75話 蕩ける感情
僕たち魔族も動物性の蝋燭は使う。しかし人間族とは違って、蝋燭は嗜好品としての色が強い。
魔力や魔術の扱いに長けている魔族は、光を確保する際に、主に〈明石〉を使う。〈明石〉は魔力を燃料として発光するため、余程のことがなければ光が絶えることはない。
そのような道具があるから、燃料に限りがあり、
「蝋燭? 蝋燭がどうしたの?」
「ニーナ、ちょっとだけ耳塞いでてくれる?」
有無を言わさずニーナの耳を折り畳む。
「死体から蝋燭を作り、それを大量に売り払った。だから蝋燭の価値の暴落と墓場泥棒には関連性がある――そう言いたいんだね」
全くありえない、という説ではなかった。ただ、あまりにも労力と対価が釣り合わないというだけで、実現としては可能である。
流石に幼いニーナに聞かせるべき内容でなかったから思わず耳を押さえたが、正解だったかもしれない。毛皮と化す未来を仄めかされたオオカミ族であるならばなおさら――。
どうやら僕たちの推測は当たっていたらしい。フと口角を持ち上げたオルティラは、踵を打ち鳴らしてこちらに背を向ける。
「さて、私は一旦失礼するよ。今夜の宿を見つけなきゃならん」
「ああ、そっか。チューネズ亭に泊まってたんだっけ?」
火災に飲まれた、傭兵たちの集う酒場チューネズ亭。建物自体は残っているものの、宿泊は不可能であろう。
ひらひらと手を振って遠ざかる背は、どことなく路頭に迷っているようにも見えた。
「僕たちの部屋、泊まる?」
■ ■
翌朝。
愛を囁く野鳥と喧騒に導かれ、僕の目蓋は持ち上がる。
潰れた枕を抱きかかえ、まどろみの中薄汚れた壁を眺めていると、ひょっこりと見慣れた赤目が顔を出した。
「おはようございます、リオ様」
「ん……おはよ」
「今日もよい天気ですよ」
僕が目覚めたのを見届けると、カーンはカーテンを開く。その瞬間、眩い陽が鼓膜を刺す。
つきりと痛んだ目を瞑れば、カーンがおかしそうに肩を震わせた。
「すぐに朝食を用意できますが、いかがいたしますか?」
「食べる……ちょっと待って……」
朝には弱い。ここ数年、特にその傾向はひどくなったように思う。
顔を枕に押し付ける代わりに、膝を立てて少しでも起きる意志を示すが、未だはっきりとしない意識はすぐに深みへと沈んでいく。
「もう少し寝ていてもよいのですよ」
「起きる、調査しなきゃ……」
そう、今日こそチューネズ亭のマスターから依頼された墓場泥棒の究明に乗り出すのである。昨晩はチューネズ亭の炎上やオルティラとの会談があって時間がなかったが、今は朝。時間はたっぷりとある。
起きる、起きると半ば暗示のように呟きながら、ゆっくりと身体を起こす。
ひどく重い。久方ぶりに庶民の宿特有の硬いベッドで眠ったからであろうか。
ピシリと軋む背を労わりながら、凝り固まった筋肉を伸ばしていく。
眠気眼のままぐるりと室内を見渡してみれば、そこには相も変わらず質素な寝室があった。
寝台は二つだけ。四角い天板の机に、種類様々な椅子が四脚。もともと二人用の借り宿だから当然と言えば当然なのだが、よくもこんなけち臭い泊まり方をカーンが許したものだと関心する。
ようやくはっきりとしてきた視界と意識で横――もう一台の寝台を見遣れば、そこには大きく膨らむ掛け布団がある。
大いびきをかくオルティラの腕を枕に、抱きつくように獣人が丸くなっている。
体格の関係上、いつもは僕の隣で丸くなっている彼女だが、やはり包容力のある人の胸の中で眠りたいのだろう。かといってカーンの横はカーン自身が許さないし、僕では包容力があるとはけっして言えない。
ニーナは己を大人と称するが、どうも自称と実情とが伴っていないようである。
「起きろ、お前ら。いつまで寝ているつもりだ」
「んあ? ……カーン殿ってば、朝から手厳しいなぁ。昨晩、あんなことやこんなことをした仲じゃないか」
「リオ様のご厚意に背きたいようだな」
まさしく氷点下の表情と声色でオルティラを見下ろすカーン。対するオルティラはというと、ニーナの毛と絡まった己の髪を軽く手櫛で梳かして大あくびを溢す。
「全く、相変わらず冗談が通じない御仁だこと。見た目と反して、案外
「俺が遊び呆ける雄に見えるなら、お前の審美眼も大したことないな」
「えっ、何々、売込み中? 宣伝してるの、カーン殿? 『自分は手つかずの優良物件ですよ』って?」
ここぞとばかりに捲し立てるオルティラ。
確かにカーンが優良物件であることには変わりない。料理はできるし優しいし強いし、何より忠実だ。裏切る心配がない。彼が相棒でよかったと何度思ったことか。
オルティラの“審美眼”、それはある意味合っている。もちろん僕の大事な相棒を貸し出すなんて真似、四肢がもげてもしないだろうけど。
魔族というものは、結構執念深いのだ。
「ほら、ニーナも起きて。ご飯だよ」
「チーズ食べる?」
「折角だし食べようか」
「じゃあ起きる!」
がばりと、寝起きだというのに元気よく跳ね上がるニーナは、ぶんぶんと尾を振りながらベッドの上で飛び跳ねた。寝汚い僕やオルティラとは正反対だ。
「ね、昨日おじちゃんが言ってた食べ方、したいな。パン切って、パン!」
「ラクレットだね、僕も久し振りに食べたい」
朝食が既に用意されているにも関わらず追加注文するのは酷であろうが、元より用意しておいたパンに溶かしたチーズを掛けるくらいならば僕でも用意できる。
「うへぇ、朝っぱらから重いモンいくねぇ、子供たちは。私は普通のでいいや」
「お前の分はない」
保存に適した硬いパンを切り分け、その上に昨日買った円柱のチーズをかける。火の魔術で炙ることでとろりと蕩けた薄黄色が、少しだけ焦げたような芳ばしい香りを伴ってパンを覆う。
今まで静かだった腹が、くうと鳴った。
「ちえっ、いいもんねー。私はお肉食べるもん。香料マシマシの濃い味お肉食べちゃうもんね」
「肉! ニーナも肉食べる!」
いつもに増して騒がしい食卓、それはどこか家族を連想させる。
僕には血の繋がる両親なんてものはいないから、いまいち実感が湧かないけれど、もしも存在していたらこんな感じなのだろう。
ああ、羨ましいな。これを知っているのか、人々は。
甘い羨望に混ざる、ほのかな痛み。寝間着をチーズでベタベタにしたニーナに世話を焼くことすら忘れて、僕はその光景を眺めるのだった。
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