1 レオポルド・フォルドにて

 カードタワーを維持するのは難しい、というのが第一声だった。

 なにそれ……と私は思う。

 すう、と静かに椅子を引くパトルシアンの所作しょさを目だけで追いかける。

「風かなにかでカードが一枚でも揺れてしまったら、タワーは崩れる」

 パトルシアンがテーブルと椅子の間に足を滑り込ませる。

 隣に座っていいって誰が言った? そんな台詞せりふが浮かぶけれど、やはり声にはしない。

 相変わらずだなあ、この人は。

 ナチュラルに〝この人〟なんて言ってしまうけれど、恋人でも旦那でもない。たくさんの時間を共有したからこそ、様々なものが使い古されたのだ。「こんにちは」が「やあ」になり、やがて挨拶という習慣は消えてなくなった。こうして黙ってそばにやってきては、おおよそ会話の導入口には似つかわしくない言葉を宙空ちゅうくうに投げる。

 私は左側で、彼は右側。

 定められたルールのように、私たちはこれを繰り返す。さりとて堅苦しさはなく、むしろ築き上げたものを感じて微笑ましい。だから私は右を向いてしまう。

「そう、たまたまそこに風が吹いただけだ」

 椅子に腰掛けると、涼しげに言い切った。

 パトルシアンは動じない。

 ──さて、なんと答えたものか。

 気遣きづかいが嬉しくて、けれど元気にはなれなくて、口ごもる。声にしようと思うと、台詞せりふは浮かんでこない。それこそ崩れたカードタワーのように、形を成さない。

 逡巡しゅんじゅんしていると、パトルシアンが気付いた。

「リズミー、飲み物は?」

 そう言って、なにも置かれていないテーブルの上を凝視しているので、「ああ、うん」と私はいよいよどぎまぎしてしまう。



 酒房『レオポルド・フォルド』にはカウンター席の他に五つのテーブル席がある。その内のひとつが空いていることに私は安堵あんどした。カウンター席に座ると店主のレオポルドを中心とした客同士の輪の中に入ることになってしまうからだ。それこそが『レオポルド・フォルド』でお酒を飲むことの醍醐味だいごみといえるのだけれど、今は目の前に広がる喧噪が、見知らぬ聖術士が賑やかしのために放った半球形の結界魔法『シェルナフィールド』のように煙たく感じられた。絶対に入りたくない。

 テーブル席に腰を降ろして、そこから注文しようと思った。

 丸テーブルを封印するみたいにして配置されている四つの椅子。その内の二つをくっつけ、左側の椅子の上に魔銃をホルスターごと腰から外して置く。ごとっ、と重みのある音を聞いた後で、カウンター席のほうを振り返った。そして唖然とした。

 レオポルドがいなかった。

 正確にいうと、立ち上がって盛り上がる客たちが壁となり、見えなかった。カウンター席の椅子が足りず、空き樽を椅子代わりに使用している者までいる有様。

 そういえば、と扉のない玄関から外の様子を確認する。

 日が完全に落ちていた。

 マハチェット森林中央にぽつんと位置するお店は狩りや採集を終えたベッテンカーナの民たちで今日一番の盛り上がりを見せていることだろう。大きな声を出さないとカウンターの向こうのレオポルドには届かない。それもまた億劫おっくうだった。どすん、と力なく椅子に体を落とし、ふう、と天井を仰いだ。そこにパトルシアンが登場したというわけだ。



「リズミーはエールだよね。俺、もらってくるよ」

 パトルシアンは背中に収めていた盾を外してテーブルの下に置くと、すっくと立ち上がった。

 エールは私の大好物だ。大好物と書いて〝生きがい〟と読む。『レオポルド・フォルド』はマハチェット地方の外からもお酒を仕入れているみたいだけれど、どういうものがあるのか私はよく知らない。エールがあればそれでいいのだ。

 遠ざかっていくパトルシアンを見ていた。

 剣術士にしては少々華奢きゃしゃではあるものの、すいすいと客を掻き分けていくその背中に、男子だなあ、と思う。思うけれど、彼のことは純粋に仲間だと認識している。今だってほら、弱っているところに優しくされたけれど、心はびくともしないぞ。私は、すん、と鼻を鳴らす。

 ただ、周りの人たちは必ずしもそう捉えてくれるわけではなく、六番隊の他のメンバーは私たち二人が一緒にいる時は絶対に割り込んでこない。明らかに気をつかわれている。

 おもしろいのは、みんなそれをさりげなくやっているつもりなのだろうけれど、どうにも不自然であること。だから私たちも私たちで、黙って小芝居に付き合う。見ていて飽きないのだ。そんな不器用な六番隊が、私は大好きだ。

