第3章 工業都市グラナト

60話 何なりとお申しつけください

 その街道は多くの人が行き交っていた。


 両脇に生える木は青々とした葉を茂らせ、草の禿げた道に影を落とす。遠くに見えるのは切り立つ険しい山脈。


 辺り一面に広がる景色は、これまで海底にいた僕にとって、ひどく懐かしいものだった。


 その景色を、オパール港で手に入れた鹿毛の馬と馬車を引き連れて潜り抜ける。


 馬車、とは言っても、海中都市オロペディオと地上との往復に使ったような、人を乗せることに特化したものではない。人を乗せるために設けられた空間は御者席のみで、それ以外には半円柱型に厚い布が掛けられている。


 中古品の帆馬車とはいえ、道中の供としては十分すぎる。ただ一つ、布が時として隆起して道行く人をギョッとさせることを除けば、普通の馬車と大差ない。


「ニーナ、そんなに暴れると壊れちゃうよ」


「えー、なにー?」


 御者席から声を掛ければ、底抜けに明るい声が返って来る。


 馬の横を歩き、手綱を引くカーンは傾きかけた太陽を見遣り、憂いを吐き出す。


「今日中に到着するでしょうか」


「オパール港から一日も掛からないって聞いてたし、大丈夫だと思うけど……」


 僕たちの前には人の波が揺らいでいる。


 オパール港から続く街道は、大型の荷馬車が二台余裕ですれ違えるほどの幅が確保されているが、それでも、まるで凱旋か何かのように進みは緩やかだ。


 このままでは予定到着時刻を大幅に超えてしまうだろう。ひょっとしたら野宿の必要性すら出て来るかもしれない。


 エルツ共和国における主要都市の一つ、グラナト。工業都市と称されるそこに、僕たちは向かっている。


 工業都市と呼ばれるだけあって国中の、あるいは世界中の、ありとあらゆる技術が集結するそこは、先に訪れた二つの港以上の賑わいを見せるのだという。だから街道が混雑していても、多少は許容するつもりだった。


