりもかなり商品の数が減っているから、あまり長居はしないほうがいいと思う」
と、椿は一段低い声音で周囲を警戒するように囁いた。それを聞いて姫は思わず中腰になって商品棚に身を隠すと、強張った表情で椿に詰め寄った。
「あ、あいつらがまたここに戻ってくるってこと!?」
「この間の奴らかはわからない。もしかしたら他の生存者かもしれないし。でもその生存者が優しい人間かなんてわからないから……」
その言葉に姫は唾を飲み込んで頷いた。
「そ、そうね。早くここから出ましょ……」
次に二人がやって来たのはホームセンターから二百メートルほど離れたところにあるガソリンスタンドだった。
ここは国道沿いでも田んぼとガソリンスタンドしか建っていないエアポケットのような場所で、元々見晴らしがよく風通しがいい為か常に霧が風に流されていて、その為に視界がクリアとなって十メートルほど先まで見渡せる。
「ねえ、今度はこんなところに来て何する気よ?」
姫のその疑問も、敷地の隅に置いてあった数本のドラム缶に近寄っていく椿の後ろ姿を見て理解できた。
「ああ、ドラム缶風呂ね! でもガソリンとか入ってるんでしょ、汚くない?」
「洗剤で洗えば大丈夫」
椿は一本ずつドラム缶を揺すって中身が空かどうかを確認しようとしたが、全ての缶のキャップが外されていることに気付いた。恐らく中身はもう全て抜かれてしまったのであろう。
椿が傍らに置いてあったドラム缶用の二輪リフトで空のドラム缶を挟んでいると、どこからともなくこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。それも一人ではない。恐らく二人はいる。
椿と姫ははっと顔を見合わせると、弾かれたようにサービス棟の裏側へと走った。当然リヤカーとリフトは残したままだ。
二人が物陰に身を隠して足音が聞こえる方向の霧を息を殺して凝視していると、姿を現したのは二十代半ばくらいのカップルだった。二人とも背中に大きく膨らんだデイバックを背負い、両手に旅行カバンを持っている。どこかへ逃げるのか、それともどこからか逃げてきたのか。
二人は慌てた様子でガソリンスタンドの前の歩道を通り過ぎて行くと、また霧の中へと消えていく。
その様子を息を呑んで見守っていた姫は、二人の姿が見えなくなると同時にほっと息を吐いた。安心感からか全身から力が抜けて、その場にしゃがみ込んだ。
しかしすぐに女性の切り裂くような悲鳴が聞こえてきて、身体をビクンと弾かせた。
さっきのカップルが消えた方角から、男の名を狂ったように何度も呼ぶ女の声と、ヒステリックに喚く男の声が聞こえてきて空気をびりびりと震わせたが、やがて全ての音が消えて辺りは何事もなかったようにしんと静まり返った。
姫はやり切れないように耳を塞いでうな垂れた。しかし椿が何食わぬ顔でドラム缶の方へ戻ろうとしたので、姫は思わず彼女の手を掴んでいた。
「ち、ちょっと待ってよ……!」
腕を掴まれた椿は無表情で「ドラム缶のとこへ戻らないと」と、事務的な口調で呟く。
「す、少しでいいからちょっとお話しない……?」
薄らと涙を浮かべて懇願する姫の姿に、椿は困惑したように固まったままの状態でしばらく姫を見下ろしていたが、やがて遠慮がちに静かに隣に座った。
「そ、そうだ。乙葉ちゃんがお茶を持たせてくれたのよ。飲むでしょ?」
椿がこくりと頷くと、姫はショルダーバックから水筒を取り出して蓋と内蓋にお茶を注いで、そのうちの一つを椿に手渡した。
そうしてしばらくの間、無言のままお茶を啜っていた二人だったが、やがて姫が耳まで真っ赤にして笑っているのか引きつっているのかわからない顔で口火を切った。
