87話 再来。それこそが
ネコ族の商人ファントに案内されたのは、工房のさらに奥だった。明かりのない階段を下って土壁の小部屋に足を踏み入れる。
小部屋には先客がいた。小太りの男――魚人族ダフネである。彼は全身に汗をかきながら、ヒト一人分はあろうかという布の包みを引き摺っている。
「あ、ファントくん。……その人」
「そっちは終わったかにゃ? いい加減詰めないと、集荷に間に合わない」
「うえ、だって重くて……」
泣きごとを洩らすダフネに、ファントは蹴りを入れる。軽く抉るだけの、大して痛くもなさそうな動きだというのに、魚人族は大袈裟に悲鳴を上げてみせる。
漫才を横目に、カーンは布の包みにこびり付く魔力の残滓に目を止めた。
「例の襲撃者はここで作っているのか」
「ええ。ただ、これだけの大きさの『ホムンクルス』となると、上の小人とは比べものにならない難しさでしてね。これも失敗したものなんですよ」
ファントの靴先が、ダフネの引き摺る布包みを突く。包みの主は身動ぎ一つしなかった。
「うう、仕方ないじゃないか。そ、そもそもヒトの身体と魔力の親和性が高くないんだよ。もっと別の種族を連れて来てくれれば、あるいは――って思う、けど」
はとした様子でダフネが顔を持ち上げる。目線の先はカーンの後ろを探る。しかし目的のものがなかったのか、眉尻を下げた。
「今日は一緒じゃないんですね、あの子。……魔族でも神族でも、この際
「調達できなくはないけど……経費が掛かり過ぎてるんだよにゃあ」
ふとカーンは口を開く。
「魔力体を作っているのではなかったのか」
「ん? ええ、そうですよ」
何でもないように応じるのはダフネである。『ホムンクルス』の一人者である彼は今し方箱に収めた布の堤を撫でると、得意げに語る。
「魔力をその場に留めること、そしてその魔力に『知性』を与えること。これを同時に実行するのが難しくて。今は魂の抜けた肉体を間借りさせてもらってるんです。〈竜の瞳〉を、その名前の通り『目』として埋め込んでね。この〈竜の瞳〉の加工がまた厄介で――」
「全く、そうベラベラと喋るにゃよ」
「あっ、あ、ごめん、つい……」
「まあ、旦那は理解があるようだし構わにゃいけどさ。ねえ、旦那様?」
にたりとしてファントは釘を刺す。
『ホムンクルス』の製造法は未だ一般的ではない。彼らとの会話で得た情報が全て門外不出であることは、もはや不文律であった。
だがたとえ秘蔵の知識であろうとも、カーンの評価は揺るがない。ただ一言突き付ける。
「期待外れだな」
「旦那様、『ホムンクルス』に関する技術はこれが限界です。現状――量産体制を目指す現状においては」
「この程度では到底役に立たない。肉壁がいくら増えたところで、濁流を遮ることすらできないだろう。お前たちは何を目指している?」
何を、そう反芻しながらファントはダフネに視線をやる。するとダフネはきょとりと目を丸めたまま、
「ボクはただ、より質のいいものを目指してるだけです。いち研究者として、これは当然でしょう? 兵器として使われようが、愛玩されて打ち捨てられようが、ボクは関係ない」
嘘偽りのない、心の底からの声であった。自らの興味を探究するその姿は、研究者として模範であり理想であった。
「ボクとしては逆に気になりますね。カーンさん、あなたが目指すものとはどのようなものですか?」
「……かつて人神戦争で活躍した魔族の王がいた」
「魔族の?」
「再来。それこそが俺の願いだ」
その言葉を聞いた途端、ダフネは神妙な顔を作る。
「蘇らせる、ということですか。……死体は?」
「ない」
「となると、『ホムンクルス』の技術は使えない。難題ですね。……ふふ、死者蘇生かぁ」
呟くダフネは、恍惚の表情を浮かべていた。
「昔はボクも目指してたんですよ、死者蘇生。もうすっかり形骸化してますけど、幻想的ですよね。何て言うんでしたっけ、こういうの。そうそう『ろまんちっく』?」
「マジでキモイからその緩んだ頬、さっさと引き締めろよにゃ」
「あ……ごめんね、不快にさせて」
その時であった。地面が揺れ、天井から砂埃が落ちる。次いで微かにこだまする金属の音。
耳を澄ませずとも分かる、聞き慣れた音――地下室から続く空間で、戦闘が起こっているのだ。
「えっ、奥から? ……まさか」
「チッ、やっぱ気づくよにゃあ」
ダフネとファントは口々に言う。嫌な予感がした。
カーンは二人の間を抜けて、小部屋のさらに奥へと突き進む。
両側の壁に掘られた窪みはヒト一人が横たわれるほどの寸法。空気は淀み、ツンとした死のにおいが鼻につく。昨晩、主人が語って聞かせた地下墓地の景色そのものだった。
体感にしてほんの数秒。息すら切れない距離を駆け抜けると、蝋燭で明るく飾られた部屋に到着した。
まず目に入ったのは、大剣と槍を打ち付け合うオルティラと旅人アロイス。両者とも肌やら服やらに数多の傷を負ってはいるが、致命傷は避けているようだ。甘いじゃれ合いのようなものなのだろう。対する奥――カーンは激高した。
大男。その向こうには、今朝方別れたばかりの主人リオが吊り下がっていた。巨大な手に胸倉を掴まれ、ぶらぶらと揺れている。
「リオ様!」
肩越しにこちらを振り返るのは、魔族の男だった。漂うその香りは、昨日リオが纏っていたそれと全く同じだ。
この男が、カーンの目を盗んで接触した男。間違いない。
「おっと、眷属殿のお出ましか」
「カーン、来るな!」
よく見れば、まろい頬も黒羽のごとき頭髪も、真の魔族たる象徴も、全てが砂と傷に
「あっちの方が物分かりはよさそうだな。どうする、リオさん。あっちにも訊いてみるか?」
「やめろ、ブルクハルト……!」
「なあ、ご主人様を魔界に戻したくはないか?」
「やめろ!」
必死に叫ぶ主人の形相。それが大男に向けられていることに、強い苛立ちを覚えた。
「何を言い出すかと思えば。愚問だな」
魔族ブルクハルト。
彼が何をもって提案を口にしたのか――それはカーンの知らぬところだった。
故郷である魔界、そこに未練がないと言えば嘘になるが、同族が、己が主人の感情を一欠片でも享受していることが我慢ならなかった。
腰に差した剣を抜き放ち、魔族へと向ける。巨躯の男はやれやれといった様子で広い肩を竦めた。
「よせよせ、無駄な仕事を増やすな。お前さんといいリオさんといい、一体何が不満なんだ? 最上級の譲歩をしてやるって言ってんのに」
「主人を傷付けた輩に耳を貸すほど、俺がお人好しだとでも?」
「こっちの方が物分かりよくなかったわ。はー、ようやく見つけたってのに、勘弁しろよ」
ぶつぶつとブルクハルトは頭を掻く。
「お前、何が目的なんだ……戦争だの何だのと。なぜ僕たちに構う!」
「御身の価値を忘れるなよ、リオさん。人間界なんて不自由な場所で未だに
口角を持ち上げると同時にカーンは地面を蹴る。男の手から主人を奪い取り、ようやく戻ってきた温もりを胸に抱えた。
「リオ様、お怪我は」
「気にするほどでもない。……あいつ、レークトレードの使いか」
けほ、と一つ咳き込んで、リオは魔族を見据える。その目はかつてないほど冷たく沈んでいた。
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