 だが、と僕は思い直す。


 それにしては混みすぎだ。被っていた頭巾を持ち上げて、御者台に立ち上がる。街の外壁は見えるのに、その門や渋滞を成す理由は全く見えてこなかった。


「全く混んでて困りますにゃぁ」


 明るい声が喧騒の中から聞こえてくる。それは明らかに独り言ではなく、拾い主を求める声だった。


 いつの間にかカーンの隣に獣人が並んでいた。灰色の短毛に縞模様。目尻は吊り、好奇心を隠さぬ縦長の瞳孔がこちらを見つめている。


 どうやらネコ族であるようだ。


 彼は僕と目が合うなり、にこりと――いやにんまりと、どこか胡散臭さの残る笑みを作る。


「どーも、どーも! 初夏の風が心地よい今日こんにち、ご機嫌いかがですかにゃ」


 こちらを見上げるネコ族は目を細め、人懐っこい笑みを浮かべる。


 何事かと世間話もそこそこに動向を見守っていれば、彼は手を揉み始める。


「うふふ、用心深いですにゃあ、お客さん。さて、無駄話はさておき、何かご入用な物はありませんかにゃ? 水とか食糧とか、お金さえいただければ情報でも売りますよ」


 手を揉む獣人。


 どうやら彼は行商人であるようだ。よくよく見てみれば、背にも手にも大きなカバンを携えている。一体何がどれだけ入っているのか、皮製の袋ははち切れんばかりだった。


「生憎、水も食糧も足りてるんだよね……。じゃあ、どうしてこんなに人が多いのか教えてくれる?」


「あら、それを知らずに来たんですか?」


 ネコ族は丸い目をさらに丸くする。ここで強がる必要もないからと、僕は素直に頷いた。


「それは……運がいいですにゃあ」


 はたしてそれは誰に向けた言葉であろうか。その顔は依然として朗らかであったが、含みのある笑みであった。


 ぬっと手が差し出される。黒色の肉球がついた大きな手。ニーナのそれよりもずっと柔らかそうな肉球だ。思わず僕はそれに手を乗せる。


「あー……現物支給は受け付けてないんですにゃ」


「あっ、そういうことか。ええっと……いくら?」


「五カラトで」


 パッと開く五本の指と共に提示された金額は、ちょっとした菓子類と同じような価値であった。僕はサイフの紐を握る相棒カーンに視線を送る。


 カーンは物言いたげな様子だったが、手持ち用に分けておいた財布から指定の硬貨を取り出した。


「……ゼントヴィッチより高いな」


「まあまあ、情報は宝と言いますから」


 カラカラと上機嫌に笑う獣人は、カーンから金を受け取ると、大切そうに腰の袋に仕舞い込んだ。


「実はですね、この道の先にあるグラナトという都市――そこで祭りが開かれてるんですよ」


「お祭り!」


 僕は思わず飛び上がった。それに荷台も反応する。嬉しそうに声を張って、オオカミ族の少女は御者席へと這い出てきた。


「お祭り? お祭りやるの!?」


「うわぁ、びっくりした! もう一人いたんですか」


 ネコ族の獣人は飛び跳ねる。ズボンから伸びる尾が、微かに太くなっているように見えた。


「こんなに元気な子二人を連れて旅なんて……旦那も苦労してるんですにゃぁ」


 その言葉にカーンは応じない。


「で、ですね。そのお祭りというのが、いわゆる『産業祭』というやつで。ここ一年で開発や改良を加えた魔導道具や工業機械だとかを紹介する祭りにゃのです。それを見るため、あるいは参加するため、毎年たっくさんの人が集まるのです!」


「へえ!」


 ギュンと興味が湧き上がる。


 もともとグラナトには立ち寄るだけのつもりだった。滞在する気などさらさらなく、無論観光も二の次であった。


 もちろん二の次とは言え、少しくらいは見て回るつもりだったが、しかし祭典が催されるのであれば、その予定は変えざるを得ない。


「お客さんたち、グラナトに寄るなら案内しましょうか。今なら安くしておきますよ」


「結構だ」


 僕の代わりにカーンが応じる。出かかった「お願いします」の言葉を慌てて飲み込んで、ずっしりと乗り掛かるニーナを揺らす。


 不愛想な断り文句であったがネコ族の獣人は気分を損ねた様子なく、それどころか目を三日月に歪める。


「それは残念。でも、子守り役が二人に増えると楽だと思いますけどねぇ」


「…………」


 カーンは黙り込む。揺れている。とても揺れている。というか僕は子守りされる側なのか。


 僕はカーンの外套を掴み、抗議の意を表す。それに気付いた相棒は意表を突かれたような表情を浮かべると、フと口角を緩める。


「冗談ですよ。そんな顔なさらないでください」


「キミの冗談は冗談に聞こえないんだよ」


 だが、ニーナが同行するようになって負担が増すことも確かであろう。僕と彼だけならば小回りが利くが、ニーナがいるとそうはいかない。


「そういえば、皆さんはどうしてグラナトに向かってるんですか?」


「人を探しに行くんだよ」


「人?」


 こくりと僕は頷く。


「魚人族のダフネって人なんだけど、知ってる?」


「魚人族の……ああ」


 知っているの、と身を乗り出すが、彼はひらりと手を振っていなす。


「いーや、駄目です。例え知ってたとしても、教えるわけにはいきませんにゃあ。何たって商人は信用を売りにしてるようなモンですから――」


「前金で十」


 ぴくりと耳が動く。


「無事彼の元まで案内してくれたら、その二倍は支払おう。どう?」


「はいいいっ、何なりとお申しつけください、ご主人様~!」


 目指すは工業都市グラナト、そこに住まう魚人族のダフネ。全ては魚人族の神話を知るため、ひいては〈兵器〉の調査のため。


先進都市と呼ぶに相応しいとの評価だが、そこには未来の技術だけでなく、太古にして禁忌の魔術もひっそりと根を這っていたのだった。

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