 六番隊……。

「ごめん。私の、力不足で」

 衰えることを知らない『レオポルド・フォルド』の喧騒。その賑々にぎにぎしい雑音の下にそっと潜り込ませるように呟いた。

 ここでパトルシアンに泣いて抱きつくことができるのならば、それもまたいいかもしれない、と少しだけ思った。

 弱っている時の考えは、ろくなものではない。



 おまたせ、という声がしたほうを振り向いて私は目を見開いた。

 左手に見えるのはエール。私のだ。

 右手に見えるのは──。

「なにそれ?」

 尋ねると、パトルシアンは「エール」と答えた。わかりきったことをなぜくのか、といった風な語調で言い放った。

 いや、それはわかってるんだけど。

 パトルシアンはお酒にめっぽう弱い。今度はちゃんと「どうしたの?」とくと、「飲みたい気分なんだ」と眉毛をふわりと持ち上げた。

 かっこつけめ。

 ありがとう、とだけ言ってエールを受け取ると、すぐさまグラスに口を付けた。乾杯なんてできない。

 喉に刺激があったのを確認した後で、私はグラスをテーブルに置いた。

 ああ……。

 やっぱりだめだ。味がしない。このまま飲み続けたところで、決して酔わないことはもう知っている。

 グラスの中でしゅわしゅわと炭酸の泡が浮かんでは消えるのを見ていた。派手なお水だな、と心の中で皮肉めいた言葉を漏らす。なぜだかパトルシアンに聞こえてしまったような気がして、私は思わず右を向く。

 パトルシアンがエールを一口飲んだ。

「こんな苦いのよく飲めるね……」

 なんで頼んだんだよ。

 ──しかし、苦いというわりには特に顔をしかめたりはしない。長く垂れた藍色あいいろの前髪を揺らすことさえしない。

 パトルシアンは動じない。

 剣術士のパトルシアンは常に前線で戦う。その後ろ姿を一番見ているのは、たぶん私だ。そんな私だけれど、いつも思う。

 立ち回りに迷いがない。

 ただただ見ていたくなるほど気持ちのよい、計算された動き。めまぐるしく変わる戦況の中で、いったいどうやっているのか。すぐにパニックになる私には到底真似まねのできない芸当だ。

 冷静沈着。

 もしパトルシアンに魔力が備わっていたならば、私より遥かに魔銃の扱いにけていただろうし、なんでもこなせる人だと思う。──ああ、重斧士じゅうふしは無理かも。いかんせん力が足りない。

 重斧士じゅうふしといえば私の場合、豪快の概念から生まれ落ちたようなあの人が思い浮かぶのだけれど、大声を出したりするのだろうか、この人は。皆目かいもく想像がつかない。

 ん? とパトルシアンがこちらを向いた。

 私はポケットから赤く熟したエポトの果実を取り出した。「ほら」とパトルシアンの眼前で小刻みに揺らして見せる。

「これ、あげるよ」

「エポトの果実か。うまいよね、これ。ありがとう」

 パトルシアンはエポトの果実を受け取ると、大きく口を開けた。予想していたことなので、すっとパトルシアンの手首を掴んで食べるのを阻止する。

「そうじゃなくて。エールにエポトの果実を混ぜると苦味が飛ぶっていう話なの。エポト・エールっていって、若い女の子がよくやってる」

「俺の隣にいる若い女の子はやってないようだけど」

「私はエールを苦いって思ったことなんてないもん。こんなにおいしいのに異物を混ぜるなんて、邪道よ」

 吐き捨てるように言って、けれど虚無感に襲われる。手元のエールは進んでいない。

「じゃあ、俺はの道を行くとするよ」

でしょ」

 パトルシアンがグラスにエポトの果実を、ぽとん、と放り込んだ。これは予想外だった。

「ばか! 絞って入れるんだよ!」

 もう、と私は笑った。



 気の抜けたエポト・エールに視線を落としたまま、パトルシアンは言った。

「汚名返上の場面はやってくる。必ずきっと絶対に」

 普段通りの穏やかな声色こわいろの中に、しかし力強さが見て取れた。

 私はといえば相も変わらず、「うん」とも「ううん」ともつかない腑抜ふぬけた相槌あいづちを打つにとどまる。それをごまかすように空のグラスをぐるぐると回す。

「あそこの二人、輝石隊きせきたいっぽくない?」

「ああ、六番隊の剣術士じゃん」

 そんな会話を背中で聞いた。

 思わず振り向いてしまいそうになる。

 ──ああ、よかった。

 私はそっと目を閉じた。

 その通りだよ、お姉さんたち。

 私たちは、六番隊です。



 ベッテンカーナは森と山に囲まれた自然豊かな都市国家。その穏やかな景観に似合わず、大陸全土にその名を轟かせるは、総勢一○五名の魔物討伐ギルド、輝石隊きせきたい

 ベッテンカーナには輝石隊きせきたい以外にも幾多のギルドが存在するけれど、そのほとんどが十名前後で構成されていて、異例の規模だ。有志にも関わらず、王宮騎士団、赤兜団せきとだんと比較してみてもそれほど大きな差はなく、時々国からの依頼を受けることもある。