「あ、あのさ、あんたとはここ数日間いろいろあって酷いこと言ったり言われたりしたけれど、とりあえず今はその事はお互いに水に流して聞いてほしいんだけど、あれ、どう思った? 出来たら素直な意見を聞かせてほしいんだけれど……」
「あれ……? ドーマンセーマン?」
「そう! あ、でも別に私が正しかったとかそういうことじゃないから。そういうことを言いたいんじゃなくて、その……理屈を説明しろって言われたら困るんだけれど、私はゾンビの発生はこの霧が原因だと思ってて、ていうかそれでほぼ間違いないはずで、だけど私はドーマンセーマンが効くのも実はこの霧のせいなんじゃないのかって……言ってる意味わかる、かな……?」
「……全然」
と、即答する椿。
それを聞いて姫の顔が恥ずかしさで毛穴から出血しそうなほどに真っ赤になっていき、ひくひくと引きつる頬を唇を力一杯にかみ締めることで抑えようとしている。
「というのは嘘。実は私にも思い当たる節はある。上手く説明できないけれど……」
それを聞いて一転、姫の顔にぱあっと花が咲く。
「そ、それってどんなの? 絶対バカにとかしないから聞かせて、お願い!」
「……この前のホームセンターで。ううん、正確には街が霧に包まれてから。妙に思考がクリアになったと言うか、集中力が高まったというか……身体もよく動いて、自分が自分じゃないみたいで……」
「一緒よ! 私もそう。なぜかドーマンセーマンが効くと思えて信じて疑わなかった。なにかおかしいの。普段通りの自分のはずなのに、思考が自分と違うというか。でもそれはちゃんと自分自身だって確固たる自信があるっていうか。決して極限状態で疲れているからじゃなくて、なんか、その、脳みその中からもう一つの新しい脳みそが出てきたみたいって言ったらわかる?」
「自分がどんどんアップデートされていくみたいな?」
「そう! まさにそれ!」
「それがこの霧と関係あると……?」
「思わない……?」
椿は腕を組んで目を閉じてしばらく考え込んだ。
「……ずっと火事場の馬鹿力だと思っていた。極限状態のアドレナリンのせいであんなに身体が動いたんだって。確かに私はずっとナイフの扱いを練習していたし、格闘技もすこしだけ齧っている。でも相手の蹴りをほとんどガードできて大怪我をせず、更に動いている標的に百発百中で六本のナイフ全てを刺せるほどのスキルじゃないことは自分自身がよくわかっている。でも実際には違った」
「ううん。それで合ってる。基本はその火事場の馬鹿力なのよ。でもこの霧が馬鹿力にドーピング作用の役割を果たしているとしたら? そうしたら私たちが漠然と抱いているもやもやとした疑問に説明がつくと思わない!?」
「ドーピング作用……」
椿の黒目勝ちな瞳の奥で微かに光が揺れた。
「……うん、その考えは興味深い。この話を知ってる? 日本が霧に包まれる前に海外からの情報で、霧の中では死んだ人間は無条件にゾンビになるって。別にゾンビに噛まれていなくても病死や交通事故死、自然死でもゾンビになってしまうということは、すでに生きている人間のなかにゾンビ化を促すなにかが霧を媒介して侵入しているってことなのかも……?」
いつしか椿も姫も熱を帯びた目で、互いに正面から向き合って話に夢中になっていた。
「そうね。そしてその何かは死んだ人間をゾンビにしてしまうのと同じように、生きている人間にも何かしらの影響を与えているとするならば……?」
「卵か先かニワトリが先かの話じゃないけれど、霧には死者を甦らせるバクテリアか何かが含まれていて、霧の中で死んだ――正確には霧を吸った人間を無条件に甦らせてしまう。しかし霧を吸ってもまだ生きている人間の体内にあるそれは、ゾンビを前にした人々の恐怖だとか生存本能にも反応して、死者が甦るという生命の常識を覆すのと同等の作用をもたらしている? そしてゾンビに対抗できる能力が身体の中で生まれつつあるってこと? いや待って。そもそも死ぬ間際だって人は死にたくないと思うはず。霧の中に含まれる何かはそうした人の思いや精神状態に反応してゾンビが生まれたのかもしれない……」
