34話 邪魔者

 外が騒がしくなってきた。どうやら彼等の言う「邪魔者」がやって来たらしい。未来に夢見る青年達はキュッと表情を引き締めて、床に降ろしていた武器を手に取った。


「来たな」


 そう言ってハリは覆面を被り直す。しかしその半分は、覆面としての機能を発揮していなかった。口元が、微かな緊張を滲ませる口角が丸見えだったのだ。


 面識のない者ならばまだしも、所縁のある者ならば、すぐにハリと結び付けることが出来るだろう。


 それに気付いたヨアニスは、今まさに出て行こうとする青年を引き止める。


「バレたら大変だろう。これ、使って」


「はあ? ふざけんな」


「ええ……」


 踵を返すハリの動きに迷いはない。遠ざかりゆく背をヨアニスは呆然と見送っていた。しかしすぐにはとしてこちらを振り返ると、


「そうだ。ええと、縄……縛るから柱に寄ってくれ」


「どうして?」


「その辺ふらふらしていたら、人質っぽくないだろう?」


 確かに演出は大事だ。


 「邪魔者」、つまり、“白の母”ことカリュブディスの解放を願う人々は、僕やカーンが反対派に拘束されたと思い込んでいる。ならばそのように、筋書き通りに振る舞っておく方が、ヨアニスやハリも交渉し易いだろう。


 再びの拘束を了解すると、彼は手早く僕とカーンを柱に縛り付けた。


「手際がいいね」


「この日のために練習したんだ」


 最後に締め付け具合を確認すると、彼はポンと自分の膝を叩いた。まるで自分を勇気付けるかのように。背を押すように。


 謀反として処分されるか、受け入れられるか。彼等にとってはその瀬戸際なのだ。緊張するのも頷ける。


「交渉、手伝わなくて大丈夫?」


「そこまでやってもらう訳にはいかないさ。でも、万が一失敗したら頼るかもな。哀れな人質の練習でもしておいてくれ」


 穏やかな笑みを見せ、ヨアニスは白い覆面――先程ハリに渡し損ねたそれを被り直す。もう彼の表情を見ることは出来なかった。しかしそれは想像に容易い。緊張と、僅かばかりの高揚。強い信仰を抱き戦へ向かう若者は、皆同じような表情を作る。


「……気を付けて」


 そう声を掛けると、彼はひらひらと手を振った。


 靴の音が遠ざかる。人のいなくなった空間は、これまで以上に寒々としていた。床に貼り付けた尻から、しんしんと冷気が這い上がってくる。それに身体を震わせると、柱の裏から僕の名を呼ばれた。


「どうかした? カーン」


「ここへ来てから、どれだけの時間が経過したか、覚えておいでですか?」


「いや、全く。……時計、持って来てなかったっけ」


「いえ、その……城に忘れて来てしまったようで……」


 目には見えなくとも、それが肩を竦めていることは読み取れた。早く仕事を始めたいからと急かした僕にも非がある。だから彼が罪悪感を覚える必要は、何一つとしてないのだ。


「そっか、それは仕方ないね。……時間か。体感としては半日も経っていなさそうだけど、あれだけ夢中になってたからなぁ。一日が終わっていそうで怖い」


 澄んだ空があれば、ここまで難航することもなかっただろう。僕達が平生暮らす地上、そこに当たり前のように広がる空の有難味を、僕は改めて思い知った。


「あそこに置いてないかな?」


「あそこ?」


「ほら、天幕とかいろいろ張ってある所」


 僕が示したのは、休憩所として収集された数々の調度だ。寝台や机、椅子、さらには木箱に詰まった本の姿も見て取れる。この神殿を訪れてからというもの、一度たりとも使われることのなかった彼等は、相も変わらず神殿に一角を賑わせていた。


 いくら陽の届かない海底に住まう魚人族といえど、まさか時間の概念なしに生活している訳ではあるまい。ならば地上における時計のようなものが、ここ海中にも存在しているのではないか。そう踏んでの提案だったが、それは冷静に否定されてしまった。


「たとえあったとしても、手は届きそうにありませんね」


「見える場所にあったり……」


「確認できません」


「そっかぁ」


 やはり駄目だったか。僕は高い天上を見上げる。


 岩肌が剥き出しとなった暗い空。柱に取り付けられた〈明石〉ですら照らすことのできないそれは、次第に落ち迫ってくるかのような圧迫感を醸していた。


 再び静寂が訪れる。耳とは不思議なもので、しばらく無音に晒されると、喧騒を懐かしむ。僕の耳が求めていたのは、キャンキャンと鳴き立てる子犬のような声だった。


「ニーナ、ちゃんといい子にしてるかな」


「あの娘のことです。“いい子”でいる訳がありません」


「信用ないなぁ」


「当然です」


 そう冷静に応じるカーンであったが、そっけない言葉にも、どこか憂いの色が見える。心のどこかでは心配しているのかもしれない。気難しい父親のようだ。笑いを堪える僕の耳に、重い溜息が聞こえて来た。


「リオ様。何度も言うようですが、どうかこれ以上、同行者を増やさないでください。秘密は知る口が多ければ多いほど洩れ易くなる。……私は貴方を失いたくないのです」


「ニーナの件は、カーンだって乗り気だったじゃん」


「あれは例外です」


 短く、そう彼は言い切る。


 人間界へ来てからおよそ五十年、僕達は二人暮らしを貫き、間には誰も入れなかった。


 それはカーンが危惧する「秘密」の漏洩を防ぐためであり、他人とあまり接したがらない彼に配慮した結果でもある。しかし先日、その予定を歪める出来事があった。奴隷として、あるいは毛皮として売られていた獣人の少女との出会いである。


 僕達は、彼女を故郷へ送り届けると誓った。同時に、僕達の間に異物が入り込むこと示唆していた。


 それを自覚し、時に物騒な発言も口にしたカーンだが、僕とて彼の思考を全面的に否定できないのも事実である。彼には健やかでいてほしい。「秘密」を断固死守したい。そういう考えも持っている。それを踏まえた上で、現段階で出せる結論と言えば、ただ一つであった。


「そうだね。もう増やさないようにしようね」


「おい――」


 突如として聞こえて来たその声に、僕の肩は跳ねる。まさかカリュブディスが応えたのだろうか。そう思ったが、低い声は石像とは異なる方角から発せられていた。


 石床の上に立っていたのは男だった。槍を手に持ち、裂けた覆面の下から真新しい傷を覗かせている。ハリだ。


 いくら神殿の中とはいえ、あまり親しい素振りは見せない方が賢明か。僕は口を噤んで、それを見上げる。


「お前の無事を確認したいと、王が」


 レヴァン王が来ているのか。眉根が寄る。意外だったのだ。悪漢蔓延るこの場所に、権力者自らが顔を出すだなんて。それとも、危険を冒してまでカリュブディスの解放を願う意志の表れ――ということだろうか。


 縄を解かれ、僕は立ち上がる。ちらりと窺ったカーンの顔は、非常に厳しかった。


 眉間には皺、口元は不快そうに曲げている。自分も連れて行け。そうハリを脅しているかのようだ。無論それに応じるほど、青年も甘くはない。フンと鼻を鳴らして、ハリは僕の背を押した。

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