 大所帯に伴い、六隊編成で組織されていて、内外から〝落ちこぼれ組〟と揶揄やゆされることもある少数五名の六番隊に私とパトルシアンは所属している。



 三日前、ベッテンカーナの民より魔物討伐依頼が輝石隊きせきたいに舞い込んだ。マハチェット森林南部にある、地下に大きく掘られたハーディン墓所からキメイラが顔を覗かせたというのだ。

 山岳地帯に生息するキメイラが森に入る、というにわかに信じがたい話に、ひとまず事の真偽を確かめるべく、先発調査隊として六番隊がおもむくことになった。

『入り組んだ墓所内では下手に動かないほうがいい』

 洞窟の中心部まで行ったところで、六番隊隊長、ホルムベルトがいかりのように斧を地面に刺した。意外なことに六番隊の問題児二人も素直に従い、五人はひとまとまりとなってそこで半日間こもった。

 賢明な指揮だったと思う。

 キメイラはコテージほどに巨大な四足獣しそくじゅうで、一匹を八人以上で囲むのが定石じょうせき。五人で対峙したところで旗色は悪い。

 しかし、結局キメイラは姿を見せなかった。私たちが到着する前にハーディン墓所を去ったのか、それとも依頼がいたずらだったのか──。

 もともと宿暮らしだったホルムベルトとパトルシアンと私は、ベッテンカーナ居住区の一等地に建てられた輝石隊きせきたいのギルドハウスで寝泊まりする日々を過ごしている。

 報告を済ませると、ホルムベルトとパトルシアンは二階の六番隊の部屋に、私は同じく二階の五番隊の女子部屋に戻った。いかに仲間であっても男と女、就寝を共にするのはまずいということで、私のベッドは五番隊の女子部屋にある。

『せっかく行ったんだ、せめてオーガくらい出てきてほしかったよな』

『そういうこと言わない。あの辺まで採集に出かける人は多いんだから。なにもない、に越したことはないでしょ?』

 別れる直前にホルムベルトとそんな会話をした。

 眠りに落ちたかどうかわからないくらいのタイミングだった。

 どんどんどん! どんどんどん! と矢継ぎ早に扉を叩く音に飛び起きた。灯りをつけ、五番隊のアンジェといぶかしげに顔を見合わせる。

 扉を少しだけ開けて、隙間から外の様子を窺う。

 誰もいなかったのでそのまま首を伸ばすと、六番隊の部屋の前、三つ編みをいくつも編み込んだ黒髪の女性が仁王立ちしているのが見えた。

 確か、一番隊隊長。

 ノックされたのは六番隊の部屋だった。

『なにごとだ』

 ホルムベルトが部屋から出てきて、おそらく二階にいた全員が頭に浮かべていたであろう言葉を声にする。それから二人は一階へと消えていった。

 私は魔銃を身に付け、髪を後頭部でひとつにまとめてバレッタでとめると、六番隊の部屋に行った。同じように片手剣と盾をたずさえたパトルシアンと二人、立ったまま手持ち無沙汰に待機する。なにしろ、こんなことは初めてだった。

 ──赤兜団せきとだんの団員二名が死んだ。今日、

 部屋に戻ってきたホルムベルトからそう聞かされた。一人はキメイラの氷の息吹いぶきによる凍死、一人は八つ裂きにされたかなにかで無残な亡骸なきがらであったという。

 どういうこと……?

 まるで出口の見えない疑問にさいなまれつつ、私は浅い眠りについた。

 翌日、事態は思わぬ方向へ傾いた。

赤兜団せきとだんを見殺しにしたってほんとか?』

『キメイラがいたって話だ。自分たちだけ逃げ帰ったんだ』

『なにがまずいって、隠蔽いんぺいしたことだよ。たちが悪すぎる』

『〝落ちこぼれ組〟だからな、やりかねん』

 ベッテンカーナは六番隊の噂話であふれた。

 ハーディン墓所の先行調査は六番隊と赤兜団せきとだんの共同作戦だったらしかった。六番隊が先んじて乗り込み、赤兜団せきとだんが援護する、といったもの。果たして連合部隊は墓所内でキメイラと遭遇し、六番隊だけが逃げ帰ったというのだ。

 知らない。

 赤兜団せきとだんの人たちは見ていない。キメイラもいなかった。

 輝石隊きせきたい総長、エデンツァにも事実無根を訴えたが、「ベッテンカーナの民の信頼を回復するのは困難」として、六番隊は活動停止処分を言い渡された。

 悔しかった。

 これが一番隊や二番隊ならこうはなっていなかったと思うと、悔しくて、目をこれでもかというほどつむって号泣した。


 私たちは〝落ちこぼれ組〟じゃない!

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