66話 諦めなければ

 馬人族は古くから人間界に存在する。それこそ人間界が人間界と名付けられる以前、つまり世界が三つに分かれるより前の神話の時代から陸上を闊歩し、豊富な経験と知恵で知識の体系を紡いでいた――とされる。


 彼らは僕たちの目的である〈兵器〉の捜索において重要な情報源となるはずだった。しかしそれが潰えたとなれば、計画は全て破綻する。


 まさか神話を再度洗い直して、〈兵器〉が使われた場所も割り出さなければならないのか。


 眩暈がするようだった。人間族の神話も魚人族の神話も、〈兵器〉あるいは〈パンドラ〉が用いられた場所については言及していない。唯一手掛かりとなりそうなものと言えば、砂漠の港で手に入れた魔族の古代史を記した書物だが、それでも望みは薄いだろう。


 この世は三つの世界に分かれている。僕が今いる人間界と、出身地たる魔界。そして神界。それぞれは容易に往来が叶わず、転移魔術のような手段が必要となる。


 そのような状態にあるから、人間界の神話と魔界の神話に共通点が見出せるとは、到底思えなかった。


「ご、ごめんね、折角やる気になってたのに水を差すようなことを言って。で、でも、何も知らず“人避けの森”に行ってがっかりして帰るんじゃ、あまりにも可哀想だから……」


「……想定してなかった訳じゃないから」


 むしろ徒労に終わる前に知ることができてよかったと、そう笑みを浮かべるべきなのだろう。目前の男が悲観主義者であるならばなおさらだ。


 眉尻を下げた小人たちが、心配そうにこちらを見上げている。たまたま目の合った小人の口元についた砂糖を拭ってやると、ぱっと笑顔が弾けた。


「何を以って『馬人族はいない』と判断した」


 珍しくカーンが口を挟む。するとダフネはきょとりとした様子で、「普通に考えればそうだろう」と応じる。


 神話の時代から生き長らえ、かつ文明を保っている生き物は多くない。


 神話の立役者であった『神』は今を生きる神族とは別ものだし、『天使』や『悪魔』はそもそも概念であるとするのが通説だ。パッと思い付くものといえば、魚人族と竜くらいであろう。


 統計的に見て神話の時代から種族を保っていること自体が奇跡に近いのだ。しかも近年爆発的に人口を増やしている人間族と同じ人間界の地上に住まう馬人族ならばなおさら。


「ボクたち魚人族スキュラだって、昔は人間族との間にいざこざがあったんだよ。それに人口だって減らしている。国は片手で数えられるほどしか残ってない。ボクたちは海の中にいたからその程度で済んでるけど、彼らは……その、違うだろう?」


「つまり推測、ということだな」


 ダフネは頷く。それを見届けたカーンは、ちらりと僕の方へと視線を向ける。


「だそうですよ、リオ様」


「え……?」


 僕たちが目指すのは、存在するかも定かではない神話の道具。実在した一族の痕跡を見つけられずに、到達などできるであろうか。


 なんという暴論だろう。ぞくりと背が震え、息を潜めていた高揚が目を覚ます。


「いいこと言うね、カーン」


「光栄です」


 魔族とは皆一様に執念深い種族なのだ。諦めなければ結果はついてくる、なんて薄ら寒い言葉を吐くつもりはないが、執着の末に見出せるものもあるはずだ。


「や、やる気を取り戻すのはいいけど、でも、これだけはちゃんと頭に入れておいてほしい。さっき言ったことは、推測だけど事実に近い。何もなくても、さ、逆恨みだけはしないでおくれよ……」


「逆恨みなんてしないよ」


 馬人族の生存は望み薄だ。それはダフネの言葉や時の流れから考えても明らかであろう。


 “人避けの森”に辿り着き何一つ情報を得られなかったとしても、ダフネを恨むつもりはない。その気持ちを込めて頷くと、ふと一人ノホムンクルスが手を振っているのが目に入った。


 ニーナの鼻筋に腰を掛けた彼女は、真っすぐとダフネを捉えている。彼女の発する『言葉』は微塵も僕には理解できなかったが、パタパタと近づく魚人族は容易に解してみせるらしい。


 ダフネは何度か頷いてみせると神妙に、しかしどことなく嬉しそうに自らのあごを撫でた。


「……なるほど、うん、確かにそこなら分かるかもしれないね」


「その子は何て?」


「この街にね、傭兵が集う酒場があるんだ。彼らなら世界各国を巡るし、顔も広い。もしかしたら馬人族について知っているかもしれない」


 もしも勇気があるなら、行ってみてはどうだろうか。ホムンクルスを撫でるダフネの目には活力が戻っていた。



   ■    ■



「ニーナ、知ってる。こういうの、おけ回しっていうんでしょ?」


「たらい回しだよ」


 情報を求めて西へ東へ、それをたらい回しと呼びたくなる気持ちも分かる。一箇所で知りたい情報を全て集めることができればよいのだが、そうはいかない。


 もう一人仲間が増えるようなことがあれば、ニーナを退屈させることもないはずだ。


 戦力の補充という意味も込めて、傭兵の集う酒場とやらで仲間探しをするのも手であろう。カーンのお眼鏡に掛かる人物が存在するとは到底思えないのだが。


「ねえ、リオ。酒場ってなぁに? 何するところ?」


「そうだなぁ、お酒を飲んだり喋ったり……」


「お酒って?」


「飲み物だよ」


「ニーナ、お酒飲む!」


「ニーナはまだ子供だから駄目だよ」


 そんなやり取りをしながらダフネから教えられた酒場を目指す。


 酒場という新たな興味の対象を得て、ニーナの機嫌は徐々に持ち直してきた。子供の機嫌は山の天気のように移り変わりが早いと聞いていたから心配していたが、どうやら杞憂に終わったらしい。


 隣を歩く獣人の足取りは軽い。


「実は僕も酒場には行ったことないんだよね」


「ニーナと一緒?」


「うん、一緒」


 頷いた、その時であった。突然、目の前の扉が開け放たれたのである。


 転がり出てくるのは二人の男。


 あわや巻き込まれるかと思いきや、咄嗟に反応したカーンが背に庇ってくれたお蔭で下敷きになることは免れたが、二人組の男は無傷とは言い難かった。


 何せろくに受け身を取った様子もなく、石畳の上に転がっているのである。片や地面と衝突した影響か鼻血を垂らし、片や頬に打撲痕が見て取れる。


 乱闘騒ぎであろうか。相棒の背から顔を出し、そうっと様子を窺うと、建物の中から長い足が突き出してきた。


「昼間っから盛ってんじゃねーよ、短小ども!」


 地響きが鳴りそうなほど強く、皮製の靴が振り下ろされる。地面に落ちた数個の貨幣を、まるで遠慮することなく踏みにじり、ぐいと小樽のような器を仰ぐ。


「そんなにこの私を買いたいなら、五倍は金を積むことだな!」


 がはははは、と山賊のごとき高笑いと共に、その女性は真っ赤な髪を振り回す。それはマツの木を舐める炎のようだった。


 男たちは悲鳴を上げて逃げ出す。その哀れな背を、女性は笑い倒していた。


 見覚えがある。赤い髪も、気質に反して涼しげな青色の目も。そして何より、『女性らしさ』をかなぐり捨てた粗暴も。


「オルティラ……?」


 酒か興奮か、高揚した頬がこちらを向いた。

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