「それを聞いていま思いついたんだけれど、例えば今回みたいな大きい隕石で地球規模の霧じゃなくても、もっと局地的な狭い範囲では昔から同じようなことが何度か起きていたと考えられない? それが時が経つにつれて中国のキョンシーの言い伝えや、宗教者の奇跡に形を変えていったとしたら。ドーマンセーマンにしてもそう。人間はゾンビとの戦い方をすでに編み出して知っていたのよ!」
「そういえばNASAが数十億年前の隕石からDNAの基となる化学物質を発見して、地球の生命の源となった物質は宇宙からやって来たって説を読んだことがある。今回の隕石が原因の霧の中にも、まだ人類が知らない未知の物質が含まれていたとしたら。もしかしたら私たちは人類進化の転換期に立ち会っているのかもしれない……!」
椿は湧き上がる興奮を抑えきれないという感じで、深く息を吐くと頭を抱えた。そんな彼女の姿を見て、姫は満足そうな笑みを浮かべた。
「やっぱりあなたに話して正解だった」
「え……?」
「だって私とあなた、どこか似ているって思ってたの。それにこんなバカげた話、まどか先輩に話しても鼻で笑われるに決まってるわ。乙葉ちゃんにも身体の変化とかなにか気付いたことがないか、それとなしに聞いてみたんだけれど全然ピンときてなかったし。もしかして私一人だけの勘違いなのかと思ってた」
「それとも生きている人間に効果が表れるにはなにか環境とか条件とかがあるのかもしれない……」
「先輩にも聞いてみる?」
「どうだろ、先輩は優しいけれどのん気なところがあるから。それにまだ推測の域を出ていないから、もう少しはっきりとした確証を得てからのほうがいいと思う」
「そうね、私もそう思う。じゃあしばらくは二人だけの秘密ってことね」
姫はニコリと笑うと、すっと手を差し出した。
「これから私のことは姫って呼んで。私は――椿でいい?」
「う、うん……」
椿は伏し目がちにためらいながらも、その手を握った。
5月12日 火曜日 記入者 花城まどか
物資の調達に出かけた椿ちゃんと姫ちゃんの二人は、日が沈む前には無事に帰ってきた。
そのあとで持ち帰ったドラム缶の洗浄と、花壇の仕切りに使っていたレンガを利用しての簡単なかまど作り。ドラム缶風呂は井戸の横へ設置する予定。一応霧のおかげで周囲からは見られる心配はないけれど気分的な問題で、お風呂は目隠し用のビニールシートで囲おうと皆から意見が。防災倉庫にビニールシートがあるのでそれを使おうと思う。
椿ちゃんと姫ちゃんの二人はすっかり打ち解けたみたい。今日出かけた時に、なにかあったのかな?
とにかく仲が良いのはいいことだ。
5月13日 水曜日 記入者 花城まどか
朝から再三のドラム缶洗浄を繰り返したおげで、念願のドラム缶風呂は正午すぎに完成!
さっそく入ってみようと言うことで、みんなで順番に入浴。はぁ極楽極楽。ほっこりとしていい気分。
そのあとで、椿ちゃんと姫ちゃんの二人から、毎日一時間だけの外出許可を求められる。
理由を聞くと、物資を少しずつ集めるのと街の様子やゾンビの生態を観察したいとのこと。
前者はともかく、後者が引っかかってOKしていいものか迷ったけれど、二人の熱意に推されて許可することに。
もしもこれで二人が危険な目にあってしまったとしたら……そう考えると、気分が落ち込んだ。
そして何か隠しているような二人の雰囲気も引っかかる。
神様、このままみんなが無事に過ごせて平穏な毎日が送れますように……
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